こんにちは。多聞です。

 

今日は、瞑想の中での「気づき」とは

少し違う話をしてみたいと思います。

 

もう2ヶ月前のことですが、

五月に伊勢神宮へ参拝に行ってきました。

 

 

私が住んでいる韓国の大邱から伊勢までは、

 

かなり時間がかかります。

 

一日目は伊勢神宮の近くまで移動する

だけで日が暮れましたので、

翌日に参拝することにしました。

 

実は、伊勢神宮へ参拝するのは

今回で三度目です。

 

前回も前々回も良かったのですが、

今回は少し不思議で、

私にとって意味深く感じられる

出来事がありました。

 

まず伊勢市駅に着いた私は外宮から始め、

そのあと内宮へ向かうことにしました。

 

外宮へ行くために駅を降り、

外宮に向かう道の目前の鳥居に立ち、

信号を待っていた時のことです。

 

image

 

ふと、誰かが後ろから私の頭に

軽く触れたような感覚がありました。

 

私は特に深く考えず、

誰かに触られたかなと手で

頭の後ろをなでました。

 

その時でした。

 

私の頭の前のほうへ、

「何かがすっと飛んでいくような気配」がしたのです。

 

それは、一羽のカラスでした。

 

そのカラスは、空をぐるっと回旋しては鳥居の上にとまりました。

 

一瞬、

「今のは何だったのだろう」

と思いました。

 

そして、カラスは近くに雛がいる時、

人を威嚇することがあるという話を

思い出しました。

 

もしかすると、また近づいてくるのではないか

と思い、少し様子を見ていました。

 

しかし、攻撃されたという感じはありませんでした。

 

頭に爪が当たったような痛みもなく、

ただ本当に軽く触れられたような

感覚だけが残っていました。

 

そのカラスもしばらくすると、

何事もなかったかのように飛び去っていきました。

 

不思議な気持ちが残ったので、

私はスマホを取り出して、

カラスにまつわる意味を少し調べてみました。

 

調べていくうちに、

カラスが頭をかすめることや、

肩にとまることなどが

スピリチュアルな意味があることを知りました。

 

もちろん、これはあくまで個人的な感想なので、断定するつもりはありません。

 

ただ、自分にとってその出来事が偶然だけでは

片づけられないように感じられたのです。

 

カラスは、古くから神の使いのように

語られることがあります。

 

実は韓国でも、カラスは昔から特別な意味を持つ存在として見られてきました。

 

不吉な鳥としてだけではなく、

「霊的な知らせを運ぶもの」、

「先を予感させるもの」、

また「平和を象徴するもの」

として受け取られていた時代もあります。

 

 

特に高句麗の時代には、

「三足烏(サンジョッゴ)」という、

三本足のカラスが吉兆の象徴として

用いられていました。

 

もちろん三足烏は実際に存在する鳥ではなく、神話的な存在です。

 

天上の神々と人間の世界をつなぐ存在であり、

太陽神とも深い関わりを持つものとして

考えられていました。

 

さらに調べてみると、日本神話にも、どこかそれに通じるような存在が出てきます。

 

神武天皇を導いたとされる「八咫烏」です。

八咫烏もまた、道を示す存在として語られ、

太陽とのつながりを感じさせる象徴でもあります。

 

韓国と日本、二つの国の神話の中に、

カラスという存在を通して似たような感覚があることを知り、

私はあらためて、カラスが持つ意味の深さを感じました。

 

そして、今回の出来事を思い返してみると、

ただの偶然として流すよりも、

何か新しい変化の前触れのように受け取りたくなりました。

 

カラスが私の頭に軽く触れて飛び去ったこと。

それは、私にとって「何かが始まる」

という静かな合図のように感じられたのです。

 

振り返ってみると、

私は人生に大きな変化が起きる前に、

伊勢神宮へ参拝していたことに気づきました。

 

初めて伊勢神宮を参拝したのは、

日本で暮らしていた頃。

 

その時は、日本での生活が終わりに近づいていた時期でした。

 

二度目に参拝したのは、

オーストラリアで暮らしていた頃。

 

その時もまた、オーストラリアでの生活が終わる少し前でした。

 

そして今回は、

韓国で暮らしている中で、なぜか強く、

 

「もう一度、伊勢神宮へ行かなければ」

 

という思いが湧いてきました。

 

その感覚に従って参拝した先で、

今回のカラスの出来事がありました。

 

だからこそ、また自分の前に大きな変化が来ているのではないかと感じています。

 

個人的には、これから再び日本へ行く機会が増えたり、日本の方々とのご縁が深まったりするのではないか。そんな予感があります。

 

二十年以上続けてきた瞑想が、

これから私をどこへ導いていくのか。

 

少し不思議でもあり、

少し楽しみでもあります。

 

これからの日々を、

静かに見つめていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。