君たちが連れ去られてしまったあと、ほとんどのものはそのままの場所に置いたままだ。

よほど慌ただしく出ていったのか、まるで泥棒に入られたみたいになっているけど・・・。

 

置き場所を変えることや、そこに視線をやるだけでも、いろいろ思い出したり、君たちと過ごした日々を懐かしく思ったりして、結構つらくてね。

でも、変える勇気も必要だと思っているんだ。捨てられないけど、少しずつ箱に詰めて、しまうぐらいはできると思う。

今はあの日からまるで時が止まったようになってしまっているけれど、立ち止まらずに歩き続けるためにも、お父さんが生きる力を取り戻すために必要なことを少しずつやっていきたいと思っている。

 

毎日悲しい気持ちに囚われることは変わらないし、まだ無理はできないけれど、少しずつ変わってきているようにも思う。

最初は、ストレス反応なのか、色々と頑張り過ぎてしまう感じで、無理して色んなことをいつも以上にやったりしていたんだ。

それが、しばらくすると逆にひどく落ち込んで何もできなくなってしまった。

 

でも、今は悲しい気持ちになってから前向きな考えに切り替わるまでの時間が少しずつ早くなって、だんだんお父さんの心が立ち上がってきているという実感があるよ。

 

君たちを本当の意味で救済できる日まで、お父さんは戦い続けるよ。

 

 

 

このところ、あまり気分がすぐれないよ。

あれやこれやと考え始めると、不安になって、ずっとぐるぐる考えてしまう。

 

でも、ぐるぐるしたあとにいつも思うんだ。

報われるか報われないかを、過去を振り返ったり、立ち止まって未来を案じたりしても仕方がないんだって。

頑張ったから報われるわけでもないし、理不尽なことがなくなるわけではないけど、歩き続けるということが生きるということなんだと思う。

 

お父さんが若いころ、長い距離を旅したことがあるんだけれど、その時もそうだった。

雨の日、晴れの日、暑い日、寒い日、体調を崩してしまった日・・・。

いろんなことがあったけど、とにかく前に進んで、ゴールを目指したんだ。

 

とにかく、道を歩き続けることなんだと思う。

 

お父さんは立ち止まらずに、歩き続けるよ。

君たちのことを考えながらね。

お父さんの戦いはまだまだこれから、始まったばかりだ。

 

無邪気な子どもたちや子連れの親を見るたびに寂しさに囚われて、夜にならないと外出できない。その子どもたちには何も思うことはないが、声を聞くことで、君たちを失っている現実が襲ってくる。

 

夜寝る時も何か音を鳴らしていないと落ち着かないし、眠さがこらえられなくなるまで寝られない。声を上げて泣く。泣き終わって、辛いけど頑張ろうとなる。その繰り返しなんだ。そうやって、少しずつ、少しずつ平静を取り戻そうとしている。

 

考える時間とテーマだけは、たっぷりとある。

子どもたちのためにって言うけど、何が本当に君たちのためになるのか?

 

結論なんて出ないが、ただ確かなことは、君たちはモノじゃあなくって、立派なひとりひとりの人間なんだということだ。

単純にお父さんが君たちの側に居たいからって、それだけで君たちを私のもとに連れてこようとすることは、お母さんがやっていることと何も変わらない。そして、いつまでも喪失感に囚われて、見苦しい姿をさらし続けるのも親としては間違っていると思う。

 

君たちと本当の意味での絆を取り戻すには、一面的な考えに囚われていてはダメなんだと思う。

 

ぐるぐると考える中で、たくさん、たくさん同じ境遇で苦しんでいる人たちがいることも知った。

ひとりひとり生まれや育ちが違うように、皆それぞれに違った背景を抱えながら、しかし同じ問題で苦しんでいる。

 

苦しみに耐え切れず、命を絶つ人もいる。

先の見えない中で、理不尽な現状に毒を吐く人もいる。

同じ境遇なのに、背景が違ったり、主張が違うだけで消耗し切った者同士でいがみ合っていたりもする。

正義と正義がぶつかることほど不毛なことはない。

 

皆、自分の信念に従って一生懸命頑張っている。

 

私も頑張ろうと思う。

道の向こう、君たちに会うために。

君たちはずっと、私たち夫婦を見てきた。

そして、君たちふたりの願いは、家族がみんな揃って、仲良く暮らすことだったと思う。

 

それをかなえてやれないのが、本当につらいよ。

 

