豊平橋南地区「ふれあいカフエ」第2回目開催
一般参加者14名の盛況
会場の「リバーサイドカフェ」のオーナーある元在日イスラエル大使館勤務、
(株)G..S.P.CORPORATION サイバーセキュリティ部コンサルタント アルハラー・ハナン氏のイスラエル国の歴史概要とユダヤ教のさわりのお話であった。
支援側は、多田2層支援員、藤田第1分区町内会長、1分区福祉推進員、2分区担当福祉推進員、福まち運営委員長、事務局長、事務局次長、市社協・区社協、区保健福祉課、包括支援センター、介護予防センター等の福祉支援の仲間であった。
1分区町内会長が挨拶した。
ハナン氏 右端白い帽子
イスラエルの建国の歴史等に熱が入った。立場は違っても、相互理解が大事である。
彼は、トーラ(モーセ五書)によって、行動することが、相互理解につながるとして、熱弁をふるった。イスラエルを知るには古代イスラエルの歴史を知らなければ、なかなか話についていけない。
一般参加者から時々、鋭い質問もあった。
爺様から少し、古代イスラエルの歴史に触れよう。
イスラエル建国という悲願の中、育まれたメサイア信仰
イスラエルの歴史、特に古代イスラエルの歴史をたどってみたいと思います。
ローマ軍に滅ぼされてユダヤ民族が離散をし、世界中を放浪する。しかも迫害を受け続けながら、1900年間にわたって大変な生活を強いられてきた。
それがその後のイスラエルの「自分の国を作らなければならない」という強い希求につながり、その間ユダヤ民族のアイデンティティを維持し続けるという、世界の民族の中で異例とも言える強い民族へのこだわりの中で生きてきた。
その歴史を理解しないとイスラエル建国のために第一次世界大戦後、そして第二次世界大戦中、続く戦後の大混乱の中で心血を注ぎ、ともかくなんとかイスラエルを建国したということの意味が理解できませんので、古代に思いをはせてみたいと思います。
ユダヤ人は、ユダヤ教を作った民族で、ユダヤ教はおそらく人類の文明史の中で初のはっきりした一神教と言えます。
当時はユダヤ人の多くがエジプトのファラオの元で奴隷となっていた時代だと言われています。
紀元前13世紀くらいのことです。当時のエジプトは世界の最先進国ですから、ピラミッドを作ったり、大変な技術を持って、国力を有し、繁栄を享受していました。
大エジプトには巨大なナイル川があって、1年に一回大氾濫をしました。氾濫をしたあとナイル川流域は沃野になり、いろいろな栄養分を含んだ土が残るので、作物が豊かに生育する。
ですからエジプトにはある意味ではそれほど働かなくても大きな民族が生きていける有利性がありました。エジプトは大先進文明国であったわけです。
そのエジプトでパレスチナから逃れてきたユダヤ人たちが、囚われの身になって奴隷として苦しい生活を送っていました。
その中でユダヤ人たちはこの苦境から救い出されないものかと考えたようですが、大変頭のいい民族ですから、やがて「宇宙をおつくりになった全知全能の神、唯一神が救世主を遣わしてくれるのだ」というメサイア(救世主)信仰に至ります。
メサイアがわれわれユダヤ民族を、特にユダヤ民族だけをこの苦境から救い出してくれるという信仰を発展させたのです。
この「ユダヤ民族は他のどの民族よりも優れている。だから救世主はユダヤ民族を救い出してくれるのだ」という考え方を「選民思想」といい、これは後に世界の他の民族から排他的な考え方だと忌み嫌われ、憎まれるもとになりましたが、そのような考え方を生み出すわけです。
ユダヤ人が大切にしているトーラ(モーセ五書)、それのほとんどはキリスト教徒の旧約聖書に書き込まれているわけですが、ユダヤ人は旧約聖書というと非常に不愉快な思いをするようです。
なぜなら、ユダヤ民族を中心とする世界の歴史は、ユダヤ教の教本であるトーラに書かれているのであって、新約聖書や旧約聖書などと分解して語られるべきものではないというように思っているからです。
