こんにちは。多聞です。
このブログを始めてから、
少しずつ記事を書き続けてきました。
これまでは、
瞑想を通して気づいたことや、
その中で受け取った言葉、
そして私自身の経験について
主に書いてきました。
今日は少し、
私自身のことについて
お話ししてみたいと思います。
瞑想を始めたのは2003年でした
私が瞑想を始めたのは、
2003年のことです。
それから20年以上、
今まで瞑想を続けてきました。
一般的に瞑想というと、
心を落ち着かせたり、
頭の中を静かにしたりするもの、
というイメージを持つ方が
多いかもしれません。
もちろん、
私にとってもそうした面はあります。
ただ、私の瞑想の始まりは
少し違うものでした。
私には、瞑想を教えてくださった
一人の師匠がいます。
山で20年以上修行された僧侶で、
2003年、
その方から直接
瞑想を学び始めました。
最初から、
何か不思議なものを見たいとか、
特別な力を身につけたいとか、
そういうことを
求めていたわけではありません。
教えていただいたことを続けながら、
自分の内側に耳を傾けることを
少しずつ学んでいきました。
以前の記事にも書きましたが、
ある時、師から、
「それは、君の頭から出てきた言葉だね」
と言われたことがあります。
自分の頭で考えていることと、
もっと深いところから
自然に出てくるもの。
その違いに気づいていくことも、
私の瞑想の始まりの一つでした。
長い瞑想の中で経験したこと
それから長く瞑想を続ける中で、
始めた頃には
想像もしなかったようなことを
経験するようになりました。
自分や他の人の
過去世と思われるものを
感じるような経験もありました。
ただ、それについては
特別に重要なことだとは考えていません。
それも私にとっては、
長く瞑想を続ける中で経験した
さまざまな出来事の一つだからです。
私にとってもっと大きかったのは、
瞑想を深めていく中で、
普段の自分の考えとは
少し違うところから、
言葉が伝わってくるように
感じるようになったことでした。
私はこのブログで、
それを便宜上、
「魂からのメッセージ」
と呼んでいます。
それが一体どこから来るのか。
色々みてみると
「真我」や「ハイヤーセルフ」と
呼ぶ人もいます。
私は長い瞑想の中で育まれた、
自分自身の「魂からの深い意識」だと
思っています。
20年以上それに耳を傾け、
そこで受け取った言葉を
自分自身の人生に重ねていく中で、
その言葉が時に、
自分では気づかなかったものに
気づかせてくれることが多々あることは事実です。
魂からのメッセージは「正解」ではありません
ここで一つ、
大切なことを
書いておきたいと思います。
私が瞑想を通して受け取る言葉は、
誰に対しても
同じものではありません。
人によって違いますし、
その時によっても違います。
ですから、
何か一つの言葉ですべての悩みが解決したり、
人生が突然うまくいくようになったりするものでは
ないと思っています。
未来を決めてもらうためのものでも、
人生の正解を
教えてもらうためのものでもありません。
むしろ私は、
今までとは少し違うところから、
自分自身を見てみる。
そのための一つのきっかけなのだと
考えています。
私たちは毎日、
たくさんのことをしながら生きています。
仕事をして、
家族のことを考え、
周りから求められる役割にも
応えていかなければなりません。
そうして一生懸命に生きていると、
いつの間にか、
自分自身のことを考える時間が
なくなってしまうことがあります。
「私は本当は何を感じているのだろう。」
「何を大切にしたかったのだろう。」
「どんな人生を生きたかったのだろう。」
そして、もう少し深く、
「私は何のために、
この人生を生きているのだろう。」
普段の生活の中では、
こうしたことを立ち止まって考える機会は
それほど多くないのかもしれません。
自分の内側の声が聞こえなくなる時
私自身も長く瞑想を続けながら、
一つ気づいたことがあります。
外の世界の基準だけで
自分の人生を見ていると、
いつの間にか、
自分自身の内側に
耳を傾けることを忘れてしまうことがある、
ということです。
「何を持っているか。」