そして、何より苦しいのは、大人の都合で無理やりに君たちの意思が踏みにじられたことだ。

結局、嫌がっていたのに小学校も無理やりに転校させられてしまった。

幼い心にどれだけの苦しみを背負ったのだろうと思うと、やりきれない。

 

そのうえ、お父さんは、君たちがどこにいるかさえも、分からないんだ。

お母さんは君たちの意思を無視して連れ去っておいて、どこにいるかはお父さんには教えられないというんだ。

 

連れ去られる前、お母さんが計画していた“ひみつの引っ越し”についてこっそり私に打ち明けてくれたね。

引っ越しする日のこと、裏で手助けするママ友の存在、小学校を転校させられるのが不安なこと、パパと暮らしたいこと・・・。

あれから私は、何とかお母さんの暴挙を止められないかと必死になった。

 

お母さんに直接言うわけにはいかなかった。

激しいケンカになることは明らかだった。

たとえお父さんが正しいことを言っても、分かってもらえるとはとても思えなかった。

 

何とか手がないか、あちこち走り回った。

お母さんのお母さん(君たちのおばあちゃん)も、助けてはくれなかった。

市役所も、児童相談所も、支援センターも、誰も助けてはくれなかった。

 

そしてある日、予定の日よりも早く、突然に君たちは連れ去られてしまったんだ。

 

いつものように寝かしつけをして、「大好きだよ」と伝えたあの夜。

いってらっしゃい、と笑顔で送り出したあの朝。

 

それから私たちは離れ離れになり、連絡も取れなくなった。

 

お父さんは思うんだ。

 

家族の形は色々だ。

だけど、どんな形であれ、子どもは親の愛を等しく受けられるようにすべきだと。

 

大好きだよ。

君たちにはまだ難しい話かもしれない。

人が生きるためにはね、何か理由が必要なんだ。

 

早い人は、小学校中学年ぐらいから、だんだんと自分が生きている意味を考え出すんだ。

そこからは、自分の人生に何かしらの意味を見出して皆生きていく。

 

お父さんにももちろん、生きている意味が必要だった。

君たちと一緒に過ごした日々、それはいつだって、君たちが生きがいの日々だった。

君たちと上手くいかない時も、上手くいっている時も、君たちがお父さんの生きる力になっていたのは間違いないことなんだ。

 

今、お父さんは君たちと離れ離れで、生きる意味を失ってしまっている。

 

少し難しいけど、別の話をしよう。

お母さんは君たちが大人になるまでの間、お父さんから生きていくためのお金をもらうつもりなんだ。

そのお金をもとにして、毎日の生活をやっていこう、そう考えているんだ。

お母さんがお母さんの働いている会社からもらうお金だけでは、とても君たちを食べさせてはいけないからね。

 

だけどね、お父さんは、お母さんに君たちを連れ去られてしまったことで、生きる力が弱くなってしまったんだ。

もしかしたら、生きる力の弱くなったお父さんは途中で力尽きて、働けなくなってしまうかも知れない。

 

そうしたら、お母さんがお父さんからもらうはずだったお金は、もらえなくなってしまうんだ。

つまり、君たちを食べさせていけなくなってしまうということなんだ。

お母さんはそこまでちゃんと考えていたのだろうか、お父さんにはわからないよ。

 

話を戻そう。

ひとつ言えることは、お父さんは確かに弱ってしまったけれど、君たちと会えない間も、ちゃんと生きていけるようにしようと思っているんだ。

そのために、人生は素晴らしいものだと思えるようなものを、ちゃんと見つけようと思っているんだ。

 

君たちに再び会えるかどうか分からないけど、会えることがあるなら、その時に恥ずかしい姿を見せないように、しっかり生きようと思っているんだ。しっかり生きるっていうのは、人生を前向きに考えて、ちゃんと楽しむってことだ。

 

子どもと離れ離れになった父親は、たいてい荒れた生活をしてひとりさみしく死んでしまう。私はそんな生き方が正しいとは思わない。君たちが無用な罪悪感や悲しみを背負うことがないように、いつだって健全に君たちを迎え入れることができるように、お父さんは笑顔でいなきゃと思う。

 

美しいものを美しいと感じ、美味しいものを美味しいと感じ、感動をもって人生を歩む。

お父さんはそういう人間でありたいと思うんだ。

戦いを諦めることは、実は簡単なんだ。

お母さんの言っていることを、そのまま受け入れれば戦わずに済むんだよ。

 

そして、君たちを奪われた今、私が戦う意思を示せば、君たちに会えなくなる可能性も高くなってしまうだろう。

君たちに会いたくて仕方がないし、君たちの毎日の出来事を知りたい、君たちに触れていたいのに、どうしてそういうリスクを負ってまで戦うのか?

