おはようございます!
AYAMIですニコニコ


今日も日常生活で気づいたこと・感じたことをアウトプットしていきたいと思いますグッ




【一つに頼りすぎるのはダメだ】


最近これをいろんな場面で実感することがある



自立とは何なのか?
ちょっといつも通り言葉から調べてみる


自立とは
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやっていくこと。
となっている


私の中でもこのような意味合いでインプットされていた

私も誰かに頼ってたらダメだ
自分がしっかりして、自分の力で物事をやっていこう!
と思って意気込みすぎて
しんどくなってしまっていた


やはり人間は誰かの助けなしでは生きていくことができない
そして誰もが助け合いなながら生きていくことであり
共存していくことであると思う


言葉を使って会話ができ、コミュニケーションをとることができる人間の特徴である


しかし
一つのものやことの助けを求めてしまったり、求められたりすることは自分も相手をも潰してしまうことがあるなと思う


その助けを求めていることがもしなくなってしまったら…
その助けを軸として生きていたならば…


だからこそみんな自立が必要だ!ということが言われているんだろうなガーン



私にとって最高の自立とは
自分に軸を置きつつも
いろんなところに少しずつ依存していくことであると考える


依存という言葉はあまり聞こえが良くないかもしれないが
しっかりと相手を信頼して、助けてもらうことであると思う
そして、相手にも助けが必要な場面があれば助ける
共依存であることが大事である


そしてその依存先をたくさん持っておくことが必要であると思った


その時に必要なことは
全てにおいて『愛』を持って行動できるかどうかだと思う


日頃の相談相手も1人でない方がいいし
仕事の種類や会社なども一つじゃない方がいのかもしれないと思った



趣味の役割も
自分の楽しめる場所を一つにしない役割があるのかもしれないと思った




『フェイルセーフ』という言葉がある


フェイルセーフとは
機械や設備などの設計をする際に、故障や誤作動は必ず起きるものという前提で、異常が発生した時にも人命だけは絶対に危険に晒すことのないよう安全に動作させる制御方式のことである


元の言葉の使い方としてはこういう使い方をするみたいだが…


つまりは
一つのパラダイム(思考や世界など)だけに頼ったり、そればかりに固執してしまうのではなく
他のパラダイムを知っておく事で、もし一つの方で何かが起こった時に
救命ボートのように脱出することができる


逃げられる先がある


これめっちゃ大事やと思った


今学校や会社で悩んでいること
家族にも話せないこと
でも悩んで悩んでどうしようもないこと


自分の居場所はそこしかない!と思わなくてもいい


いっぱいあるんだって
目の前の5人くらいだけを見て
みんなそうなんだ、私だけ違うんだ…とか考えないで


もっと広い視野を持って!


全然関係ない誰かに相談すること
そうした方が話しやすいこともある


だからこそ
落ち着いてみたり
離れてそのことを遠くから見たりするためにも
その場から離れられる場所を別に用意しておくことが大事なんじゃないかと最近感じた照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


今日も日常生活で気づいたことをアウトプットしていきたいと思いますグッ




人間『笑う』ことはいいことである爆笑


研究によると、『笑う』ことで免疫力が上がることもわかっているらしい


そして昔から
『笑う門には福来たる』とも言われている


『笑う』ことは何かといいことがあるようだ



「よく、笑うなー、ゲラやなー」


私のよく言われるいいところ(ゲラはいいか悪いか微妙やけど…)


