豊平神社140年史発送作業 八十八夜 | dai4bunkuのブログ

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豊平神社140年史発送作業 八十八夜

 出版納品になった、「豊平神社140年史」の発送作業を編集委員一同で行った。

 中川昭一奉賛会会長・渡辺英雄豊平神社責任役員・有馬尚経豊平神社責任役員・三橋充佳豊平神社禰宜の4人である。ラベル張り、ゆうパックの袋詰め、封の作業、住所・宛先等の突合せであった。

 完成した安堵感も混じり、楽しいひと時であった。北海道新聞嘱託の池田記者に取材に来ていただいた。

 やはり、明治4~5年の祠の写真、札幌神社の県令宛て文書、北海道庁長官宛て文書、豊平神社の神宝ともいえる、明治天皇下賜の下着と阿部由太郎の神社宛て寄贈文書、御神刀二振り、昭和天皇ご即位50周年記念の金杯、石碑群の「満州戦役記念碑」の203高地の戦いで戦死した豊平村出身の指名の解明等々に関心を寄せられていた。

 160年に向けての計画等の取材もあったが、責任役員会前であり、一個人の願望としては「加藤清正公」の山車人形の修繕であろうと思うが。また、永く伝統ある山車保存会あげて山車の行列を「無形文化財」の指定を受けるよう運動していきたいと思っている。

 

 

 

 

茶摘 文部省唱歌
1.夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘ぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠

2.日和つづきの今日此の頃を、
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ

 

八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる。

もともと、太陰暦をベースとしている日本の旧暦では暦日と季節が最高で半月もずれるため、太陽暦をベースとした雑節として起こり広まったものである。

 

 21世紀初頭の現在では平年なら5月2日、閏年なら5月1日である。数十年以上のスパンでは、立春の変動により5月3日の年もある。今年は、5月1日である。

習俗

「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期である。一般に霜は八十八夜ごろまでといわれているが、「九十九夜の泣き霜」という言葉もあり、 

 

 5月半ばごろまで泣いても泣ききれないほどの大きな遅霜の被害が発生する地方もある。それ以上に、旧暦では暦日と季節が最悪で半月もずれることから、特に農家に対しての注意喚起を目的に八十八夜が生まれた。

 

 この日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている。茶の産地である埼玉県入間市・狭山市、静岡県、京都府宇治市では、新茶のサービス以外に手もみ茶の実演や茶摘みの実演など、一般の人々も参加するイベントが行われる。

 

また、5月5日は「立夏」である。

立夏の「立」とは中国語で「始まり」という意味。文字通り、立夏とは夏の始まりを表しています。

 5月5日頃から約15日間の立夏の期間は、爽やかな新緑のシーズン。とはいえ、現実には初夏のような日もあれば、意外と寒い日もあります。

 

 もともと、二十四節気は古代中国の黄河流域で作られた季節区分。日本には飛鳥時代の頃に暦とともに伝わったとされています。黄河流域は日本の東北北部と同緯度にあるため、南北に長い日本とは、気候や気温の感覚にどうしてもズレが生じてしまうのです。