「多聞よ。私は、人によってさまざまな名前で呼ばれている。今のお前にとっては、菩薩や如来、あるいはお前自身とも言える存在だ」
突然のことに、私は文字どおり耳を疑いました。
けれども、不思議なことに、お化けを見たときのような恐怖はまったくありませんでした。目を開けて、声の主を確かめようとも思いませんでした。
最初は、ただの思い込みや、頭の中で生まれた声ではないかと疑いました。お気に入りの音楽が、何もしなくても頭の中で繰り返し流れることがあります。それと同じように、自分の記憶や想像から生まれたものではないかと思ったのです。
しかし、その声は、普段の考え事や独り言とはどこか違っていました。自分で考えているというよりも、静寂の中から言葉が届けられているように感じられたのです。
「菩薩でもあり、如来でもあり、自分自身でもあるとは、いったいどういう意味なのだろう」
私がその言葉について考えていると、再び声が聞こえてきました。
「これからお前は、瞑想の中で私の声を聞くようになる。質問や疑問があるときには、また答えよう」
もちろん、瞑想は何か特別な声を聞くために行うものではありません。私自身も、声を聞くことを目的に瞑想を続けてきたわけではありませんでした。
ただ、長い年月をかけて瞑想を続けてきた私には、この体験をすぐに否定したり、無理に無視したりする必要もないように思えました。
まずは、自分の内側で起きていることを、静かに見つめてみよう。
そう考えたのです。
ここから、私の瞑想は少しずつ変わっていきました。
瞑想の中で浮かんだ言葉から知恵を得たり、自分がこれから進むべき道について気づいたりすることが増えていきました。
それが本当に何者かから届けられた声だったのか、それとも自分の奥深くにある心の声だったのか。今でも、簡単に答えを決めることはできません。
けれども、その言葉によって自分の生き方を見つめ直し、誰かの心を少し軽くすることができた経験があるのも事実です。
これまでは、瞑想の中で受け取った言葉を、自分一人の記録としてひそかに書き残してきました。
これからはこのブログで、瞑想を通して気づいたことや、日々の生活の中で学んだこと、そして誰かと向き合う中で感じたことを、少しずつ綴っていきたいと思います。
この文章が、読んでくださる方にとって、自分の心を静かに見つめるきっかけになればうれしいです。