こんにちは。多聞です。
今日は、すぐに本題に入りたいと思います。
私の瞑想の先生からいただいた言葉に関する話です。
私の先生は、会うといつも同じ言葉をかけてくださいます。
「自分の魂を大切にしなさい」
何度も聞いてきた言葉ですが、今日ふと、私が自分の魂を大切にできていなかった頃のことを思い出しました。
誰もが長い人生においてどん底に立たされることがあります。
私にとっては、自分の魂を最も粗末に扱っていた時期が、まさに人生のどん底でした。
今になって振り返ると、あの頃の私は、毎日自分を責めながら過ごしていました。
- 「どうして、こんな場所へ来てしまったのだろう」
- 「なぜ自分はあんな選択をして、こんな無惨な結果になったのだろう」
- 「あのまま我慢していればよかった。ここへ来れば少しは良くなるなんて、どうして思ってしまったのだろう」
答えの見つからない問いを、心の中で何度も繰り返していました。
もちろん、自分自身を振り返ることが、すべて悪いわけではありません。
自分の過ちを認め、より良い方向へ進むための反省は、私たちにとって必要なものです。
けれども、反省と自責は違います。
反省は、次に進むための道を示してくれます。
一方、自責は同じ場所に私たちを縛りつけます。
反省は、これから何を変えればよいのかを教えてくれます。
しかし自責は、ただ繰り返します。
「すべて自分が悪いのだ」と。
そのような問いは、答えを見つけるためのものではありません。
自分をさらに深い穴へと追い込む、終わりのない攻撃に近いものです。
その声を事実だと信じ続けていると、人は少しずつ追い詰められ、やがて心が暗にのみ込まれてしまいます。
他人から責められることより、自分自身が絶えず自分を攻撃し続けることのほうが苦しいはずです。
そして、自責の声に自分を追い詰めることこそ、自らの魂を大切にしていないということではないでしょうか。
私自身も、自分を逃げ場のないところまで追い込んでしまいました。
生きていく力さえ失いかけていた頃、私は一本の縄にすがるような思いで、祈りと瞑想を続けました。
そして、その時間を通して少しずつ気づいていきました。
頭の中で繰り返される自責の声が、いつも真実を語っているわけではないということに。
今この瞬間も、無意識に自分を責めてしまい、苦しい日々を過ごしている方がいるかもしれません。
そのような時は、一度立ち止まり、自分に問いかけてみてください。
- 「今、頭の中にあるこの問いは、私をどこへ連れていこうとしているのだろう?」
- 「この問いは、私がより良い方向へ進むための助けになっているだろうか?」
- 「それとも、私をさらに暗く深い場所へ引きずり込もうとしているのだろうか?」
もし、その問いがあなたを前へ進ませるものではなく、ただひたすら下へと引きずり下ろしているのなら、どうかその声に惑わされないでください。
それは、あなたのための助言ではありません。
あなたを立ち直らせるための反省でもありません。
ただ長い間繰り返してきた、
自分自身を攻撃する心の習慣にすぎないのかもしれません。
その正体を見抜いた瞬間、
自責の声は、
あなたを支配することができなくなります。
力を失った偽りの問いは、光に溶けるように、風の中へ消えていくでしょう。
自分を責め立てる代わりに、今日だけでも、自分の魂を大切にしてあげてください。
今日も長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。