昔からよく先生にも言われていた


「あんたどこに居てるか、笑い声で分かるわ」ってえー



でもこうも言われてことがある…


「笑って誤魔化してるでしょ?」


昔、何回か言われたことがある


私は
緊張する場面
その場が気まずい場面
相手が気にしてしまう場面
自分が少し不快に感じてもその場が白けないようにする場面

で笑う癖がついてしまっている


勝手に出てきてしまうもの
勝手にスイッチが入ってしまうもの


私の気持ちを上手く動かしていく術
社会に上手く入っていくための術として
知らない間に身に着けていた術


私の防御策
唯一の盾


いつの間にか身についてしまっていて
気づいた時にはもう使っていた


でも、咄嗟に出てくるこの術が
自分の意識にない時にも出てくるようになっている


今なんで笑顔で笑ってるんだろう?って
俯瞰して見てみると感じる時が最近ある


だからこそ
時には裏目に出ることもある


こいつヘラヘラしてる奴やな
頼りない奴やな
笑ってるだけで中身がない奴やな


うまく円滑にその場のコミュニケーションを取ろうとするための術が反対に発揮してしまうことがある


そんな時は自分の意思とは反して出ており
自分の行動が嫌になる





先日
星野源さんのラジオを聴いていた


『LIGHT HOUSE』の終わりに毎回作られた曲の内の一つ
『解答者』の作詞の話をしていた


そこでこんなことを話をしていた


【見栄を包む 笑みに見せる 壊れかける 心の隅】

なんかスシャーって心が傷ついているんだけど
「エヘヘ」って言っておくみたいなのって、あるじゃん?
なんか怒るみたいなところからの、そう言うの隠さないといけなくなる感じみたいなね。

あと、その「見栄(みえ)」って言葉をクルッて反転すると「笑み(えみ)」になるので。
なんかその言葉の近さが面白いなって。


【ありのままでいい そうね 黙ってくれるかな】

ありのままでいいって言うのは本当にそう思うし、それはそんなんだけど。
なんていうか、ありのままいられないでしょ?
ありのままでいられる人なんて、いないじゃん。
完全にありのままでいたら、社会不適合者とされて、刑務所に入ったり、仲間はずれになったりとか、
やばい人って言われたりしちゃうんだから。
人間、やっぱりどうしても「社会」っていう枠組みの中に入るために、何かしらを我慢しているし。
で、その動物的な本能みたいなのを我慢するってことを選んだ種族だと思うんで。
やっぱり「ありのままでいい」って言うのは難しいんですよ。
で、その「ありのままでいいって言うのは、難しいよね」って文脈で言えるのってめっちゃ少ないから。
でも、やっぱりそれを素晴らしいものとして「どうだ!」みたいなのは、いや、無理よっていう。


この話を聞いて
自分だけじゃないみんなが悩んでいることだと


私のように
方法は別にあるかもしれないけど
社会の中でうまく生きていく術を持っているいとがいるのだと


そうして上手く社会に溶け込もうとしているうちに
自分のありのままがわからなくなってしまう
自分を見失う


それは辞めておきたい


自分は何に我慢しているのかはちゃんとわかっておくことが大事で
それを違う方法で発揮できないかを考えることも大事


できるだけありのままで生活するのがいいけど
やっぱりそれは難しい


見栄を張ったり、弱い自分を見せないようにしたりする
それこそ人間!


