まあ、タイトルだけで言いたいことが済んでしまった感もありますが。
今月は東京神奈川方面へ行ったり、鹿児島に行ったりして、家を空け過ぎて、帰ってからもあっちへ行ったりこっちへ行ったり、ふと気づけばいつのまにか大晦日でした。
いつも、あっという間だったとか、短いねぇとか言いながら迎える年末ですが、わたしにとっての今年は、とても、長かったです。
そんな中、東京の姉が病魔にやられ大手術。
もうダメかもしれないと、ふたりで泣いてばかりいた幾夜。
リハの最中にワガママを言って東京へ。
手術は成功したものの、身体は弱り再発に怯える毎日。
そんな事があったけど、おかげさまで今のところ、まだ姉はちゃんと生きています。
先日もふたりで後楽園のスパに行って、岩盤浴をしてきました。
そんな春の25周年は大成功。
本当にありがとうございました。
バタバタしながら、夏と秋はイベントをとにかくこなす。
秋に、ふと気がつくと10回目だった札幌打団主催の大打団ライブ、楽しまNight!
怪談と、太鼓という、面白いライブになりました。
色々たぶんいっぱいいっぱいだった秋に、珍しく1人でのステージが有り、さてと、自分が独りで何ができるのかと自問自答。
普段豊太鼓のみんなと大人数で打ったり、れいかさんと打ったりで、全くひとりぼっちで打つことはなかったのです。
大太鼓のコンテストくらいでしょうか。
本番はしっかりドカドカしたものの、なんだかそれまでの漠然とした不安が次々とわきでてきます。
自分の太鼓はどこまでやれるのか。
もう本当は私は歳をとって見苦しいのではないか。
指導に専念して、若い子を伸ばす方がいいのではないか。
姉が来て生活するとなるとアコギな太鼓打ちではなくて、また事務職を探したほうがいいのではないか。
いやいや本当は旦那さんのところに行ったほうがいいのか。
打つことと魅せることは違う。
観せることと稼ぐことも違う。
でもその全部で私が成り立っている。
いろんな事がグルグルと頭と心を揺さぶるのでした。
毎日、太鼓を打ちながら、なんとなく混沌とした心。
トドメを刺すように届いた同級生の訃報。
命ってあっけない。
棺の中の顔を思い出すと、今でもすぐに涙が出る。
同じ頃に遠く離れた親友が心筋梗塞で緊急手術したと知る。
危なかったけど九死に一生を得たと。
もう若くないんだなって思い知る。
私に残された時間だって、今まで生きた分よりは短いだろう。
そんな私の前に、以前から知っていたけど遠いから関係ないと思っていた大太鼓の合宿の案内がヒラリと飛び込みます。
大太鼓はずっと自己流で、1番自信が無いパート。
なぜか今年はどうしても川崎でやっているコレに行きたい!
と、何かに呼ばれたみたいに参加してきました。
これが本当に良かった。
本当に色々色々色々な事を考えて、感じて、確かめて。
言葉にすると簡単過ぎて困るけど、本当に参加して良かったとしか表現できないのです。
なので、まだまだ太鼓を打っていたいです。
札幌打団を始めた頃は、よく、どうなりたいのかとか、なにをやりたいのかをハッキリ見据えて!なんて言われたのだけど、それが、未だにわかりません。
その時その時を大事に、太鼓に向き合って、その時その時に出来ることを、太鼓を通じてやれたら、それで幸せなんだと思います。
応援してくれる人、支えてくれる人、大事な仲間、家族、みんなに感謝しています。
今年も無事に生き延びたことも本当は奇跡かも知れません。
豊の代表がよく、死ぬまでしか生きられないと言うのですが、その通りで。
死ぬまでしか生きられなくて、いつ死ぬかわからないのです。
だから、明日のことも来年のことも将来のことも考えながら、今を大切に生きようと思います。
長々書いてしまいましたが、本当に本当にみんな生きててくれてありがとう。
幸せな人も楽しい人も苦しい人も悲しい人も辛い人も生きててくれてありがとう。
そんな気持ちの大晦日です。
あーちゃんは5月に我が家にやってきました。
そして、こんなに、大きくなりました。