「どんな仕事をしているか。」
「周りからどう見られているか。」
「世の中では何が
価値のあるものとされているのか。」
もちろん、
こうしたことも
私たちが生きていく上では大切です。
けれど、
それだけで自分の人生を見ていると、
自分自身が本当に大切にしたかったものが
見えにくくなることがあります。
私はそんな時、
「自分の魂の声が、
少し聞こえにくくなっているのかもしれない」
と考えることがあります。
これは、
その人の生き方が
間違っているという意味ではありません。
ただ少し立ち止まって、
自分の内側にも
耳を傾けてみる。
そうすると、
今までとは違うところから
自分の人生が見えてくることがあります。
瞑想と現実の人生
20年以上瞑想を続けてきて、
私が大切だと思っていることが
もう一つあります。
それは、
瞑想と現実の人生は、
別々のものではない
ということです。
どれほど深く瞑想をしても、
それによって現実から
離れてしまうのであれば、
私にとっては
あまり意味がありません。
仕事。
人との関係。
迷いや選択。
うまくいかなかったこと。
そして時には、
自分ではどうすればいいのか
分からなくなるような出来事。
そうした現実の人生の中で、
瞑想を通して気づいたことを
一つずつ重ねてみる。
私自身も、
長い時間をかけて
それを繰り返してきました。
そしていつからか、
ご縁のあった方について
瞑想することも増えていきました。
その中で受け取った言葉を
お伝えすることもありました。
同じ言葉でも、
それをどう受け取るかは
人によって違います。
ただ、
それまでとは違う角度から
自分の悩みを見るようになったり、
自分でも気づいていなかった思いに
目を向けるきっかけになったりする。
そんな姿を見る中で、
私が長く続けてきたことを、
誰かが自分自身を見つめるために
生かすことができるのかもしれない、
と思うようになりました。
私自身について
少しだけ、
瞑想以外の私についても
書いておきたいと思います。
私は日本に11年間暮らしました。
学生時代から社会人になるまでの
人生の大切な時期を
日本で過ごしました。
それ以降も海外生活が続き、
日本以外の国で過ごした時間も合わせると、
約15年になります。
2020年に長い海外生活を終え、
現在は韓国で暮らしています。
日本で長く生活したこともあり、
このブログでも
日本語で自分の経験や考えを
お伝えしています。
これからしたいこと
そして今、
これまでご縁のあった方々に
お伝えしてきたことを、
もう少し広く届ける方法として、
オンラインで一人ひとりと
お話をする場を準備しています。
私がそこで
したいと思っているのは、
何か不思議なことを
見せることではありません。
また、
その人に代わって
人生の答えを決めることでもありません。
毎日の生活が忙しく、
自分自身を振り返る時間を
なかなか持てなかった人が、
ほんの少し立ち止まってみる。
そして必要であれば、
私が瞑想を通して受け取った言葉も
お伝えしながら、
これからの人生を、
今までとは少し違うところから見てみる。
そんな時間にできればと
考えています。
もしかするとその中で、
長い間、後回しにしてきた
自分自身の気持ちや、
いつの間にか
聞こえにくくなっていた内側の声に、
もう一度気づくことが
あるかもしれません。
そして、
「これから自分は、
どのように生きていきたいのだろう」
と考える小さなきっかけになれば、
それでいいのだと思っています。
現在、正式なセッションのご案内ページは
まだ準備しているところです。
そのため、
今すぐ積極的に
ご相談を募集しているわけではありません。
ただ、このブログを読んで、
「一度連絡してみたい」と
思われた方がいらっしゃいましたら、
Amebaのメッセージなどで
ご連絡いただくことはできます。
これからもこのブログでは、
瞑想を通して気づいたこと。
そこで受け取った言葉。
そして私自身が人生の中で
経験し、考えてきたことを、
静かに書いていきたいと思います。
このブログを訪れたことが、
自分自身の人生を
もう一度静かに見つめてみる、
そんな小さなきっかけになれば
嬉しく思います。
多聞