君たちと引き離されてから、長い時間が経ってしまった。

取り戻せない時間が、どんどんとむなしく過ぎていくよ。

 

けど、君たちに会えない毎日が続いているけれど、お父さんは毎日たたかっているよ。

 

色んなたたかい方をしてる。

 

同じように子どもたちと引き離されているお父さん、お母さんと協力して、

子どもたちと引き離されることはおかしいって声を上げようとしたり、

少しでも早く会えるようにって手続きを進めたり、

会えなくても君たちとつながっていられる方法を試してみたりね。

 

お父さんのお父さん、お母さん、君たちのおじいちゃん、おばあちゃんにも、

いっぱい相談して、支えてもらっている。

色んな人たちに支えられて、お父さんは今生きているよ。

 

きっと会えるようになる。

当たり前に会えるようになる。

 

いつの日か、誰も君たちを止める術がなくなるよ。

お父さんはそのときが来るのを待っている。

 

誰かが勝手に決めたきまりや、お父さんとお母さんが仲がいいとか悪いとか、

そんなこと関係なく会えるようになる。

 

親子が当たり前のように、自分たちの意思で会うことに、誰も邪魔などできないさ。

 

だから、お父さんは今、君たちとお父さんが、ちゃんと親子でいられるように、

離れていても、気持ちが繋がっていられるようにと、たたかっているんだよ。

 

きっと、君たちに会うとき、一番初めに言うことは、もう決まっている。

 

「長い間、待たせてごめんね。」

「お父さんはこれまでも、これからも、ずっと変わらず、君たちのことが大好きだよ。」

 

いつまでも、君たちのお父さんだからね。

お父さんはね。

人間は自立して生きていくべきだと思っているんだ。

 

自立するというのは、人に頼らないということとはまた違うんだ。

人に助けてもらうことは、大事なことだ。

 

じゃあ、自立するっていうのはどういうことなんだろうね?

 

反対の言葉で言うなら、依存しないってことなんだ。

人や人の集まりと関わるときに、そこにもたれかかってはいけないと思う。

 

何故なら、そうやってもたれ合う関係というのは長続きしないと思っているから。

自立することというのは、他者に対して敬意を払うということだ。

 

例えばだけど、レディーファーストって知ってるかな。

扉の前で、男性がドアを開けて女性を先に通したりする。

女性が席に着くときに、男性が椅子を動かしたりする。

 

ここで勘違いしてはいけないのは、

こういうとき、当然男性は女性に敬意を払っている。

女性は、女性に敬意を払う男性に、やはり敬意を払っている。

 

互いの存在がちゃんと自立していて、互いに敬意が払われていれば、

男性が女性の椅子を動かして当たり前、とか、反対にそれは男性差別だ、

なんてナンセンスな話にはならない。

 

ちょうどいい距離間で、気持ちのいい空気が二人の間に流れていく。

 

お互いの心の隙間を埋め合う関係ではなく、お互いの心を尊重し合う

関係のほうが、長続きすると思う。

 

いつだって君たちをひとりひとりの人間として尊重していけるように、

お父さんは行動し続けるよ。

ちょっと君たちには難しい話かな。

 

お父さんは、人間が人間である理由は、規範を持っていることだと思うんだ。

それは形がなく、言葉でなく、感情でなく、例えるならばバランス感覚のようなものだ。

 

私たちはとかく、正しいこと、間違っていることとして物事を分けがちだ。

それはある意味では事実をとらえ、正しいだろう。でも、真実ではないと思う。

 

いつだって人間は、正しさを求めて争ってきた。それは歴史が示している。

そして正義はいつも、力の強いもの、声の大きいもの、数の多いものが手にする。

 

考えてみて欲しい。力の弱いもの、声の小さいもの、数の少ないものたちのことを。

正義に目がくらみ、彼らを片隅に追いやって悪とすることは、人間であることと矛盾している。

 

お父さんは性悪説といって、人間は生まれつき悪者だと思って生きてきた。

みな自分のことを第一に考え、欲にまみれて生きているのだと思ってきた。

 

君たちから教えてもらうまではね。

だから今は少し考え方が違う。

 

人間としての規範は、学ぶものなのだ。

生きていくうえで、他者から愛情という形で与えられるものなんだ。

 

正義を声高に叫ぶ者は、その心のなかに規範がないのかも知れない。

愛されず、虐げられてきたことで、学ぶ機会を失ってしまったのかも知れない。

 

