おはようございます!
AYAMIですニコニコ



最近、引き算的思考になってから
次の足し算をどうしていくかに慎重になっている


足すことは脳の機能的には簡単なことなのに
考え始めると
足すことが難しく、臆病になってしまう


これは本当に必要なことなのか
これを足すことで何がどうなるのか


考えれば考えるほどわからなくなるショボーン


そのうち分からないなりの理由
無理やりなストーリーを作り出してしまってるようにも考えられてくる


何が本当で何が言い訳なのか


自分のことなのに自分でわからない


そんなことを考えているうちに
有限である時間も減っていく…


いろんな考え方をインプットしてきて
余計にぐるぐるしているように感じてきたもやもや


判断基準を作る


そのためのアウトプットします上差し


 ​消費・投資・浪費





【消費】【投資】【浪費】
行動としては同じように見えても
内容が全然違う


言葉の意味から考えてみる上差し


【消費】とは
費やして無くすこと。使い尽くすこと。(広辞苑より)


【投資】とは
利益を得る目的で、事業に資金を投下すること。出資。(広辞苑より)


【浪費】とは
みだりに費やすこと。金銭・労力・時間などを見だに使ってしまうこと。無駄使い。(広辞苑より)


同じ使うであるが
何をどのように使うかが重要である


やはり有限である
時間・労力・お金は次に繋がるような
【資産】を作るものに【投資】をしたい


【資産】とは
将来の価値が増えるもの


反対の言葉に【負債】がある


【負債】とは
将来の価値を減らすもの


例えば、車を買う
車自体はその日から新車より価値が下がってくる

そうすると車は【負債】になる


でもその車を荷物を運ぶ運搬車だったり
タクシーの運転手の方が買って使ったり
キッチンカーとして使う用の車を買ったりするなら

その車は【資産】となる


じゃあ
資産に変えること→お金(現金)に変えて、貯めておくことが大事なのかと考える


お金(現金)の価値は
どんどんと下がっている


同じ100円でも昔と今では買えるものが変わってきてて
だんだんと100円じゃ買えなくなってきている


百均でも
100円じゃない商品が増えてきててびっくりすることも増えてきていますショボーン


だからこそ
お金で持っておくことは【負債】になってくる


そしたら何に投資するか?


それは知識や人間関係、健康に使う


知識があるとその知識を必要としている人に提供することが出来る


でも、知識がないと価値提供することができない


そして、人間関係がなければ、価値提供することができない


そのうえ、健康でなければ、価値提供することができない


“今”、“この時”の積み重ねが将来になる

知識も人間関係も健康も
すぐにどうにか出来るものではない


自分がどうしていきたいか


『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー 著)での2つ目の習慣
おわりを思い描くことから始める

からも分かる通り
どういうおわりを迎えたいか


そのためには今の状況と何が違って
何を引いて、何を出す方がいいか


もう一度しっかりこれ!というものをもって
何を引いて、何を足すか
考えていきたい照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


今日は最近よく聞く『多様性』について


大きな声で言いたいわけではありません
ちっちゃい声の独り言ですてへぺろ


ただ頭の中の整理というか
まだまだ自分の中ではっきりしていないこともあるし
とりあえず文字にしてみようと思ったので
ここにアウトプットしますグッ





私は普通の人間じゃない…
私は普通の恋ができない…
普通…普通…普通…


最近“普通”という言葉に対して問題提起をしているドラマが多い気がする


確かに私も最近まで
“普通”にこだわって生きてきたところを


なんかちゃうぞ…


と思い始めて思考を変換してきている


だからこそ
今のドラマのテーマである“普通”ってなんやねん!みたいなところに引っかかるのかもしれない
(実は違うテーマかもしれないけど…爆笑笑 そこが気になってしまう)


前までの私は
“普通人間”になろうとしていた


なんでも中間に
多数派に
派手ではなく
地味すぎるのでもなく
出来すぎるのでもなく
出来なさすぎるのでもなく
目立たず
大人しくいる


“普通”な人間!