 

正直言うと、戦うのはとても苦しい。戦わずに終わらせられるのなら、その方が楽かもしれない。

私は君たちに会えない時間が長引けば長引くほど、消耗していくだろう。毎日かさぶたのつかない生傷が増えていっているようなものだ。

士気を保つのは困難を極めるだろう。

 

お金だってかかる。戦うためには弁護士の先生にも助けてもらわなければいけない。決して安くはない費用を払わなければならない。

 

それでも、何故戦うのか。

 

それは、認めることができないからなんだ。

君たちと平穏に過ごした日々を、一方的に子どもを奪い去って破壊したお母さんの行為を、黙って看過するわけにはいかないからなんだ。

 

戦わないということは、そういうことをしても良いと認めたのと同じなんだ。

親でありながら君たちの権利を踏みにじり、無理やり自らの人生に隷属させたお母さんの行為は、断じて許すことができない。

認めることができないんだ。

 

葛藤がないわけじゃないよ。このような戦いをしなければならないこと自体、君たちには申し訳ないと思っている。

お母さんをここまでさせるに至った私にも、罪の一端があると思っている。

 

しかし、それと君たちと会えないことは何の関係もないことなんだ。

親同士の葛藤が、親子の関係を引き裂く理由になるなんて、間違っているんだ。

 

離れ離れになるその日まで、君たちと私は互いを信じ合い、尊重し合っていた。

 

だから私は戦う。

信念が道を拓くのだと信じて。

君たちを失って1ヶ月が経ち、とうとう新しい年が来てしまった。

君たちのことを忘れた日など1日もない。

 

君たちと過ごした掛け替えのない日々を、ちょっとした拍子にいつも思い出すんだ。

出来ることなら今すぐにだって会いに行きたいよ。

 

離れ離れになる前にいつもそうしていたように、きつく抱きしめて、「大好きだよ」と伝えたい。

一緒に遊んだ公園も、一緒に過ごしたおうち、過ごした街並み、思い出すらも、何もかもが君たちを失った悲しみとなって沸き上がってくるよ。

 

でも、現実に君たちには会えない。会いたくないわけではないんだ。それだけは分かって欲しい。見捨てたわけではないこと、君たちへの愛は変わらないことをどうか分かって欲しい。もし私が強引に君たちの居場所を調べて、会いに行くようなことがあれば、もう二度と会えなくなってしまうかも知れない。

 

だからなんだ。

 

訳が分からないよね。君たちと私は、何の問題もなく親子だったのだから。紆余曲折あったが、間違いなくお互いに親子として愛し合うことができていたと思う。だけど、恐ろしいことにこの国では、引き離された親子が会うためには、会いたいという気持ちだけでは会えない仕組みになっているんだ。

 

何度でも繰り返すけれど、私は君たちを変わらず愛している。

どんなことがあっても、君たちがどんな境遇にあっても、それは変わらない。親というのはそういうものだよ。

 

そして、大事なことがもうひとつ。

お母さんを嫌いにならないで欲しい。私は、お母さんのやったことは、独善的で、ただ巻き込まれるしかない、幼い君たちを踏みにじる行為だと思っている。それに対する私の憤りも、とてつもなく激しいものだ。だけれど、一方で、行為を責めることはあっても、人間を否定してはいけないと思っている。

 

それは、道徳的に考えてそう、ということもあるのだけれど、やはりお母さんも君たちの親であることには変わりないからなんだ。

私がお母さんの悪口を言いたい放題言うことは、分身たる君たちを直接傷つけているのと同じだからね。

 

そして、君たちに、心の拠り所としての幸せな家庭を築いてやれなかったことに、本当に申し訳なく思っている。

でも、時は流れていき、人生はこれからまだまだ進んでいく。

いつも私が言っていた言葉を思い出してほしい。

 

「終わり良ければ総て良し」「結果オーライ」

 

信じて努力していれば、いつになるか、どんな形になるかはわからないが、必ず良い結果に結びつく。

そう信じて、私もこの辛い毎日を戦っていくよ。

 

離れていても、いつだって愛している。君たちのことを思っている。

どんなときも、君たちが困ったときに最後の砦になれるように。

君たちにとって、2018年という年が少しでも良くなるように、私は努力していくつもりだ。

 

そして、いつか、君たちの隣で君たちの成長を見守れることを願って止まない。