いつものことながら、ブログを書いている途中で雑用?ありて、、、
気が付くと、全ては消失。
気を取り直して、前に進むしかないない。
昨夜、布団の中でテレビを観る。 番組は、NHKのプロフェッショナル、
フレンチシェフ 小林圭 三つ星の、もっと先へ - プロフェッショナル 仕事の流儀 - NHK
仕事の流儀とは何だろうか。老いたりとはいえ、某(それがし)もプロの端くれ、
一寸の虫にも五分の魂。誰しも腹の底には意地の如きものはあるだろう。
それにしてもフレンチシェフとは、非日常的な存在だ。
日常のルーチンに追われて、諸々の柵(しがらみ)を纏(まと)いつつ齢を重ねてきた身に、フランス料理は過去何回機会に恵まれたであろうか。 と、つまらぬ記憶はともかく
本題に進む。
小林圭(こばやし けい)とは何者だろうか。
Wikiを見ても役立たぬし、下記が参考になりそうだ;
世界へ飛び出した日本人vol.5 小林 圭さん – 装苑ONLINE
>>2020年1月、ガストロノミー界最高ランクの各付けが発表される会場に「ケイ・コバヤシ」の名前が響き渡った。沸き起こる歓声とスタンディングオーベーションに背中を押されながら、ステージに上がったのは日本人の小林 圭シェフである。フランス版ミシュランガイドでアジア人が初めて三つ星に輝いた瞬間だった。
私は偏屈だから 先ず名前からチェックする。
小林さん都道府県別ランキング|名字検索No.1/名字由来net|日本人の苗字・姓氏99%を掲載!!
これを見ると、1位は長野県。およそ64,000人とあり、某(それがし)の母も同姓。姓名に拘(こだわ)る叔父は、どこそこのコバヤシと即答するが、数年前から認知症で都内の介護施設にいる。
すなわち、信州人として不思議な親近感がある。どうでもいいことだろうが、まあご参考に。
長野県出身の特徴【男女の性格、価値観、相性】 | 47の県民性
こんなことまで引用するのが信州人。
>>書籍購入費、横断歩道での一時停止率などが1位。
年間降水量は47位、プロ野球選手出身は、46位。
理屈や議論好きなのは、寒い冬に炬燵でお茶を飲みながらあれこれ話すからとも。
仕事は、真面目で几帳面だが、頑固で融通が利かない、、など。
番組でも触れていたが、一番のポイントは師匠ともいえる中村徳宏シェフとの出会い。
>>
専門学校へ行きながら厨房で働きたいと話しましたが、断られました。そして4つの条件を出されて、全部できるのであれば3日後に電話をしてくるようにと言われたんです」
その条件とは「ファーストフードを食べない」「親しい友だちと一度縁を切る」「彼女を作らない」「スキー、スノーボードをしない」である。
「次の日に『やりたい』と電話したら、早すぎると断られて、そんなに簡単に人生は決まらない、ちゃんと3日間考えるようにと言われました。だから3日間考えてから返事をしたんです。
その厨房では、勿論最初は皿洗いから。彼、小林圭は流しの前に両手を着き「ここが、定位置だった」と語る。3つ星シェフのスタート点だ。
>>そこでの4年間と、シェフの勧めで働いた東京のレストランでの2年間は怒られっぱなしで、一生分怒られた。
非合理的かもしれないが、フランス通の中村シェフから身体で覚えたことと、憧れの地フランスの話を聞いていた彼は、
料理だけではなく、人として生きていくための基礎を中村徳宏シェフから学んだ。
待望の地、フランスに渡ったのは21歳の時。
寒波に襲われた1998年の12月、「ともかく寒かった」という。
>>段々お金が減っていって、結局1か月半パリにいましたが、3日間でバゲット1本を食べる生活をしていました。今でも覚えているのは、12月24日に1人で食べたケバブ(トルコ由来のラム肉入りサンドイッチ)です。フランスに来て最初のご馳走でしたから。日本に帰ったときには栄養失調になっていました、、
1か月間、アルバイトで資金を貯め、再びフランスへ渡った小林は、今度こそはと別のレストランで働き始める。だが、その店は2週間後に閉店。
>>「二つ星のレストランなのに、ありえないことなんです。でも、スーシェフ(副料理長)が前に勤めていた店に一緒に行かないかと誘ってくれました。彼の仕事をもっと見たかったので、行くことにしましたが、数日しか一緒に働いていない日本人をよく信じるなと思いましたね。それで、辞書を使いながら話を進めましたが、本当にその店で働けるのか最後まで不安で。他の誘いを断っていたので、賭けでした」
そして 彼は賭けに勝つ。
移転した先は、ラングドック地方にある二つ星(現在は三つ星)「オーベルジュ・デュ・ヴュー・ピュイ」。シェフはジル・グジョン。
>>ともかく仕事をした。朝8時から始めて終わるのは早くても夜中の2時。作業に追われて空腹でも休憩をとる時間さえなかった。
>>フランス料理は様々な地方料理の集合体である。ゆえに、小林の当初の目的の一つは、地方をまわってその土地の料理を深く知ることだった。その計画を着々と実行した小林は、ラングドッグで働いた後、南フランス、アルザス、ブルターニュのレストランを経て、2003年からパリの「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」に籍を置く。料理界の重鎮、アラン・デュカスが監修するパラス・ホテルのレストランである。
>>地方にいた時から、今パリで誰が一番なのかリサーチしていました。それで、みんなが口を揃えて言ったのが、プラザ・アテネのジャン=フランソワ・ピエージュだったんです。だから、どんなことをしてもそこへ入りたいと思って、少しでも繋がりがある人にコンタクトしましたね。そうしないと入れない世界なんです。
かような長期的戦略をもってパリに戻った小林は、
2020年1月、ガストロノミー界最高ランクの各付けが発表される会場に「ケイ・コバヤシ」の名前が響き渡った。
彼の凄さは次のことだけでもわかる;6年連続で三つ星を獲得
ひとつだけ、小林圭がやり残したことがある。
それは、師匠中村徳宏シェフとの再会だったが、、、、
肺癌にて 平成28年5月1日永眠 享年57歳。
クラブ アトラス名誉会長 中村徳宏氏を偲ぶ会 - クラブ アトラス
まとめ;
15歳の時、テレビで見たシェフのアラン・シャペルが着ていた制服に強く惹かれた小林圭。
ただ、憧れを知る者だけが,我が悩み知り給う、 (ゲーテ)。
そしてこれは、単なるサクセス・ストーリーではない。
もっと知りたい、自分の目で見てみたいという小林圭の気持ちと
やりたいことは 言い続けなさい と諭した中村徳宏シェフによるコラボだと 思った。
