病院というコミュニティが最高な件について | OldLionの備忘録

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年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。
いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。
そんなライオンになるための日進月歩。

最近、尿管結石になって入院した。身悶えるというのはこのことで、夜間の緊急外来で病院に到着してから近所の大学病院で石が落ちたと思われるようになるまで、かれこれ12時間近く石の痛みに叫び続けていたわけだ。これからは尿酸値と向き合う生活をしなければならない。別に今も贅沢病でいるわけではないけれど。

 

私のような一般人が大学病院に入り込むことはできないので、やはり紹介が必要なのだけど、偶然にも夜間搬送された病院が近くに分院があることで診察に潜り込むことができた。そんな知恵を授けてくれた母に感謝だし、何より付き添いがなければ、今にも絶望で自死を選ぶんじゃないかって痛みであった。

 

病院に来るたびに思うことは、病院というこの閉鎖的な空間が私はとても好きだということだ。それぞれ専門家である医師がいるわけだが、救急や診察などの対応を考えて臨機応変に対応していく。自分が専門とする以外の部分の勉強会とか当直とかも対応するわけで、まさに病院というコミュニティ・システムを維持するために個々人がモザイク状のアメーバになって動くわけである。

私の知り合いが「自分のキャリアを選択しない古い人々乙」という風に、メンバーシップ制の雇用を批判していたのだけれど、その人は一旦病院にかかっていかにシステムが一糸乱れず動いているかを体感したらいいと思う。

 

システムの”良質な歯車”となることで、この閉鎖的なコミュニティにおけるかけがえのない人間関係にアクセスできるというのもある。とにもかくにも、看護師さんは気が利くし、医師の方は患者さんを向いているのであるから、そんな中で自分が磨かれていくのである。

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さて、最近では、このコミュニティというものが、ますます捉え所のないものになってきている。サロンやなんとかコミュニティに参加すると、「コミュニティ参加者1万人」みたいな数字の上でオンライン上でチャットが繰り広げられる。そして、サービスの提供者が崇められるのはこのMAUとかPVとか登録者という仮想の数値で判定されるのである。だけど、とにかく顔が見えない。オフ会とかをやって見えたとしても、その人の素性は見えない。興味関心が同じ人たちが興味関心のあることだけを話題にして、ある意味ではその裏側にある人間性(個性とも呼ぶ)には一旦目を瞑るということが行われるのである。(あなたがどんな人であろうと私たちは仲間としてあなたを受け入れる!)

 

これは居心地の良いものではあるのだが、一方でコミュニティ内外での大きな温度差と排外、そしてコミュニティ内部での言論の統制が行われていく。関係のないことや炎上することを言ったものは、一瞬でなかった人にされてしまい、BANされ、締め出される。そして自分の価値観の外にいる人を嘲笑い、共感を得ることで自分の存在理由を確認し合う。

 

だから、このコミュニティには病院のコミュニティにあるような人間らしさがない。病院や組織では、あなたのことは嫌いだけど仲良くやるしかないのよ、というある種の寛容さでコミュニティが成り立つ部分がある。互いにフォローし合わないと無理が出るので、自分が気を配ることでなんとかやるしかない。

 

しかし、ネット上のコミュニティにはこの寛容さがなく、自分たちが知りたい言葉を話す人としか話さないし、最悪自分たちの社会からBANすればいいかという形になるのである。このコミュニティのグロテスクな振る舞いに嫌気が指す場合もあると思う。この属さない個人の活動は推し活と近しいのではないかと思う。

 

最近0.5の男というドラマを見たが、主人公のQ太郎が、エマとtwitterでDMするくだりがある。アイドルとすぐに繋がって身近に行動できるのである。

 

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よくニュースでやりたいことが見つからないという「課題」がよく取り上げられる。やりたいことを見つける必要をメディアが煽っているのはある。だがそれだけではなくて、自分の生きている関心範囲というのが極端に広くなっていることが根源なのかと思う。

 

自分の周りにあるコミュニティへの貢献が求められず、地球単位での気候変動とかダイバーシティの問題とか、そんな目に見えない課題設定にアクセスしなければならない。自分と解決すべき課題の距離感がわからず自分を見失ってしまうのである。ひろゆきが1億人を対象にどうすべきか考えるべきと言っていたのに対して、落合陽一さんは、1万人とかそれくらいの影響が及ぼせる範囲でローカルであることを考えていると言っていた。

 

私はこの落合さんの側の立場を見失わないことが大事だと思うし、ひろゆきさんの自分視点の高さにも眉を顰めるので、どちらも尊敬する。ただ、最終的には「病院 is king」なのではないかと思うわけである。もう自分が抜けようにも抜け出せないシステムをどうしていこうか考えるところに改善は生まれていき、自分ごととなるやりたいこと見たいのが見つかると思うのである。