担任の先生が
何年かあとで振り返ったときに
あーそういえばいてたなーってなるような子
(ちょっと存在があったように書いてるのが、ちょっと見栄っ張りな気もするが…爆笑笑)


そんな奴になっていた
ってかなろうとしていたみたい…


目立たない普通の人間なんだ、私は…
と自分で自分に暗示をかけていたみたい
(今も昔からの習慣でこの思考に戻ることがあるけど)


そういう自分がいつも憧れるのは
自分の言いたいことをずばっと言う人
我が道を行く人


空気読まないなって思って
イラッとする時もあるけど
その空気さえを
自分のものにしてしまう人に憧れを持っていた


イラッとするのも
きっと自分がしたいけど
できないことをしているからだろう


自分とは真反対にいてる人だと
勝手に思い込み
自分にはできないと蓋をする


そんなやつだった


頭でやりたいと思っていることも
口では違うことを言っていて
行動なんか全然できない…


チグハグなことをしている

そんなことをしていると
最近思う…


“普通”ってなんだっけ?


多様性だ!
今は多様性の時代だ!って


色んな意見があって当たり前
他人と違ってもええやん!って


いう時代になってきている


決められた一つのことに対して
みんなで目指すようにしていくのが当たり前で
そこから外れるようなことをしていると
こいつは変なやつだと言われ、思われる

『そんな人と付き合ってはいけません』
とお母さんに言われたり

という時代は終わり
と言っているように聞こえる


でもちょっと難しいなと思っていることがある


こんな私です!
だから全部分かって受け入れて!


と強制的に強引に自分を受け入れてもらうことだけを訴える人もいる

『私はこういう人間なんだから
できなくて当たり前やん!
だから代わりにやって』と


嫌なことからただ逃げることに使う


多様性という言葉を
都合いい感じに使っている人もいるのも事実


本当に逃げ出したいのに
うまく逃げ出せない人がいるのも事実


多様性という言葉は
一人ひとりを自由にする言葉ではあるが
自由になることで
出て来る問題もある


自由になることで
治安が悪くなることもある


1人1人が自分自身を理解していないと
決められたレールから抜け出せない
レールから出ても
何をしていいかわからない


多様性という言葉の中に
いろんな人がいてて
いろんな考えを持っている人がいてる
考えが違って当たり前
それを絶対一緒にする必要もないし、してもいい
どんな形になってもいい


という他人との関わりに対しての意味もある中で


まずはしっかりと
自分自身が何者か
という見つめ直しの言葉でもあるのではないかと思った上差し


違いに対してただ拒否反応を起こすのではなく
違いを面白がれる人が増えるといいな照れ


“普通”という価値観も
人によって内容が違うし
そこにも違いがあること


ちょっと隣に行くと
“普通”が“普通じゃなくなる”


