一週間前、ここNKGM会館で、歴史の講演会あり。前回は第2回 「本陣の役割と皇女和宮の通行」
、今回は第3回、「文献資料で探る山城の城下町」
講師は、山崎哲人さん、私と同学年、同じ小学校で行き違い、
講演前に、名刺を出して挨拶、小学校時代の懐かしい友達の名前が数名浮かんできた。
10時から講演; 長野県史、教育編史、など 寛永年間までの資料を集め28巻、補詩、全部で30巻
S40年代半、自治体史編纂が盛んの時期、岸野村史、東村村史、一昨年に南相木村史まださまざまな村史編纂に携わってきた。 長野県町村史
今回、山城(やまじろ)のテーマで講演依頼あり
資料は多いが、あぶなっかしい?? 20枚の絵図を 3つに分類、
上の3つが一番古い
貫高帖(かんだかちょう)
江戸時代の石高以前は 通貨の重さ貫で示した
>>貫高制は、中世の日本において、土地の収穫高を通貨単位である貫を用いて表した統一的な土地制度・税制・軍制のこと。主に戦国時代・織豊期の戦国大名の領国において普及し、統一的な賦課基準として知行役や軍役、諸役賦課体制の基礎となった。(WiKi)
古城主記録 はこれらをベースに
三庄(伴野、平賀、大井) その下に脇郷(わきごう)
伴野の城は二つ、一つは城山館、 もう一つは、前山城(小学校の裏山)
もう一つ、平賀城 これらの城下町の形成についてお話
前山城 加賀美遠光(かがみとうみつ)
日向城、 西からの芦田防御の最前線 しかし、戦国時代の日向といふ地名は消失し、分割
中田川を境にして糠尾、竹田、沓沢 の三つに
伴野12郷が 本郷として、 千曲川の西が 伴野、 東が平賀、