君たちが当たり前に人を愛し、愛されるような人間になれるように。

お父さんにはまだまだやり残したことがあるよ。

お父さんは、君たちと会えないままだ。

そして、その時間が長ければ長いほど、心配していることがあるんだ。

 

それは君たちが本当は必要としている愛情を、半分しか受け取れていないこと。

お父さんもつらいけれど、それ以上に君たちもつらい思いをしているかもしれない。

 

お父さんと離れ離れになったこともそうだけれど、毎日を生きている君たちには

それ以外にも色んな事が起きているはずだ。

つらいことや悲しいことを乗り越えるためには、愛情が必要だと思う。

 

愛情というのは、

君たちが、生まれてきてほしいと心から望まれて生まれてきた存在だということ、

君たちが、今生きているということだけで素晴らしいのだということ、

それを言葉で、態度で、君たちに伝えていくことだと思う。

 

愛情をもって君たちに生きる力を与え、人間としての規範を示すのが私たちの使命だ。

君たちは私たちより長く生きて、未来を作っていく存在だからこそ、愛情を受け、

次の世代にその愛情を繋いでいかなくてはならない。

 

メダカの赤ちゃんは生まれてすぐは、栄養のつまった袋をおなかにつけて過ごす。

 

これから先、どうなるかお父さんも分からない。お母さん次第でどうとでも

変わってしまうだろう。

 

だけれど、お父さんは君たちが愛情を受け続けられるように、自分たちの存在を

否定することのないように、君たちが餓えてしまわないように、メダカの赤ちゃんの

栄養袋のように、君たちに愛情を示し続けたいと思っているんだ。

 

一緒に居たころ、ぎゅっと抱きしめたあの感覚を思い出してほしい。

生きるために、愛情を見失わないでほしい。

 

それがお父さんの願いだ。

すこし前の話なんだけどね。

 

お父さんが会社の帰り、駐輪場でお金を払おうとしていたときのこと。

 

300円はかかりそうだったから、財布の中にいっぱいあった10円玉を

使おうと思って、10円を10枚ぐらい手の中に入れておいたんだ。

 

でもいざ払う直前になって、足りないかな?と思って100円玉を

もう一枚財布から出して、手の中に入れておいたんだ。

 

それで払ってみたら結局は多すぎたらしくて、そのうえ100円玉を

先に入れてしまったから、たくさんの10円玉はそのまま手の中に

残ってしまった。

 

あーあ、と思って、翌日またポケットにその10円玉を入れて会社に

持って行った。

 

そしたらその帰り、散髪屋に寄ったんだけど、1080円だったのね。

やった!昨日使えなかった10円玉がいっぱい使えるじゃん!

 

そんなことがあった。

 

まだある。

 

別の日に会社を出るのが遅くなって、行きつけのカレー屋さんが

しまってしまうかもしれないのに、電車が遅れてしまってね。

 

それでもギリギリでカレー屋さんが閉まる前に駅には着いたんだけど、

閉まる直前に食べるのも嫌だなあと思って電車に乗ったのね。

 

そうしたら、アジア人のカップルが英語で話しかけてきて、○○という

駅はこの電車で行けるかというもんで、行けないよ、あっちだよって

教えてあげたんだ。彼ら、喜んで去っていった。

もし、電車が遅れなければ、もし、カレーをあきらめなければ、

彼らに出会うことはなかっただろう。

 

このふたつの出来事に共通してるのは、ついてないなと思ったことが

後になってみればラッキーなことだったり、自分は困ったと思ったけれど

それが誰かの助けになったりしているということだ。

 

運命を簡単に信じるわけじゃないけど、でもこれはひとつの考え方だ。

いま私たちが見ているのは、ほんの一瞬の出来事にすぎない。

 

人生という長い旅の中で、今がいい時なのか悪い時なのかは、

なかなか分からないものなのかもしれないよ。

 

君にはよく言ったね、「終わり良ければ総て良し」「結果オーライ」って。

失敗にくじけず、君たちが希望をもってこれからの人生を生きていけるように。

 

お父さんは頑張るよ。

とうとう、その日が来たんだ。

長く、苦しい日々だった。いや、苦しいことは変わらないが、

これからの日々はこれまでの日々とは違っていくだろう。

 

・・・

 

君たちが連れ去られたあの日から、ずっと、そのままになっていたんだ。

 

君たちと引き離された苦しさから、君たちのものには触れられずに、

動かすこともできずに、そのままになっていた。

 