ローカルルールだったんだと気づく


自分自身を理解し
大きな範囲のものを見て
違いと共通点を見つける


そしてそれを楽しめる、面白がれる


そういう人が増えるといいな照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


もう今日は8月の終わりですね


最近時間の流れが速いように感じる
同じ1日、1週間、1年…
それなのに違う


年齢を重ねるにつれて1年が速くなる
リハビリに伺っている利用者さんも
「年々速くなってくるぞー」ってよく言われる


それを考えると
学生の時と今とを考えると
同じ時間でも流れるスピードが違う…


物理的な時間は同じなのに
感じ方が違う


なんでなんだろう


考えてみる電球

 ​【クロノス】と【カイロス】



ギリシャ語で時間を捉える言葉が2つあるらしい


【クロノス】とは…
時間の針の動きそのままの時間
客観的にわかる時間


【カイロス】とは…
「今だ」と感じるタイミングのようなもの。内的に感じる時間的長さ。
主観的な時間


無意識に生きていると
世の中はクロノス的時間軸ばかりで進んでいき
本当に自分が豊かで感じられることや幸せを見出すきっかけを失っているかもしれない


意識的にカイロス的時間軸で進んでいき
一瞬一瞬をみるようにして
ゆっくりと見つめ直すことを大切にしてみよう


【カイロス】は元々“チャンス”という意味もある


一点集中して見つめ直すことにより
何か発見しチャンスを掴めるかもしれない


何かに集中している時
時間を忘れてやっている時がある


そんな時すごい充実感がある


年齢を重ねるにつれて
何かに没頭することってなくなってくる気がする


そういう没頭する時間があることで記憶にしっかりと残り
時間をゆっくり見つめ直すことができるのであろう


 ​情報量が影響していること





ちょうど先日やっていた
『カズレーザーと学ぶ。』でこの問題と似たようなことをやっていた


体感時間には、人によって違いが生じるが、これは脳の機能が影響しているためだという。同じ時間が経過していても、目から入ってきた情報の記憶量が多いと、人は体感時間が長くなる。脳の海馬には電気信号で時間をカウントする『タイムセル(時間細胞)』と呼ばれる細胞があり、この細胞の働きによって私たちは時間の経過を認識するのだ。タイムセルの働きには外部からの情報量も影響を持っており、毎日家でダラダラするなど情報量が少ない場合には、記憶に残らないで人生があっという間に過ぎていってしまい、逆に人と積極的に会ったり、外出したり、記憶することが多かったりという生活を送ると人生が長く感じられるようになると教授は語る。


ルーティン化されたものは
情報量が少なくなり体感時間は短くなる


前に聞いたことがあった

初めてのことが多い若い頃は、いろんなことに驚きや感動があって
それを感じているから時間が長く感じる
それに比べだんだんと歳をとるにつれて
初めてのことが少なくなってくるからマンネリ化してきて時間が速く感じる


それって本当だったのかと
これを聞いて思った


最近の私は
ルーティン化したことをするだけで
何も新しいことをしていなかった


ルーティン化することで脳への情報量が少なくなることがわかったが
逆を言えば
脳が使うエネルギーを減らすことができると言うこと


減らした分
何に使うか
何に投資をするか


アメリカに
【持て余した手には悪魔が宿る】と言う言葉がある


空いたスペースがあると色々とやりたくなる


でも何が一番重要か
重要なところに時間とエネルギーを投資していく
色々と手を広げず、今やっている最も重要なところに全力を注ぐ


そうやって自分に本当に必要な新しいことができてくるのではないか


なんか最後
時間の感じ方について書いていたのに
エネルギーの使い方について
もう一回見直したようになってしまった笑い泣き


引き続き自分観察をして
何を引き算して、何に投資をするか
もう一回見直そう照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


最近テレビも音楽も何もない状態にして
ぼーっとしていることがあり
頭の中の思考を辿っている時があります


これは
かの有名な
『物思いに耽る』ということなんでしょうかニヤリ


そうすると知らない間に時間が過ぎていることが多くてびっくりしますアセアセ


その中で最近インプットしたこと
そして自分が感じたことを含めてアウトプットしたいと思います照れ




昔誰かに言われたこと、誰かとの出来事がいつまでも心のどこかにへばりついて取れない


忘れようとしても何かをきっかけに飛び出してきて思い出させてくる


そしてそれを思い出すと
自分が嫌なことが思い出されたり
相手のせいにしたり
それによって何かすることに対して臆病になってしまったり…


その繰り返し


その出来事の呪縛から抜け出せていないことがある


その呪縛から抜き出すためにはどうしたらいいのか?


 ​【ゆるす】ということ




過去にあった出来事自体を変えることはできない
でも感じ方・捉え方を変えることはできる

と以前の記事でも書きました

こちらも合わせて読んでいただけると嬉しいです


過去に嫌なことがあったことに対して
誰かのせいにする
自分のせいにする


これは簡単なことではあるが
根本原因を解決したことではない


また思い出すたびに
誰かのせいにして嫌な思いをすることになる


その場の応急処置をしているようなものである


その出来事を
自分・相手を【ゆるす】ことで問題を解消することができると学んだ


『鏡の法則』 野口嘉則 著 から
【ゆるす】という言葉の意味を理解する

【ゆるす】とは
相手の行為をよしとすることでもなければ、大目に見ることでもない。
また「相手が悪い」と思いながら、自分が我慢することでもない。
ゆるすとは過去の出来事への囚われを手放し、相手を責めることをやめ、今この瞬間の安らぎを選択することである。


過去に起きた嫌なことの事実を客観的に見たり
もっと違う見方ができたのでないかとか
もっと大きな範囲で見ることができなかったのかとか


捉え方を変えることで
嫌な出来事で起きた問題が今では問題とも思えなくなる


なんやこんな単純なことで悩んでたんかーとか
あの時こっちから見たから相手が一方的に悪いと思ってたけど、反対から見たら自分も悪いところがあったな
お互い様やったなとか


