高台に立つ神社から崎津集落を眺める。

教会の塔⛪️が印象的だ。



ガイドさんは先ず諏訪神社から案内しないと、

と言う。


それまでの道の途中、丘にお墓が立ち並ぶのを見た。

ふつうの仏教徒のお墓と十字架のお墓とが共存している。

それが崎津の信仰を象徴している様に思われた。




崎津諏訪神社が”隠れキリシタン”の場所でもある。




晴れてます。

日傘です。



1805年「天草くずれ」が発覚する。

取り調べると住民の7割以上が潜伏キリシタンだと判明して代官所は驚愕する。


この境内は信仰した品々を夜間にでも持ち寄る様に命令された場所。密かに出せる様に。

箱を設置した場所なのだ。



潜伏キリシタンたちは神社も参り、

お祭りにも参加していた。

天草独自の信仰を続けていた。

そのせいもあってか長崎など他の地域の「くずれ」は過酷な処断もあったが、

崎津では「宗門心得違い」で取りなしとなった。


今でも多くが漁師で、多くがキリシタンである。




この街全体が、暮らす人々全体が世界遺産なのだ。





かつて教会が建っていた場所。

移転したのは訳がある。




街道をブラブラ。

けっこう楽しいのだ♬



かつては鉱山なども栄え、旅館が多かった。

泊まるだけの安い宿もあり、遊女たちもいた。




ふと。

教会が現れる。



老朽化により先ほどの場所から移転したのだが、

この地は『踏み絵』が行われた場所。

幾たびも幾たびも。

寝たきりの老人にも踏ませた。


だからこそここに教会を建てたかったのだ。






書かれている様に内部は畳が敷いてあった。


内部はさすがに教会の厳かな雰囲気がある。

聖水なども置かれている。

設計者も天草出身の方である。


静かに祈る。




コンクリートでの建築だったが、

資金が不足し後ろ三分の一は木造建築となる。

(色が違うでしょ❓)

(全部を白く塗る手もあるね

「白く塗りつぶせ〜♬」

永ちゃんも歌ってるし)




ガイドさんが土産物屋に入ってゆく。

と、思ったら資料館でした。


「崎津資料館みなとや」


以前は旅館だった。

というより遊女屋。

だから四畳半が多い。



崎津集落のジオラマ。


福岡や長崎との交流が最も盛んだった昭和初期のイメージなんだそう。



潜伏キリシタンの経緯が記されている。

仏教徒であり、神社の氏子でもあった。

(兼ねていた。

宣教師が居ないから独自発展する)



メダイとはメダルのこと。



貝の煌めきの中にマリアさまを見たのか。




宗門心得違いの者の取り調べ調書。




柱の中に隠されていた。


他にもたくさんのキリシタン関連がある。

よくも続いたものだと思う。


みなとやを出て。



かつてはここに一番の旅館があった。

司馬遼太郎も泊まり、

「天草は旅人を詩人にする」と書いたと。

「街道を行く」で訪れたらしい。

林芙美子ら著名人が多く泊まった。


「藍より青く」という朝ドラのロケ地にもなった。

(と聞いたが名前しか知らない)



塩を用いたお菓子が売られていた。

女性陣は買って食べ歩き。


天正遣欧少年使節がいちじくを持って帰った❓


“天草では南蛮柿と呼ばれています」


ホントかなあ❓