福祉(幸福・しあわせ)の追求 「自己実現のために生きる」という考え  (その2) | dai4bunkuのブログ

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福祉(幸福・しあわせ)の追求

福祉のまち推進センターの運営目的探しにいろんな面から紹介しましょう!

 

出典:「生きる意味109」長南瑞生 著 1万年堂出版

 

よくある間違いその5

 

「自己実現のために生きる」という考え  (その2)

 

                     やりたいことには

                     限りがないが、

                     命には限りがある

 

葛飾北斎(18世紀日本)

 ゲーテとほぼ同時代。江戸時代は化政文化の代表的な浮世絵師、葛飾北斎はどうでしょうか。「富岳三十六景」をはじめ、何万点もの作品を残し、ゴッホにも影響を与えて世界的に知られています。

 ところが八十八歳まで生きて、最期はこんな悔いを残しています。

 

 天があと十年、いや五年の命を与えてくれたなら真に偉大な画家になれるのだが・・・。

                             (葛飾北斎)

 富岳三十六景の有名な「神奈川沖浪裏」など、遠景に富士山、荒れ狂う海、翻弄される船、豪快に襲いかかる大波、砕け散る波頭、その瞬間を永遠に切り取ったたぐいまれな画力は、他人から見れば、「それだけすごかったら、もう真に偉大な画家なんじゃありませんか?」と言いたくなりますが、本人は満足できないようです。

 

チャールズ・ダーウィン(19世紀イギリス)

 19世紀のイギリスで、進化論を提唱したダーウィンはどうでしょうか。

 当時、すでに科学革命や産業革命は起きていましたが、いまだ、あらゆる生物は神よって創造されたと思われていた時代でした。

 そんな中、ビーグル号で5年間かけて世界一周し、やがて自然淘汰の革命的な理論で人々の意識に大転換を起しました。その後、73歳まで生きて、ニュートンの墓の近くに葬られました。今日も多くの人にその名を知られ、現在の生物学の前提となっています。

 それだけ卓越した力を発揮して人類に貢献したのに、どれほど満足できたでしょうか? 生前、このように言っています。

 

 自分の心が「事実の山をすりつぶして一般法則をしぼりだす機械か何か」になった気がする。                   (ダーウィン)

 

 どうやら、かなりお疲れのようで。「満足」には至らなかったようです。

 

ジョン・レノン(20世紀イギリス)

 イギリスの歴史ある港町リヴァプール。ロックに魅せられた少年たちがバンドを結成し、いつかビッグになりたいと、来る日も来る日もクラブで演奏し続けます。

 1962年、ビートルズとしてデビューすると、人気は急上昇し、翌年にはイヂリス王室に招待を受けます。さらにロックの本場、アメリカでも大成功をおさめ、ワールドツアーに出発。日本武道館が初めてロック・コンサートに使われたのは、ビートルズの日本公演でした。

 ところが、そのあまりのハード・スケジュールと、行く先々でもみくちゃにされることに疲れてしまい、1966年にはツアーをやめてしまいます。ビートルズが解散する前年、リーダーのジョン・レノンは、記者会見でこう言っています。

 

 ビートルズは成功し、ツアーをやめ、欲しいだけの金や名声を手に入れ、

 最後に、自分たちは何もてにしていないことに気づいた。

(ジョン・レノン)
 好きなことに打ち込んだうえに、お金や名声まで手に入れたのに、満足を手にすることはできなかったようです。

 

パブロ・ピカソ(20世紀スペイン)

 20世紀初期、キュピズム創始したピカソは、征服者のように人生を歩み、力も、女性も、富も、栄光も手にしましたが、そのどれにも満足できませんでした。

 やがて仕事だけが自分の人生のようになると、「毎日できが悪くなる」と言い、目指す究極の絵からもかえって遠ざかっていくようでした。

 それでも必死に仕事にしがみつき、絵を描き続けます。十数万点という膨大な作品を作り91歳まで長生きしましたが、晩年にこんな言葉を残しています。

 

 何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ。「さあ、よく働いた。明日は安息日だ」と言える日は来ないのだ。     (ピカソ)

 

 個性的で創造的な才能をどれだけ発揮しても、自己実現したという満足はなかったようです。

 

村上春樹氏 (現代日本)

  現代の日本では、「ノルウェイの森」一千万部突破、「IQ84」は三百万部突破と、大ベストセラーとなり、世界的にも評価されている村上春樹氏は、く、言います。

 

 自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし

何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体は効用もないし、それに付随する救いもない。                     (村上春樹)


 自らの能力を発揮して大ベストセラーを書いても、何かに到達したと思えばそれは錯覚であり、別に書くこと自体が楽しいわけではないとのぉと。

 確かに、これだけ歴史に名を残した天才たちが自己実現できないとすれば、自己実現したと思った人は、何かの勘違いかもしれません。

 そして、村上春樹氏は、人びとの「生」をかいま見れば見るほど、それは、定まった場所を定まった速度で巡回しているメリー・ゴーランドのように、どこにも行けない無力感にとらわれているにもかかわらず、我々はそんな回転木馬の上で熾烈なデッド・ヒートを繰り広げているようだと続けます。

                                     村上春樹 「回転木馬のデット・ヒート」講談社文庫 1988年

 

 

 

 このように、ゴ-ルのない道を果てしなく歩み続けて苦しんでいるありさまを、仏教では

「流転輪廻」

といいます。車の輪が同じ所をぐるぐる回るように際限がない、ということです、私たちはいつも、何かを求めて生きています、

 

 お金があれば幸せになれる・・・・、

 もっといい仕事に就けば・・・、

 恋人があれば・・・、

 車があれば・・・、

 子供があれば・・・、

 家があれば・・・、

 辛さの調子が悪い所が治れば・・・、

 いろいろなものを求めて生きています。

 

   そして、ただでは手に入りませんから、努力の末、手に入れます。

 手に入れた時はうれしいのですが、一時的で、すぐに慣れてしまいます、

 するとまた、次のものを求め始めるのです。

 まるで、車の輪が回るように、手に入れては慣れてしまい、手に入れては慣れてしまい、求めているものは、少しずつ変わって生きのですが、メリー・ゴランドが回り続けるように、同じ所をぐるぐるぐるぐる回って、本当の安心も満足もないのです。

 このことをドイツの哲学者ショーペンハウァーはこう表現しています。

 

 願望はその本性のうえからいって苦痛である。

 その願望が達成されると今度はたちどころに飽きが来る。

 目標は見せかけにすぎなかったからである。所有は魅力を奪い去って

しまう。

 そうするとまたしても願望や欲求が装いを新たにして出現することになる。

                 (ショーペンハウァー)

 

 そんなゴールの影も形も見えない円周トラックを走り続けるように、私たちは次々と現れる欲望を追い求め、流転輪廻を重ねるだけで、どこまで行っても、どこにもたどり着きません。やりたいことには限りがありませんが、命には限りがありますから、やがて力尽きる時がやってきます。

 「精一杯やったからこれでいいんだ」

 「頑張っているからしかたないんだ」

と、思い込むしかありません。

 このように、死ぬまで求まった(本来は「求められる」とあるべきである。)ということもなく、限りなく歩き続けることが「生きる目的」ではありません。人間に生まれてよかったという生命の歓喜を味わうには、一体どうすればいいのでしょうか?

 

爺様:字様の小難しいブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。

 生きる意味について、よくある間違い七つの勘違いの五つ目が終わりました。

 年明け以降、その6・その7に続きます。その後、第4章以降に進みたいと思っていますが、途中で挫折する可能性もありますが、努力しましょう。

 

 皆様 良いお年を!