だから、君が遊んでいたカードゲームも、家に散らばったままになっていた。

目に入ってはいたけど、つらくて避けていたんだ。

 

朝、ふとそのカードを手に取って、枚数が足りているかを確認しながら、

集めてみた。枚数は1枚そろってなかったけど、ひととおり探して片付けた。

 

そして気づいたんだ。

自分がついに変わる日が来たということに。

 

つらいことはなくならないが、それを受け入れるだけの準備ができたんだ、

ということにね。

 

お父さんは自分がつらいと感じているということを自分の中に受け入れて、

ついには生きる力を取り戻した。

 

長かったよ。

 

君たちに会えなくなってから、ずいぶん経ってしまったが、

1日たりとも君たちのことを考えなかった日はないよ。

 

おうちに残された君たちの持ち物を目にするたびに、

君たちと過ごした素晴らしい日々や、君たちが今、

どんな風に毎日を過ごしているかを思って胸が苦しくなる。

 

こうなってから、お父さんは色んな人の本を読んだんだけれど、

その中に、お父さんの苦しい気持ちを助けてくれた本があったって話は、

前に書いたかな。

 

あのときはただ救われたって思っただけだったんだけど、今になって

ひとつ気づいたことがあってね。

 

お父さんはこんなことになってから、ずっとつらいんだけど、それでも

戦わなきゃ、頑張らなきゃ、折れちゃダメだってお父さんは考えてきた。

ここで諦めては君たちとずっと会えなくなるって思ってね。

 

多分、突然に子どもたちと会えなくなったら、他のお父さんたちも同じように

考えるだろうし、頑張ろうとすると思う。

 

だけど、それってかなり無理があることだと思う。

何故なら、その頑張ろうとする気持ちは、きっとつらい気持ちに対しての

反応だから。つらくてぼろぼろなのに、本当はそんなに頑張れる力なんて

残ってない。でも、頑張ろうとしてしまう。いつかこわれてしまう。

 

だから、受け入れるってことが大切なんだなって思ったんだ。

じぶんがつらいってことを、ちゃんと認めて、そのつらさを観察して、

どれだけつらいのか、ちゃんと受け入れてあげること。

 

お父さんは、お父さんみたいな人が子どもたちと会えないとどう思うか、

どういうつらさを味わうかを書いた本を読んで、お父さんが何故いま

こんな気持ちなのかが、はっきりと分かるようになった。

そして、それをじぶんで認めるようにしてから、すこし元気になったよ。

 

じぶんをかわいそうと思うのではなく、ただつらさに身を任せるのではなく、

じぶんでじぶんを受け入れてあげること。

 

まあ、まだ朝は落ち込みがちでつらいけどね。夜になるとすこし元気。

 

はやく君たちに会いたいよ。

君たちの声がききたい。

お父さんは、君にたずねた。

 

「君のことが大好きって、分かる?」

 

お父さんはね。

日本のあちこちを自転車で走り回ったり、色んなところで働いたり、

お父さんと生きてきた背景が違う人たちとけっこう触れ合ってきたと思ってたんだ。

 

そして、そういう出会いや別れの中で、何が悪いことで、何が正しいことなのか、

自分の中で自分なりに考えをまとめてきたつもりだった。

 

それでもどうしようも分からなくてたくさん間違いを犯すこともあった。

君たちとどう付き合っていけばいいのか、全く分からなくなってしまったときもあった。

 

心から安心して生きることのできる世界、まともな世界とはどういうものか。

お父さんはやっとそれに気が付きつつあった。

 

そして、君たちとついに離れ離れになってしまうまで、ずっとその実現を願っていたんだ。

 

こうやって君たちと引き離されて思う。

正義とは何か。正気とは何か。

何と比べ、何を拠り所にそれを推し量ればよいのだろう。

 

同じ境遇になってしまった人たちと話をすればするほど、その思いは強くなる。

あまりにもたくさんの苦しみと、あまりにもたくさんの正義があふれている。

 

皆それぞれの正義を抱え、幸せを願って生きていて。

それが間違っているかどうかなんて、誰にも分からないだろう。

 

でも、お父さんは思う。

手をつないだ時の手のぬくもり、抱き合った時に感じたあの安心感。

あれこそがすべての答えだ。

 

君はお父さんにこう答えたよね。

「ぎゅってしたから、わかる。」

 

君たちにその安心を与えつづけられるようにすること。

それがいつまでもお父さんの目標であり、道しるべだ。

 

正気を失ってはいけない。

幸せとは何だろう。

 

