札幌開祖 志村鉄一碑 その2
前回、史料の紹介をさせていただいた。
史料は。昭和62年8月16日、慰霊祭において当時碑保存会顧問 高木唯雄氏が挨拶(講演)した内容を聴講していた一般市民が録音、テープを起こして文章化し札幌市文化資料館(現 札幌市公文書館)に提供されたものの写しを歴史研究家中川昭一氏が頂いた文書を保存会4分区町内会長渡辺英雄がパソコンに打ちこみした文書である。
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その後、地元の歴史研究家中川昭一氏ほか、研究者の研究が進み、志村が永住したのは、安政4年定住が定説であったが、「安政6年までには、永住していたこと」が解明された。
また、高木唯雄氏の講話の中の志村碑の建立に関する説明の修正を要するこを解明したため、平成29年11月碑文を修正し新しく設置した。
正しい碑文を紹介しましょう。
札幌開祖 志村鉄一碑由来の記
氏は信州の剣客にして石狩調役新井金助氏の招きに応じ安政六(1859)年には永住していた。幕命を受けて豊平川渡し守となり駅逓を兼ねる。
この地より約百二十米川下が氏の住宅の遺跡なり。
この碑は大正十年当時の北海道庁河野常吉氏が発起人代表となりその場所に建立されたものであるが。新豊平橋完成に伴い昭和四十二年七月市が橋台小公園に移転安置せるものである。
尚この碑の筆跡は当時の北海道帝国大学
総長 佐藤昌介氏の揮毫せるものである
昭和四十二年八月
札幌開祖 志村鉄一碑顕彰存会
平成二十九年十一月 碑文の一部を修正し新しく設置した。
爺さん:爺さんも碑顕彰保存会会員である。8月16日、慰霊祭を予定している。