最近、美術の見方について学ぶ機会が多く、
過去の美術の見方を知るたび
「世界史と美術、合同授業してたら絶対面白いのになー」
と感じる最近です。
歴史だけ、美術史だけ、学ぶのではなく一緒に授業してくれていいたら、両方頭にすぐ入ってきて、世界史も美術も面白く「教養」にできたのに。と、世界史が苦手だったワタクシの呟き。
世の中の全ては時代の影響を受けている。
(ホント、重複するけど
歴史も美術も化学も数学も、全部一緒にした上で「今日はこの部分を深めよう」ってやってたら『勉強』に対する面白さが変わってたなーと今更ながら思う)
私の高校時代、政治を教えてくださる先生が、
森有礼のことを「森ユウレイって思ってりゃいいんだよ。正確に覚えることが大事なのではない。」とおっしゃっている先生でした。
そういう先生がいたんだよと先日友人に話したら「森有礼って誰」という話になり。
こんなに学びの場で印象に残っている人物でも
世代を超えると全員に等しく重要と教えてもらうわけではないのか、となんだか変なワクワク感を感じました。
『正しい』『大事』は時間の数だけある。
(2021,7月/DAGstage『ROOM』「Brave」/Photo by @mikonyanko)
かつての芸術が、
その時代の技術で認められない、あんなの駄作だ、それでもこれで行きたい、そういった中で揉まれて今に残っているように、
今ある様々なダンスの表現方法も、その時代を生きた人に揉みに揉まれて
30年後、50年後には「そんな時代があった」と言われるのでしょう。
その時に、フワーっと時代に流されたのではなくて
「これが好きだ!!!」と貫くと、それがまた歴史に残って行くんだろうなと。そんなことを思う秋の入り口でありました✨
(だから、「なんであの表現はああなんだ」と感じる、それはそのまま感じてぶつかってたらいいと思うのです。そのぶつかり合いが未来のアートをうむ)
そんな感じでまたあした✨
明日はウッヒョーな会があるのでワクワクです。
またご報告させてくださいませ♪
※10月のレッスン予約、ぼちぼちご連絡いただきております。
素敵な汗、みんなでかきましょ、かきましょ
元気でまた明日会おう!!!!