こんにちは。多聞(たもん)です。

 

心って、いつも忙しいと思いませんか?

 

朝起きた瞬間から、今日やるべきことを考えたり、昨日言われた言葉を思い返したり、まだ起きてもいないことを心配したりします。

 

私たちの心は、いつも何かを抱えています。

 

そして、その内容によっては、何日たっても忘れることができず、同じことを繰り返し考えてしまいます。

 

心は自分のもののはずなのに、自分の思いどおりにはならない。

考えたくないのに考えてしまい、忘れたいのに忘れられない。

 

心とは、少し不思議なものです。

 

では、そうした思考が静かになったとき、私たちの中には何が残るのでしょうか。

 

”何も考えなくなったら、心の中には何もなくなるのではないか?”

 

そう思う方もいるかもしれません。

 

けれども、思考が静まり、無心に近い状態になったとき、普段は気づくことのできない「本当の自分の心」に出会うことがあります。

 

もちろん、誰もが同じ体験をするわけではありません。

 

今日は、私自身に起きたことを少しお話ししたいと思います。

 

瞑想を始めてから、長い年月が過ぎた頃のことでした。

ある日の夕方、私は一人で、いつものように自分の部屋に座っていました。

 

 

その日は、いつもより深く瞑想に入っていたのだと思います。

次第に体の感覚が遠くなり、自分の手がどのような形をしているのか、足をどのように組んでいるのかさえ、分からなくなっていきました。

 

座っているという感覚も、自分がどこにいるのかという意識も、ほとんどありませんでした。

 

時間の感覚もなくなっていたため、どれほど長くそこに座っていたのかは分かりません。ただ、深い静けさの中にいました。

 

そのときです。

 

静寂の中から、はっきりと声が聞こえてきました。

「多聞よ。」

(次回に続く。)