剱岳 点の記、香川照之や浅野忠信のもう少し若い時の作品。
この記録は、剱岳という前人未到の山の測量を試みた柴崎芳太郎らの登山の記録を記したものだ。
彼らは、雪崩や暴風雨などの死の危険にも決して怯まず、誰も成し遂げられなかった登山を成し遂げたが、当時の軍部の意向により、その記録が公式には残されなかったとされている。この映画は、口伝などにより伝わってきた現地の記録をもとに制作されている。
この映画は、本当に人生のエッセンスが詰まった作品だな、と思う。
本当に誰も成し遂げ得ない目標の前では、誰もが立ちすくみ、反対し、そして損得勘定で自分の判断を決めていく。登山の前、現地の案内人達は口を揃えて「割に合わない」と言い、山岳隊の面々は、自分達が最新の設備で登頂すると意気揚々と柴崎達を見下していた。
だがどうだろう。剱岳の難攻不落の登山ルートは、登山隊を途方に暮れさせるのには十分すぎた。柴崎の強い意志がなければ誰もその山に登ろうとも思わない。でもいざ登るとなったら、登山隊は自分達を大いに尊敬し合い、知恵を出し合い、時には勇気を出して自己犠牲をし、目標に向かって突き進んだ。
誰も登れないから登る、別に自分達が登れなくても、誰かが登ってくれるから自分達も登る。登った者達は、自分達に傲慢になることなどできない。お互いの協調や果敢な行動無くしては、この難題に取り組めないと知っているからだ。
僕たちの現代は、「投資の論理」で物事が進んでいる。短期的に成果が上がらなければ投資が打ち切られるし、成果が上がるためのチームを作る。それはまるで山岳隊が備えていた最新設備のようだ。山岳隊は常に不安なはずだ。結果なんて出るか分からないのだから、でも結果が出せる人材として毅然と振る舞わなくては、自分に期待が集まらなくなってしまう。だから、意図的に傲慢であり続けなければならない。
だが、大いなる難題に対して答えが見えない場面では、設備ではなく意志を持った仲間の存在こそが大事である。傲慢は入っていく余地などないのだ。大きな物語の中でいかに前進するか、改善するか、そこに焦点が当たっているのだから。
上記のような意味で、僕たちの結果至上主義の窮窮した心は、自分だけではコントロールができない大いなるテーマに立ち向かい続けることでしか解消できなそうだ、と思う。結果や他人の評価が軸なのではなく、自分が全力でアプローチし続けられのだという納得感が人生の全てなのだと思う。そして、自分は挑戦者でしかないのだから、挑戦させてもらえることに感謝、周りに挑戦を一緒にするメンバーがいることに感謝しなければならない。
今自分は、外資企業の世界の中で生きているのだけど、だからこそ見えてくることがあるのだな、と思わされた。