豊平の山車
札幌祭りの山車は明治16年、市内の辻々で賑やかに囃しをたて、神輿渡御を奉迎したことに始まる。戦前には各地区で13基の山車があったが、戦後は6基までに減少した。昭和49年に札幌山車保存会を作り、山車運営を図り現在8基となっている。その後昭和59年より神宮の要請を受け神輿渡御と合同で巡行するようになった。
第一本府祭典区 山車人形は「日本武尊」制昨年は不肖
第三山鼻祭典区 山車人形は「島 義勇」昭和55年(1980)作り替え
第四菊水祭典区 山車人形は「素鯊嗚尊」大正7年(1972)制作
第六西創成祭典区 山車人形は「素鯊嗚尊」明治末期制作(人形には明治35年の銘あり)
第七東祭典区 山車人形は「神武天皇」大正2年(1925)制作
第八豊平祭典区 山車人形は「加藤清正」大正元年(1926)制作
第九東北祭典区 山車人形は「猿田彦命」明治43年改修の銘あり
第十六桑園祭典区 山車人形は「桃太郎」昭和4年(1929)制作
第二十琴似祭典区 山車人形は「名和長年」平成26年より連合山車隊列に参加
第八豊平祭典区山車 人形「加藤清正」
第八豊平祭典区山車 人形「加藤清正」
山車は、明治末期から大正初期に制作された文化財である。ふるさとの貴重な文化遺産であろう。
爺さんの私見であるが、山車そのものは、おそらく現在では制作が困難な豪華な飾りや彫刻も施されている。このまま放置すれば、「貴重な文化遺産が消えてしまう」。山車そのものは歴史背景から見ても十分「有形文化財」として登録が可能と思う。
北海道神宮例祭の神輿渡御行列と合同巡行する合同山車の祭列全体でも「無形文化財」として登録が可能と考える。
札幌山車保存会として「十分なる検討」を行い、今登録を受けなければ、人形に傷みが来ている。保存には金もかかる。文化財に登録されれば、より理解がすすみ、「ぜひ残して後世に伝承しよう」という気運も高まり、修理のための浄財の御寄進につながるのではないかとも思うこの頃である。
札幌の山車は、江戸二大祭の一つ「神田明神の祭りの山車の流れをくむようだといわれている。第八豊平祭典区の山車の緞帳は龍虎を刺繍した素晴らしいものである。