豊平神社140年史編纂作業ほぼ完了 | dai4bunkuのブログ

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爺様、編集委員をおおせつかり、2年がかりで作業を進めてきた。なんとか、ほぼ完成まじかであるが、一部を紹介します。

編集後記 (未定稿)

 

 明治四年、室蘭街道沿いに本神社の前身である無名の小さい祠が建てられてから今日まで百五十三年。その後、明治十七年七月十日の社殿竣功に際し、北海道神宮(当時は札幌神社)の第四代宮司であった杉戸大角が斎主となり祭祀を修め、また明治二十年三月の暴風で大破した同社殿が、同年七月十三日に竣功した際、第五代宮司阿由葉宗三郎が斎主となり遷座の典式を奉修したと記録に残されております。

 

 本年(令和5年)は御鎮座百四十年記念として七月十四・十五日の例祭は盛大に行われた。御鎮座七十年記念誌として現した後、その後の経緯等については不明であったことから、御鎮座百四十年を記念して、以降の歴史を探求し、記念史を編纂することとなり、編集委員に任ぜられた。

 豊平神社の歴史の探求は、札幌の開拓の歴史にも関連があり、資料の収集、整理には時間を要した。その中で、特異な発見があった。

 

 明治十八年に札幌神社(現・北海道神宮)の宮司だった杉戸大角が豊平神社(当時は仮宮)において神宮の分霊を祀る祭祀を行う許可を札幌県令に届けた文書、明治十九年に豊平神社(当時は仮宮)において神宮の分霊を祀る祭祀を行う許可を北海道庁長官に届けた文書(札幌県から北海道庁に組織変更した実態を表した文書としても貴重である)。

また、豊平神社の主祭神である上毛野田道命の御姿を前賢故實(ぜんけんこじつ)(江戸時代後期から明治時代に刊行された伝記集)から発見した。

 

 さらに、豊平神社の草創期の明治四年ころ、阿部仁太郎が父の故郷の津軽の猿賀神社の主祭神の上毛田道命を祀り小祠を建立したと記録にあるが、明治十年前後と推認される写真を中川昭一氏が発見したので、本文で紹介した。(このころ、写真技師が入っており、豊平橋の写真も撮影されている。)

 

       この写真は札幌の歴史資料としても貴重な新発見であった。

 また、神社境内の石碑の中に祖国の存亡をかけた日露戦争で豊平村から出征し、帰らぬ人となった若者の慰霊碑について、碑の篆刻文字を検証した結果、他の多くの文献では「満州戦没記念碑」と紹介しているが、「満州戦役記念碑」と解明した。

 刻まれた氏名は、歴史の風化と戦後の事情で削り取られた痕跡も見えるが、高橋憲一著「札幌歩兵第二十五連隊誌」に旧豊平村出身者の同戦闘での戦死・戦病死者は、藤本八太郎、木下和三郎、陣出岩吉、大井染作、大沼甚六、広瀬仁太の六名であることが判明した。

 

 また、七十周年記念誌に「阿部由太郎が叙勲の折に明治天皇が御着衣遊ばされた御物一式を拝領し、豊平神社に奉納」とあるが、現責任役員誰一人として確認したことがなかったが、宮司代行・禰宜の努力もあり、現物を発見し、本誌に写真で初掲載できた。

 

 また、同じく昭和十八年十一月二十三日、氏子宮下市松が御刀二振りを奉納とあるが、現物も発見したので、写真掲載した。

 

 なお、当神社の歴史を物語る新たな写真多数を中川昭一氏から提供があったので、巻頭に掲載させていただいた。

 本誌の発刊に当り、関係各位、並びに資料を提供してくださった中川昭一氏や写真の接写作業にご協力いただいた責任役員柴田崇行氏、記念式典の写真撮影にご協力いただいた皆々様に厚く御礼申し上げます。

 

 なお、旭水町内会有馬尚経氏には、資料の探求、編集作業等にご尽力いただきましたが、七十年間分の資料の探求は容易でなかった。多くの資料が散逸され、或いは廃棄されており、内容に満足のいくものとはならなかった。

 また、「明治4年に小祠が建てられた」との伝承については、北大、上田哲司氏の研究論文※についても精査させていただいた。

 この論文には、阿部仁太郎が現豊平神社地に屋敷を建てたのは、明治十三年とあるが、阿部仁太郎の長男、初太郎も二代目仁太郎を名乗り、以下五代目まで仁太郎名を継承し、初代仁太郎が厚別地区に転居したこともあり、詳細資料は豊平神社でも発見できなかったため、あえて伝承の明治四年を修正しなかった。

 これについては、北広島市教育委員会が収蔵している阿部家伝承資料等の今後の歴史研究者による検証を待ちたいと思う。

編集委員の責任を果たせて安堵しているが、豊平神社が地域の鎮守さまとして末永くご発展することを願っております。

 

※追記 移住型植民地・北海道における名望家の登場-阿部仁太郎、豊平移住までの軌跡-

    北方人文研究、15、99-118 上田 哲司

※旧豊平郵便局(現豊平橋郵便局)の運営に当たったのは、初太郎(二代目仁太郎)の弟の由太郎である。由太郎の子孫が前4分区町内会会長 故小林 梢 さん。

 

爺様:昔の伝承は難しい。一概に「正しい」「誤り」とは、断定できない。