市制60周年 ⑤ バブルと都市型開発 | だばなか大介オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本共産党河内長野市議会議員 だばなか大介

市は高度経済成長と


行財政改革(はじめから民営化)路線で得た財源を原資に


巨大開発をわずか20年間足らずでやり遂げ(前回)



バブル景気1986年頃~1992年頃を迎えます。



バブル経済と人口増で、


さらに財政力が上り


街づくりに変化が起こります



建設工事が


生活基盤の整備から


都市化・都会化へと向かいます



財政力は


1986(S61)年~


経常収支比率((約)支出/収入)70~80%%台をキープしました



そして・・・


1988(S63)年には15万人都市に対応できるヘリポート付の市庁舎を



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翌1989(H1)年には


「駅ビルは高ければ高いほど街は発展する」と言われた


ノバティー長野を



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さらに


1992(H4)年にはラブリーホール



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を完成させます。



・・・当初は急激に押し寄せる都市化の波


生活基盤整備の公共事業に対応するために


行った「行革」で生み出した財源は


バブルとともに、


より充実した都市化へと移りました。






駅前再開発の記念誌は


「光り輝く南の街」


と題されており

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中を見ると



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まさに


題名そのものの思いが伝わってきます。



ノバティー建設には日本共産党は反対しました。


詳細については後日書きます

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さて財政データーを見てみましょう。



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ひたすら右肩上がり


ただバブルは崩壊します(1991~1992年)


それでもまた右肩上がりです


支出(収入)に対する、構成比は




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ラブリー建設後は


バブル崩壊もあり


さすがに建設費は20%台に下がってきます


それでも非常に良い財政力を保っています


※しつこいようですが財政力が良いことと、市民のための市政が行われているかは別物です。


しかし、よくよく見ると


徐々に借金の返済が膨らみ


収入と大きく開いた借金残高は


縮まっていきます。


(*補てん債・臨時財政対策債の影響もあります。国から地方への借金の押し付けも要因


ついに右肩上がりの開発型は


(H12年)にピーク


曲がり角を向えます。次号へ