色々、思い浮かべながら、そこへ向かって走ってきたように思う。

最初はお金や物の豊かさにとらわれていた。身近にある幸せに気づいていなかった。

 

しばらくして君たちが、お金や物の豊かさでは得られない、幸せに気づかせてくれた。

お父さんは改めて君たちと過ごす時間の素晴らしさに気づいて、それを幸せだと思った。

 

そして君たちと引き離されて、生きていくためにどうするか考えていた時に、思ったんだ。

また同じことをやってるのかもな、って。

 

君たちと引き離されて、君たちと過ごす時間を奪われて、幸せを失ったように思っていた。

もちろん、君たちと過ごす時間が失われてしまったことは本当に残念なことだ。

とても他のことで取り戻すことなどできないだろう。

 

でも、お父さんは自分のことを見て、自分が昔、お金や物の豊かさにとらわれていたことを思い出した。そのときも、自分の頭の中にある幸せに少しでも近づこうと、もがいて苦しんでいたなあと思ったんだ。

それって、今と同じじゃないかと思ったんだ。

 

君たちと会えるように頑張ってはいるけど、会えるかどうかは分からない。

正直に言って、お母さん次第。お母さんが君たちをお父さんに会わせる気があれば、

すぐに会えるようになるだろうけれど、それはまだどうなるか分からない。

それに、お父さんや君たちが互いに会いたいタイミングで会えるとは限らない。

 

君たちに自由に会えて、むしろ一緒に暮らせて、君たちの成長をすぐそばで見守れること、

君たちをのびのびと育て、いつか巣立つときのために心に愛情を蓄えさせること、

それがお父さんの思う、お父さんの幸せの形だ。

 

その幸せを追い続けて、その幸せにたどり着けない苦しさでもがき苦しむ毎日。

これで本当にいいんだろうか?

 

人生はあっという間だけれど、それでも毎日の人生を生きるっていう道のりは長いものだ。

その道を歩くときに、苦しみながらではきっと歩ききれないだろう。

 

苦しさがなくなるわけでもないし、その苦しさをほかの幸せで取り戻せるわけでもないけれど、

それでも、今を幸せに生きることは必要だと思う。

 

今この瞬間を、どうやったら幸せに生きることができるのか?

これからお父さんは、そうやって自分に質問しながら生きていくことになるんじゃないかな。

雪がたくさん降ったね。

きっと君たちが今いるところにも、雪が降ったんだろうな。

お父さんはほんとうのところは分からないんだけど、勝手にそう思っているよ。

離れていても、いつも同じ空を眺めている、そう信じたいから。

 

懐かしいな。

前にたくさん降ったときは、君とかまくらを作ったよね。

スコップとちりとりを使って、一生懸命に雪を積み上げて、今度はそれに穴を開けて。

 

あの頃も問題は山積みだったけど、それでもまだお母さんとも何とかやれていたんだ。

何とか同じ方向を向いてやっていこう、そう思っていた。こうなった今もその思いは変わらない。

 

実現するかどうかはまた別の話だけどね。

 

今日ね、お父さんと同じように子どもたちと会えなくなった、ある人が書いた本を読んだよ。

そこには同じ境遇の人の助けになる色々なことが書かれてたんだけど、その中のひとつに、

「子どもに会えない親」は、「生き残らなければならない」っていう風に書かれててね。

 

そうなんだ。

君たちのことを思うと、やりきれなくなるときがある。

 

やりきれなくて、生きる力が失われていくのを感じるときがある。

積極的に死を選ぶ考えはない、けれど、徐々に自分が死んでいく、そんな感覚がある。

 

ふと目を覚まして、誰もいない部屋を見渡して、布団をかぶる。

眠りにつき、起きて、食って、飲んで、また眠りにつく。

 

涙が出る。君たちのために何もできない。

無力な自分を呪うことしかできない。

 

何もしていないわけじゃない。できることはやっているはずだ。

しかし、君たちに会えない事実は変わらないまま、時間だけが過ぎていく。

 

なぜ、こんなことが許されるのか。なぜ、親でありながら子らと隔絶されるのか。

会いたいときに会えない、そのなぜに答えてくれる人はいない。

 

そうやってつらい日々を過ごしてきたけど、お父さんは「生き残る」ことに決めたよ。

何年かかっても、何十年かかっても、君たちに会えるその日が来るまで。

 

そして、君たちとの時間を少しでも長く過ごすために、お父さんは生き続けるよ。