それも全て楽しみながら生活していきたいチョキ


そうやって今日も笑いながら生活します!爆笑


おはよおうございます!
AYAMIですニコニコ

今日も日々の気づきからアウトプットしていきますグッ




何かを知る
知りたい
教えてもらう
見てまねる



今この歳になって
やっと勉強ということの本当の意味、楽しさを知った気がする



学校に行ってやっていた勉強は…

やらされている感
やらなあかん感
これ知ってどうするん感
進級するため、卒業するためにする感
テストをうまく乗り越えるため感


そんなことを感じていた気がするショボーン




今は私のほうから
知りたい
学びたい
教えてほしい


と勉強することを求めている



知らないことを知る楽しさ
自分がわからなくてモヤモヤしていたことを知るスッキリ感



私が学生の頃
大人たちに「ちゃんと勉強しておいたほうがいいで」って言われていたことを思い出した



その時はただ私に勉強せえ!って言っているだけやと思っていたけど
実際は違ったんだと今思う



だって私自身この歳になって
わからないことがたくさんあるから



世界の国がどういう繋がりになっているか
なぜこの国とこの国が戦争をしているのかなど
やはり歴史を知らないとわからない



そして昔の人の教えや活躍があるからこそ
今私たちが生活できているということを歴史を学ぶことで分かるということ



これを恥ずかしながら今気づいているガーン



そして物語を読むことで
人の心情や関わりを知ることができるなんて
読書をただ拒否しているだけで知らないことがいっぱいあった



道に咲いている花は何なのか
空に見えている雲の形でなにかがわかったり
食べ物の旬はいつなのか
どういうところにできるのか



興味があることがたくさん出てきて
いろんなことを知りたいと思う



これが本当の勉強なんだろうな



自分が求めているときに学ぶことで吸収率が半端ない
欲しいと思っていることをもらえることってめっちゃうれしいこと爆笑



学生の頃は
とりあえず覚えないといけないしか考えてなくて
自分の興味が向いていなかった


そして実生活に直結して役立っている気もあまりしなかった



今は実生活で疑問に感じたことを調べたり、学んだりしている
それも人の経験を聞いたりすることでも学んだりしている



だからこそ勉強は一生できる娯楽なのかもしれないと思った



机に向かって教科書をめくって、ノートに書いてすることだけが勉強ではない



勉強は何かを知りたいと思う気持ちに対して行う事なんだろうな



そしてそれぞれ経験してきたことを誰かに話したりすることで
他の人の勉強になること



みんな時に先生になったり、時に生徒になったりするんだ



そうやって循環していく...


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


最近、私的に衝撃的な気づきがありまして…
アウトプットします照れ





「若林さん、もしかして飽きたんじゃないですか?」



Netflixで今絶賛放送中の『LIGHTHOUSE』
オードリー若林さんと星野源さんの2人で対談している番組の中で
星野源さんが言った言葉



SNSでもこの「飽きた」という言葉にいろんな想いを感じた人が多かったみたい
共感も多かったみたい



私のその中の1人であることに気づいた
グサっときた



「飽きた」と言う言葉
私はこれまで生きて来た中で数回しか言ってこなかった気がする
言葉自体はもちろんいろんなところで使われている言葉だし、知っているが
この言葉を使う時って、私にとって勇気がいる



何かをやっていたことに対して
ネガティブな感情を持ってしまうことだと感じている


「飽きた」の後に続く言葉としては「やめよ...」ってのが多い気がするショボーン



面白いと思って初めても
いつしか面白くなくなる
今までの自分の感情と真反対のことが起きている



子供の頃は
いろんなことに興味が向き、遊ぶ内容をコロコロ変えたりすることがあった



でも大人になってからは
一つのことを決めるとそれを成し遂げなければならないとか
一回言ったことを変えることは恥ずかしいことみたいなことがあるように感じる
(一貫性の法則に則ろうとしてしまう)



もちろん継続することは難しいことではあるが
いろんなことを無視して「飽きた」ことを誤魔化しながらすることが大人であるように感じていた



言い方は難しいが
「飽きた」と言う言葉は子供っぽいっていうか
感情の中でも、「そんなん我慢しなよ」って言われそうな言葉・感情であるように感じていた



だからこそ
自分の奥底にしまい込んでいたことだし
知らないふりをしていたのかもしれないと思った



しまい込んでしまっていて
「飽きた」という言葉・感情を忘れていたのかもしれない



人生を進めてきて
いろんな経験を経て、自分のことが“なんとなく”わかってくる
そして世の中のことも“なんとなく”わかってくる



10代20代あたりで何かになりたくて、いろんなことをしたりしてきて
30代あたりで安定してくる


10代や20代頃に感じた衝撃・ワクワク感がなくなってくる


でもその頃になると
仕事での地位や家庭を持ったりして責任が出てくる


そのような立場の時に「飽きた」と言う言葉は
あらゆるものを失う可能性がある
恐怖である


「飽きた」ことを忘れている方が
失う恐怖よりマシだから


だからこそ心の奥底にしまい込んでしまうのでいるんだろう
それをふと言葉にしてくれて
みんなグッときて共感したんだろうな


言葉にすることで
私自身も「飽きている」ということに気づいた


何かわからないモヤモヤ感も
そしてそこからくるイライラ感も
やる気が出ない感も


そうだったんだろう


その場から逃げ出したい衝動も
ずっとおんなじ自分に「飽きてきていた」のかもしれない


だからこそ何かを目指して行動している人に憧れを持っていたし
そんな人のそばにいたら自分もおんなじような感覚を得られて飽きないから
他人の人生にしがみついていたのかもしれない


