生きる意味 第5章
ハイデッカー、ユング、アインシュタイン・・・・
20世紀を代表する知識人が、仏教の素晴らしさに驚いている
出典:長南端生 著 いきる意味 1万年出版
釈迦は若い頃、
あなたと同じことに悩み、
本当の「生きる意味」を発見した。
二千六百年前、インドで活躍された釈迦は、どうして本当の生きる目的を発見することができたのでしょうか、それは釈迦が若い頃、あなたと同じことに悩まれ、それを解決されたことによります。
それは、一体どんなことがあったのでしょうか。このように語り継がれています。
釈迦の誕生の歴史に遡り、言い伝えられていることから紹介していきましょう。
♦カピラ城の太子として誕生
約二千六百年前のインド。
浄飯王と、マーヤー夫人という妃が住んでいたカピラ城に、釈迦は太子として生を受けました、二人には長い間、子供がありませんでしたが、「もう子供はできないかな」と思っていた頃、マーヤー夫人は身ごもりました。
出産のため、隣国の実家に帰ろうと、ルンビニー園という花園に差しかかった時、産気を感じ、出産したといわれます。
時あたかも4月8日、ルンビニー園には一面花が咲き誇っていました。今日でも4月8日を花祭りといって祝っています。
よく花祭りに行くと、天地を指された、生まれたばかりの釈迦に、ひしゃくで甘茶をかけるなどします。
釈迦はお生まれになった時、右手で天を、左手で地を指され「天上天下唯我独尊」と言われたと説かれています。これはもちろん「この世で私一人が尊い」という意味ではありません。その本当の意味は、後で詳しく説明しましよう。
さて、マーヤー夫人は、もう実家へ帰る必要がなくなったので、もと来た道をカピラ城へと戻っていきました。ところが、産後の経過が悪かったのか、一週間後に亡くなってしまいます。浄飯王は、最愛の妻を亡くした悲しみもありましたが、もう無理かと思っていた跡取り息子ができたということには、大喜びでした。浄飯王は、その子を「悉達多」と名付けて、とてもかわいがります、
やがてかわいがっているうちに、「見れば見るほど賢そうだ。さては将来、大物になるに違いない、どんな立派な人物になるのだろう」と思い、当時、国一番の占い師・アシダ仙人を城へ呼び、聞いてみることにしました。
やがて王様の前にやってきたスシダ仙人、じーっと悉達多太子を見つめると、はらはらと涙を流し始めます。
知り合いに自分の子供を見せて、急に泣きだされたとしたら、一体何ごとかとびっくりします。浄飯王も激怒して、「このめでたい席で不吉な涙を見せるとは何ごとか。事と次第によっては許さん」と、剣に手をかけました。
アシダ仙人はこのように語りました。
「これはこれは、申し訳ございませんでした。私が見たところ、太子様は一目で、ただ人ではないと分かりました。将来は、全世界を支配する伝説の転輪王となられるか、無上のさとりを開かれる仏陀となられましょう。いずれにしろ、二度とこの世に現れないようなお方です。
しかも、どちらかといえば私には、仏陀となられるように感じられます。ところが私はもう老いの身、この方が将来、無上のさとりを開かれて、真実の教えを説かれる頃には、もうこの世におりますまい。
そんな尊い方を目の前にしながら、その真実が聞けないとは、なんと残念なことかと、涙せずにはいられなかったのです。
それを聞いた浄飯王は、「なんだ、そいうことであったか」と、大変満足しました。「それなら、ぜひとも転輪王になってほしい。よし、早いうちから、その教育を始めよう」と、心に決めたのです。
♦幼いころからスポーツ万能、勉強もトップ
やがて浄飯王は、悉達多太子が幼いうちから、当国一番の学者であったバッダラニーと、国一番の武芸の達人・センダイダイバーの二人を家庭教師につけて、英才教育を始めます。今で言えば、ノ-ベル賞を受賞した学者と、オリンピックレベルのトップアスリートを家庭教師につけたようなものです。
ところがしばらくすると、バッダラニーが突然、「王様、どうか辞めさせてください」と言ってきました。
浄飯王は驚いて、「どうした、何か大使がいたずらでもするのか?」と言うと、バダラニーは、「いえいえ、王様、とんでもないことでございます。太子様は、大変真面目に学んでおられます。そのうえ、一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る大変聡明なお方です。ところが最近は、何か私の知らないことまで知っておられるようで、太子様のご質問にもお答えできなくなってまいりました。もう私には教えることは何もありませんから、どうか辞めさせてください」と言います。
浄飯王は、「まあ、それならしかたないか」と辞めることを許しました。
また、しばらくすると、「ついでに私も辞めさせてください」と、今度はセンダイダイバーがやってきました。
「一体どうした?」
浄飯王が尋ねると、「実は私、武芸全般に秀でる中にも、特に弓においては達人だといわれているのですが、そんな私でも、百回射れば一発は外します。ところが、太子様は百発百中、すべてど真ん中に射貫かれる。乗馬をしても、私は息切れしながらやっとやっと乗りこなしていますが、太子様はどんな暴れ馬も乗りこなされる。もう教えることは何もありません。どうかやめさせてください」と言います。
それを聞いた王様は、「まあ、そいうことならしかたがない」と、辞めさせることにしました。
そのため太子は、一人で学問に励み、武芸の鍛錬をされるようになったのです。
♦何かに悩み始めた太子
ところが成長するにつれ、太子は物思いにふけられるようになりました。浄飯王は、アシダ仙人が言っていたことを思い出し、心配になってきます。何度も理由を尋ねるのですが、憂鬱な太子は黙って何も答えません。
そこで浄飯王、
「太子もそろそろ年頃だし、きっとお嫁さんが欲しいのだろう」
と、妻をめとらせることにしました。
こうして悉達多太子は十九歳で、国一番の美女といわれたヤショダラ姫と結婚します。すると、さすがの太子も明るくなったのですが、それもしばらくの間だけでした。
やがて子供が生まれると、太子は「ラーゴーラ」と名づけ、また憂鬱な生活に戻ってしまいました。
「ラーゴーラ」とは「束縛者」という意味です。子供が生まれると、自分がやりたかったことを我慢して、お金と時間を使って子供を育てるので、束縛されて苦しみますよ、ということかもしれません。
浄飯王は、太子から「無上のさとりを得たい」という望みをなくさなければなりません。
「一体何を悩んでいるのだろう。金か、おいしい食べ物か」
みんなが欲しがるものを次々与えてみますが、何を与えても、太子の顔色は晴れません。
「そうだ、美女が一人では足りないのかもしれん」
浄飯王は何とか太子を明るくしてやりたいと、季節ごとに、一番快適に過ごせるような四季の御殿を造らせ、そこに五百人の美女をはべらせました。豪邸で、毎日おいしい物を食べ、仕事もなく、ずっと遊んで暮らせばいいだけです。
これはかなりうらやましいのではないでしょうか。
浄飯王はこうして、誰もが望む、ありとあらゆるものを与えていくのですが、太子の悩みは、全くそんなことではなかったので、心は少しも晴れませんでした。
一体、太子の悩みはどこにあったのでしょうか。
次回は、釈迦伝説の「四門出遊」と「出城入山」の説明に入ります。
爺様のブログも少し難しい問題に取り組んだとも思っているが、難度海の大船に早く乗る方法のヒントを知りたい。
順に進んでいきます。