そのトーラの中には、モーゼという神から遣わされた使徒がエジプトから奴隷になっていたユダヤ人を救い出す。
モーゼがいろいろな魔術をかけて、エジプトの人々を翻弄して、やがてユダヤの人々を連れて、紅海を渡る。紅海を進む時に水が真っ二つに割れて、ユダヤの奴隷が対岸にたどりつくと、追いかけてきたエジプトの軍勢が波にのまれるという神話があります。こうした神話にも表されているようにまたパレスチナに近い地域にユダヤ人は戻ってくるわけです。
ハナン氏は、この十戒をマジックペンで、書きながら、
父と母を敬いなさいは、日本でも実践されている。近隣との諍いもない等の部分を強調しておられた。
モーセの十戒(モーセのじっかい、モーセの十誡、ヘブライ語: עשרת הדיברות、英: Ten Commandments)は、モーセが神から与えられたとされる10の戒律のこと。
旧約聖書の出エジプト記20章2節から17節、申命記5章7節から21節に書かれており、エジプト出発の後にモーセがシナイ山にて、神より授かったと記されている。
十戒の内容は神の意思が記されたものであり、モーセが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない、とされている。
出エジプト記本文では神が民全体に語りかけたがそれが民をあまりにも脅かしたためモーセが代表者として神につかわされた、とされる。シナイ契約、または単に十戒とも呼ばれる。
二枚の石板からなり、二度神から渡されている。最初にモーセが受け取ったものはモーセ自身が叩き割っている。
ヘブライ語聖書(タナハ)
古代イスラエルの人々は、自分たちの神はイスラエルをエジプトから導き出した神であるとしていた。字義どおりに言うと、ヘブライ語聖書では十の言葉であり、十戒に番号はついておらず、10ないしは12の戒めがひとまとまりをなしている。他の宗教、宗派とは異なる第一戒を認めることが特徴と言える。
1. 私は主、あなたの神、あなたを奴隷の家から導き出した者である。
2. あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。あなたは自分のために彫像を造ってはならない。
3. あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4. 安息日を覚えて、これを聖別しなさい。
5. あなたの父と母を敬いなさい。
6. 殺してはならない。
7. 姦淫してはならない。
8. 盗んではならない。
9. 隣人について偽りの証言をしてはならない。
10. 隣人の家を欲してはならない。
イスラエル国歌は、テレビドラマで聞いて痛く感動した。爺様がこの話をハナン氏に話したところ、感激していた。
イスラエル国歌
心のなかにある限り
ユダヤ人の魂は憧れる
そして極東に向かって進む、前へ
目はシオンを見つめる
我らの希望は未だ失われず
二千年の希望
自由な民族になるための私達の地
シオンとエルサレムの地
参照:イスラエル国会HP
また、有名な杉原千畝氏の話をしたところ、感慨深そうであった。
外務省グローカル外交ネットから
杉原千畝氏とゆかりのある地方とイスラエルの交流について
紹介しましょう。
2023年7月4日から5日にかけて、水嶋光一在イスラエル大使は、福井県敦賀市、愛知県名古屋市そして岐阜県八百津町を訪問しました。いずれも、第二次世界大戦中に多くのユダヤ系避難民に対して「命のビザ」と呼ばれる査証を発行した杉原千畝氏とゆかりのある地です。
1 福井県敦賀市
7月4日、水嶋大使はまず福井県敦賀市を訪問しました。敦賀市は、1940年代に「命のビザを手にしたユダヤ人が日本に初めて上陸した地で、イスラエルとの長い交流があります。
