最近、デジタルカメラを買った。値段は中古で18万円だった。
こんなに高いデジカメを今更なんで買うんだ、と、カメラに興味がない人は言うだろうし、スマホで撮るのでいいではないかと言う反論も認める。実際、スマホで撮る写真っていい。
けどもどうしても、肉眼で見たものをそのまま表現してくれるカメラに出会いたかった。それも、瞬きをするようにその瞬間に取り出せて、今その時の感情を切り取ってそのまま残せるような。これは一眼レフでもダメだし、望遠レンズもダメだ。デジカメでなければならない。
私たちは一瞬一瞬がその瞬間で意味を持ち、そして全く意味のない断片になってしまう。いかに濃厚な思い出だったり、感動的な瞬間を味わったとしても、その時の感覚をそのまま次の瞬間に持ち越すことはできないのだ。それは老いという現象とオーバーラップするように思う。すごく意味のある瞬間に出会った時に、保存したり、再現したりする能力が低下してくると、自分の中に蓄積するという行為そのものに虚無感を感じるようになってくる。蓄積のフィルターが存在と共にどんどん透明になっていく、それが老いである。
という訳で、この瞬間を切り取り、当初の感覚をできる限り保存できる手段があればいいな、なんて思った訳である。
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私の狙いは、的中したと言える。私の意図やその時の繊細な感覚を、このカメラ(GR3)は再現するどころか明瞭にしてくれるのである。輪郭は際立ち、明かりはこうこうと光り、そこに映るものには全てに意図を感じられる。買って良かったなと。
買う時はメルカリで18万円で決済したのだけど、決済した後で高額決済に冷や汗が出てきて、「ごめんなさい、誤って買ってしまったんです」とまで送ってしまった。もっと潔くなれればそれに越したことはないというのに、なんという体たらく。でもそれも含めてカメラへの衝動だった訳である。
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感覚的には、子供を撮ったり、写真を撮ったりするのは、ミラーレス一眼とかが良いと思う。私はLumix S9という機種を標準レンズで使っているけども、やはりズームが出来て色が鮮やかに撮れることはデカい。ではコンデジを使うのはいつかというと、やはりストリートスナップ、どちらかというと静的なまちの風景や花や動物の写真を撮るのに使おうと思う。
試しに、自分が住んでいる梶ヶ谷という地で写真を撮ってみた。
この土地は、田園都市計画の末端で、開発の歴史も相当に長い。1966年に田園都市線が二子玉川園から延伸してきた。この土地のダイナミクスを写真に収めるとしたら、それは2つ。田園都市線と尻手黒川道路だと思う。どちらもの人と物の移動を担ってきた大きな動脈で、沿線を中心に発展をしてきた。通過駅・通過点であり、そしてあまり整備のされていない道の広がる住宅地なのである。
私は当初、なぜこの地に居を構えたのか、自分で自分が分からなかった。窓を開けたら流れてくるのは海風ではなく高速道路の雑音であり、外に出たら歩道が異常に狭い坂道が待ち構えている。こんな理想的で、整備されたアーバンライフとは真逆をなぜ選んだのか。
今になってようやくわかる。この土地のこういうどこにでもあるありふれた感じが好きなのである。おそらく川崎という場所柄というか、日本のどこに行っても見応えがない日常と見応えがない景色が広がっていて、そんな最大公約数的な生活に慣れていって、そんなもんだと思いながら自分とは何者なのかを確認している。そういう意味で、私はこの雑多でのっぺりとして、最大公約数的な街にも、色があるんだと思うのである。むしろこの街が嫌いだ・この街には何もない、という思いは、その色や日常への感度が弱りきっているだけのことなのである。
だから、最初に写真を撮るのが梶ケ谷で良かったなと思う。これから写真を撮っていくのは主に、その地域の写真、その地域を一番表しているのはどんな場所なのかという問いを持って写真に向き合ってみようかと思う。
