リモート勤務をしている身にとって、仕事の後の時間は非常に大事だ。
仕事というのは文字通りの仕事だけではなくて、家事をやって育児をやって、それから勉強をしたりの時間も含めて、やらなければならない仕事。自らに課せられた仕事だ。そう思うと、30代男性という生き物は積み上がるTODOに塗れて日常を生きている。
僕にとって仕事の後の時間は、自分にとってようやく訪れる一人になれる時間である。与えられた枠にはまらない時間である。要するに、求める自由である。
なのだけど、その時間が休息という意味では全く意味をなしていない。むしろ与えられた自由をどう謳歌すべきかと考え・選択しようとすることでむしろ脳みそを酷使している。
例えばAmazon Primeでドラマを選ぼうとしても、どのドラマが自分にとって最高なのかと考える。考え、考え抜いた末に、どのドラマも時間を費やす価値がないのではないかと思いリモコンのスイッチを消す。スイッチを消すと、自分が時間をどう使うべきなのかを考え始め、そして何もすることがなさそうだと気付かされる。その瞬間に汗がドッと出てきて、頭がくるくるし始める。もう自分は与えられた自由を楽しむことはできないのだと。
自分が何も選択する必要もなく、意味もなく過ぎ去っていく時間の塊が日常だとするならば、日常はどんどん居場所を失っているのではないかと思う。常に自分の時間の使い方に選択を求められ、常に自分にとってベストである時間のマネジメントをして、色んなものを得られたかと思いきや、掴み取ってきたものは自分にとって無価値だと気づいて愕然とする。今まで日常だったものがどんどん少なくなっていく。
恐らくこの日常という感覚・定義は、この時代に特有なものなのだろうな。
自由に使える時間や時間を使う選択肢が増えたからこそ、その時間を使って何かやれると思ってしまう。その結果、本来発散や遊びに充てられるべき非日常という時間は、日常でも非日常でもない、よくわからない焦りの時間になってしまう。副業とか・ライブ配信とか・趣味の映画を見るとか、全部自分の過ごす時間に意味がないと耐えられない。
何も選択しない日常という時間を取り戻さなければ。
選択せず、流れに身を任せて、とにかく日々を生きる。そんなことを切に望むのだよね。近頃は。