実際に敦賀港の地を踏んだ、所謂「スギハラ・サバイバー」は現在もイスラエルにご健在で、在イスラエル大使館とも交流があります。
彼らは、長旅を経て敦賀に到着した際にとても安心したこと、地元の人々が果物を差し出したりお風呂を進めてくれたりとても親切だったことなど、当時の様子を活き活きと語ってください
ます。
今般の訪問で水嶋大使は、まず米澤市長を表敬し、当時の歴史や人々の様子を次世代に伝える記念館「人道の港 敦賀ムゼウム」を訪れたほか、船に乗り当時のユダヤ人が船上から目にした敦賀港の様子を眺めるなど、今後の更なる敦賀市とイスラエルの交流強化に向けた活動を行いました。
2 愛知県名古屋市
水嶋大使は次に、杉原千畝氏が卒業した、名古屋市の県立瑞陵高等学校(旧制愛知県立第五中学校)を訪問しました。同校の正門西側には、杉原氏の人道的功績を顕彰する屋外型展示施設「センポ・スギハラ・メモリアル」があり、一般に公開されています。
水嶋大使は鶴田校長と面談し、杉原千畝氏の功績を通じたイスラエルとの交流について意見を交わしました。
愛知県からは客年5月には大村知事が、また10月には県議会がそれぞれイスラエルを訪問し、同県が振興しているイスラエルのスタートアップとの連携事業に加え、杉原千畝氏の人道的行為を「諸国民の中の正義の人」として顕彰したことでも知られる、
エルサレムにあるホロコースト記念館「ヤド・ヴァシェム」を訪問するなど、近年イスラエルとの活発な交流が進められています。
3 岐阜県八百津町
翌5日、水嶋大使は、杉原千畝氏の出身地岐阜県へ移動し、八百津町の杉原千畝記念館、そしてビザ・モニュメントのある人道の丘公園を視察しました。
杉原千畝記念館には当時発行されたビザのレプリカやビデオ資料など、ホロコーストの歴史や杉原千畝氏の功績を紹介する展示があり、多くのイスラエル人旅行者も立ち寄る名所になっています。
展示内容にはヘブライ語訳も付されていますが、それはかつて日本政府から八百津市に派遣された国際交流員と呼ばれるイスラエル人達の功績によるものです。
国際交流員を務めた彼らは、滞在期間中八百津町の職員としてホロコーストの歴史やイスラエルの文化を地元に紹介する事業を積極的に行い、八百津町とイスラエルとの交流強化に貢献してきました。
4 杉原千畝氏の功績を通じたイスラエルと地方との交流
在イスラエル大使館では、現在でも「スギハラ・サバイバー」、そして、その多くの子孫との交流の機会を設けています。
その都度、皆さんは「ビザがなければ自分はもちろん、その後の家族は皆存在しえなかった。
勇気ある行動に心から感謝している」と感謝の言葉を述べられます。また、イスラエルには杉原氏の功績を顕彰して名前を冠した通りや広場が複数存在し、次世代の人々にも語り継がれています。
この度水嶋大使が訪問した各地方に加え、飛騨、高山また金沢を含めた経路は、日本を訪問するイスラエル人旅行者の間でも人気の旅行ルートとなっています。
大使館では、天皇誕生日祝賀レセプションなどの機会を活用し、パンフレットの配布、また各地方自治体が制作した動画にヘブライ語字幕を付すなどの工夫をしながら、地方の魅力をより多くのイスラエル人に積極的に紹介しています。
3月にはイスラエルと日本をつなぐ直行便が就航し、日本を訪問するイスラエル人旅行者が増えています。今後、日本人とイスラエル人の往来が活発化し、人々の交流の歴史を継承しながら、様々な魅力を有する地方との関係が益々強化されることを願います。
ハナン氏は、話が尽きないようで、近くトーラ(モーセ五書)を紹介したいとも話していた。
トーラは、ヘブライ語で一文字・一文字を羊の皮に手書きで完成させるそうで、期間もかかるが、製作費は概算で1.500万円位もするそうです。
次回、1週間後には、参加者にイスラエル料理を試食させていただけるとのことです。
宗教的な話は別として、人間として総合理解が進むことを期待している。