だそうです。

 

 

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なんで?
と思って調べてみると

 

 

小倉百人一首を

藤原定家が完成させた日

とされているからだそう。

 

 

和歌はけっこう好きなので

これまでも当ブログでも

ネタにしてきたことはありますが

 

 

百人一首全体は

個人的にはあまり馴染みが

ありません😆

 

ただこの小倉百人一首が

完成したのは1235年

 

そこから800年の時を経て

今なお普通に存在し

 

現代の競技の模様が

映画や漫画になっているというのも

すごいことですね

 

 

このちはやふるを使った

百人一首の歌に

 

在原業平の

 

「ちはやぶる

 神代も聞かず

 竜田川

 から紅に

 水くくるとは」

 

があります。

紅葉が川に散り、

川を染め上げていた情景を

歌ったとされるこの歌

 

たった31文字で

その情景を想像させてしまう

和歌の素晴らしさでもあると思います。

 

 

きっとこんな情景だったのでは

ないでしょうか?↓

 

https://grapee.jp/1017479

 

 

そういえば先日は

ちはやぶる神代より続いてきた

から紅にくくられた

巌の上を歩いてきましたね😉

 

 

「ちはやぶる神代には、歌の文字も定まらず、素直にして、事の心分きがたかりけらし。
人の世となりて、素盞嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字は詠みける」

 

とは古今和歌集の仮名序の一部。

 

現代語訳としては

「神世には、歌の音の数も決まらず、飾り気がなくありのままに歌ったので、言っていることの内容が判断しにくかったらしい。
人の世になって、素盞嗚尊から、三十一文字(の歌)は詠むようになった。」

 

となるようです。

 

 

現代語訳はこちらのサイトを参照させていただきました。

 

 

映像技術が進歩して

世界中の色々なところの映像を

みることができるようになった現代

 

もちろん目に見えるもは

詳細に映しだされますが

 

目に見えないもの

「事の心」

を映し出すことには限界が

あるようにも思います。

 

古今集の序文にあるように

 

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」

 

人の心を種として、言葉を紡ぎ

思うことを表現する。

 

何も日本語に限ったことではないと

思いますが

 

心を表現するにあたり

よろずの言の葉に

勝るものはないのでは

ないでしょうか。

 

古今集の仮名序は

1000年以上前に書かれたものですが

そこに書かれているものは

現代とも通じるものがあります。

 

そんな素晴らしい仮名序を

書いたとされるのが

 

紀貫之

 

冒頭でも触れた過去記事で

取り上げた歌

 

「袖ひちて

 むすびし水の

 こほれるを

 春立つ今日の

 風やとくらむ」

 

を詠んだのも紀貫之で、

この歌は

古今集にも取り入れられています。

 

 

全部を詳細に説明することが

重要な時もありますが

 

文字を31文字に限り

敢えて説明せずに

相手の想像に任せる

 

または読み手が

作者の気持ちを

推し量る

 

そういう日本の文化が好きです。

 

最近は、

ネガティブなイメージが

付き纏ってしまっている

「忖度」

 

正しく使われれば

感性を重んじ、相手の気持ちを考える

良いことなんですけどね。。

 

いずれにせよ、

よろずの言の葉を紡いで

万葉の時代より受け継がれてきた和歌

 

有名無名を問わず

先人たちの名歌は

その時々の心境を表すのに

ちょうどよいときもあります。

 

そんな数ある名歌の中でも

だーちょーのイチオシは

平家物語のこちら。

 

「行きくれて

 木の下陰を

 宿とせば

 花や今宵の

 主ならまし」

 

雨続きの香港、

花が宵の宴の主となる宿へ

泊まりに行く日に

思いを馳せつつ🏕

 

 

 

みなさま、酔い週末を🥂😉