その出来事が起こっているときは
感情的になってしまったり
いろんな考えを持つ経験がなかったりして
見えている範囲が小さくなっていることが多い


少し時間が経って
冷静になれたり
いろんな経験をすると
見える範囲が変わり違う見方ができる


そうすることで
過去の出来事への囚われを手放すことができ
本当の意味で【ゆるす】ことができる


相手も自分も


そして緊張状態から安らぎを得ることができ
囚われてできなかったこともできるようになる


もっと見える範囲が広くなる
成長する


『鏡の法則』では
こうも言っていた


【必然の法則】
人生で起きるどんな問題も、何か大切なことを気付かせてくれるために起きる。
そこを解決できない問題はない。


自分の気付けなかったことに気づくきっかけをくれている


難しい問題が起きている時は自分が今気づけていないことに対して考えるチャンス


アインシュタインの言葉にも

問題は発生したのと同じ次元では解決できない


その時の自分では解決できない
自分の中にない何かをインプットしないと解決しないだろう


誰かの意見を純粋に受け入れてみる
本を読んでみる
全然違うジャンルのことを考えてみる


何かの拍子に繋がる時があるだろう
そして
緊張が解け安らぎを得る


そんな経験を
『鏡の法則』を読んでした私でした照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


最近突然の土砂降りや雷に遭うことが多くて
びっくりしいの私にとってはビクビクしてしまう日が続いていて、余計にエネルギーが抜けていっているように思いますショボーン


自分の中にあるエネルギーは有限
大切なところに使いたいものです


他にも私のエネルギーが抜けていってしまうことは
『自分の行動を誰かに見られているんじゃないか』という感覚


今日はちょっとこれに関して考えてみますグッ




私は1人で外食をほとんどやったことがない
誰かと一緒に外食するか
テイクアウトするかである


そして初めてのお店に行く時は
駐車場がどこにあって
どこで注文してなど
Googleマップをみたり、食べログをみたり、インスタを見たり…
下調べを入念にして、行くぞってならないといけないんです


「ここ良さそう!とりあえず行ってみよう!」って言って
1人でこの辺かなーって行って
近くに違う良さそうなお店があって
急遽変更してそっちに行ったりすることができる人もいるのに


なんで私それできないんだろうって最近思う…


何が私のブレーキになっているんだろう?


あたふたしている自分を誰かに見られて誰かが笑っているのではないか?
失敗している自分が見られて笑ってるんじゃないか?
1人でこんなところに来るんだって思われたくないのか?


結局、誰かの目を気にしている考えしか出てこない


そんな考えが出るってことは
自分も誰かのことをそういう目で見ているってことなのか?



 ​相手が思っているかも=自分が相手に思っていること





誰かに〇〇みたいに思われているかもしれないって自分で感じる時って
自分が他人に思っていることである


心理学の用語で
【投影(の法則)】という言葉がある


【投影(の法則)】とは
目の前の人や出来事は自分の心を写し出した鏡であるということ


自分が思っていることが相手も思っているじゃないかと思うということ


本当は思っているかどうかわからないのに


誰かが自分を見て笑っているかもしれない
かっこ悪い自分を見て何か言っているのかもしれない


そう思っている自分は
誰かのことをそう思っているってこと


私自身どこかに出かけると
ちっちゃい頃かららしいんですけど
人間観察をよくしている


それは結構細かくみていて


あの人何か焦ってるなとか
誰かあの人探してるなとか
1人で食べてるけど美味しそうに食べてるなとか
なんかあの人、さっきの人と喋ってる声と違うなとかてへぺろ


そしてその人をみて
何かを言っている人を観察していることもあった


そんなことを見ているからこそ
他人からも自分はこういうふうにみられているんじゃないかと考えてしまうんだろう


自分の中にあること(過去の経験などからできたこと)でないと
どう思うかという選択肢が出てこない


だからこそ
他人の目を気にする人たち
私も含めて
人のことを細かく見れる天才なんだと思った


そしていろんなところに気がつく天才なんだと思った


悪いところを見てしまう癖があるのであれば
その細かく見れる才能を
いいところも見れるところにシフトできれば
自分のいいところにも気づけるはず!


投影の法則を上手く、賢く使ってみようと思った照れ