「オフサイド・ガールズ」でイランの女性の権利に焦点を当てた。


女性に禁じられたサッカー観戦。

何とか観ようと奮戦する若い女性たちの面白そうなお話。

ベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲るが、

イラン国内での上映は叶わなかった。


その監督の作品。



いつものシネモンドにて鑑賞。


(でもこれだけの実績のある監督の作品が、

なんで大きく公開されないのかは不思議)



様々な場面のディスプレイ。



まず「シンプル・アクシデント/偶然」から。


イランで撮影が困難な監督がどうやって撮ったのかも謎である。

監督はカンヌもベネツィアも獲得しているシャフル・パナヒ。

イラン国内で不当な弾圧を受けている。

それでも当局に隠れて密かに撮影を続ける監督。




映画は何ということもない情景で始まる。


ワヒドが働く工場に、車のトラブルで家族連れが修理の助けを求めて現れる。

男の義足を引き摺る音を聴いてワヒドの表情が一変する。


ワヒドは男を無理やりに怪我をさせ、

車で連行。

砂漠に生き埋めにしようとする。


(この辺りは観ていても“なんで❓”の連続。

だんだんと状況は理解できるがイランの人びとが置かれている世界を想像しないと追いつかないかもしれない)



ワヒドは男を、かつて自分を拷問した人物だと確信したのだ。

その看守であるエグバルによってワヒドは人生を奪われたと感じている。


だが❗️



男は人違いだと言い張る。

ワヒドも目隠しをされていたので顔の記憶はない。

義足の音の記憶だけだ。


徐々に確信は揺らぎ始める。



気絶している男(半死半生)を車に詰めて、

男を知っているだろう人物を探す。

多くの知人が囚人となっている。



「車に“義足”が」


その看守エグバルならば拷問を受けた男女は多い。

だが誰も顔を見知ってはいない。

拷問は顔を覚えられないように行われる。



話を聴いて激昂する男性もいる。

脚を触って「間違いない!」という。

その男はエグバルの脚を脅迫の下に触らせられた。

今にも殺しそうになって周囲は止める。


結婚を控えて写真を撮っていた女性もまた、

かつてエグバルによって口にできない屈辱を受けた。

ドレスが汚れるのも構わずに怒る。


だが誰も断言できないのだ。



揉めていた彼らが、車のガス欠で力を合わせる。

渋滞でクラクションが鳴り響くユーモラスな場面が印象に残る。



イランの強権国家の様子がよくわかるかもしれない。

それだけ拷問された人びとがいるのだから。



花嫁(予定)が暴れるシーン。



だが仮に。

本当に“義足”だとしても復讐は正しい行いなのか。

そう語りかける知人もいる。



ワヒドは悩み続ける。


さらにあらすじを書いた方が面白そうな展開なんだけど、ネタバレは避けよう。


映画はサスペンスの様相を表し始める…




次は「ロストランド」

監督とプロデューサーの舞台挨拶があった。

藤元監督は、虐げられている人たち。

私たちが見ようとしない人たちを描いてきた。




バングラディシュの難民キャンプ。

かくれんぼで笑いながら暮らす姉弟。

ロヒンギャと呼ばれる家族。


家族はマレーシアへ向かう。



横暴なブローカーは厳しく対応する。

まるで漂浪のような旅が何日も続く。

途中で亡くなった方を海に流す。


ようやく陸地を見つける。

そこへ沿岸警備隊が現れる。



家族と離れ離れになる姉弟。


様々な困難の末に姉弟は盗みをしながら歩く。

姉は懸命に幼い弟を庇う。



タイからマレーシアの国境を越えようとするロヒンギャの人たちと合流する。


フェンスを潜り抜けようとした時。

「止まれ!」の声と銃声。



抜け出した時には弟だけ。

姉を呼んでも返事はない。



ひとりぼっちになった弟シャフィ。

姉のソミーラが現れると信じている。



ひとりでかくれんぼをするシャフィ。

姉は現れるのだろうか…


佳作だと思う。


どちらの作品も弱者の立場に寄り添う。


しかし覚悟として。

牢獄に入れられても国外に出ようとしないパナヒ監督。

その体験の重みは鑑賞後に残り続ける。


パンフレットで森達也監督が言葉を寄せている。

イランの強権国家は非難すべきだが、

それを抹殺しようとするアメリカ。

またはトランプを厳しく追及している。

「イランは核兵器を持ってはならない」と語る高市に、

ではなぜ核兵器を持つイスラエルを非難しないのかと語る。


ボクもまた森達也監督の言説を支持する。



どちらの映画も現在の日本を問いかけている。

そのようにボクは考えるのだ。