守らなくてもいけないこともあると思う


それは
人かもしれないし
自分の軸となる考え方かもしれないけど
それもありながら
興味があるとことに向かって
自分をしっかり軸にして
ピボットするように
向きを変えるのもいいかもしれない


「飽きた」という感情も
ネガティブな要素だけではなく
切り替えのチャンスであると思った照れ



おはようございます!
AYAMIですニコニコ

最近の出来事から感じたこと、学んだことをアウトプットして行きますグッ




最近、オードリー若林正恭さんの言葉に共感しまくっていて
言葉を求めて彷徨っている今日この頃…


ゲストと話をする番組を観たり
ラジオを聴いたり
最近はエッセイを拝読した


『ナナメの夕暮れ』


とても近い存在に感じたし
自分が言葉にできないでいた気持ちをまとめてくれていたりと
読者が苦手な私だけど
どんどん読み進めてしまう本だった


共感する、共感してもらうって
自分を相手に認めてもらえた気持ちになって
自分も自分で認めることが出来るんだろう


『承認欲求』それを求めているんだろう


誰かに認められたい
自分という存在を認めてほしい


それは
大人数かもしれないし
特定の誰かかもしれない


認められた時の気持ちよさは癖になる


そしてまた求めてしまう…
どんどん、もっともっと欲しい


数も量も多く欲しいニヤリ


そうなってくると
相手が何を欲しいかを伺い始める
それに沿うような言動をし始める


相手が求めていること一色になる


自分の色がなくなる…


相手に嫌われないように
捨てられないようにしようとする


相手が急にいなくなる
相手の考えていることがわからなくなる


パニックになる


自分なんて…と自己否定に走る



途中から自分のことがだいぶ入ってきましたがてへぺろ
そんな人もいるのではないかと思いました

これも共感を得ようとしているのか?笑



「わかります!」
「一緒です!」
「確かに、そうですね!」


共感を表す言葉はいっぱいある
そしてその言葉を言うことで
相手も気持ち良くなるし
その空気で自分も気持ちよくなる


そこに
「いや、ちょっと違うんじゃない?」というのは私にとって勇気のいること


そしてそれを言われることにビクビクしながら生きてきたなと思う
少し否定的な言葉をかけられると
全てが否定されたように感じる


それは私にためになると思って言ってくれていることでも…


でもそれこそが大事なんだと思う


共感する

それは認める、認められるということ
そしてそれによって
自分の強さや得意なところばかりに目がいって
自分の弱さを隠すことができる、目を伏せることができてしまう


そこに対して
違う意見を言うこと、言ってもらうことは
自分も相手も弱いところをみられていることになる


それって
人によっては辛いこと、恥ずかしいこと
わかっていても自分で認めたくないところ


そこに踏み込んでくれる
踏み込める勇気がある人


それは大事であり
そうなりたいと思う電球


今SNSが日常的に当たり前になってきていて
いいね!という承認欲求を簡単に得ることができるようになってきた


それが悪い訳ではないし、得ることは嬉しいことであるのも実感している


でもそれを生活の軸にしてしまうほどになってしまうと話は別である


上澄だけをみて共感するのではなくて
しっかり本質を見て
共感する、違う意見を言う


“その場を気持ち良くするだけを考える共感”に逃げるのではなく
きちんと判断する


そしてそれをきちんと判断してくれる信頼できる人を周りに1、2人いてもらいたい照れ


そうやって時に修正を加えながら進んでいく…