父の転勤により、日本各地で暮らした向田邦子さん。
その中でも鹿児島がお気に入りで、彼女が残した数々が展示されている。
学芸員さんは、毎年向田さんの特集展をしますとおっしゃる。
すぐ近くに歩きたくなる道があるが、
ここからは入れません。
こうの史代展もまもなくあるようだ。
お子ちゃま向けのメルヘン館と併設。
良いのかそうでもないのか。
観てみたかったが金沢で観たから良いや。
と、負け惜しみを考える。
ここから入るのだけどその前に。
向田邦子さんの著作が並んでます。
テレビの脚本家として。
またエッセイストとしても優れていた。
(直木賞受賞なので小説もあるのだけど、
彼女の真髄は随筆にあると思う)
「寺内貫太郎一家」
「時間ですよ」
「阿修羅の如く」
など多数、お茶の間で名作を生み出した。
「父の詫び状」
この本はよく耳にする。
収録されている「字のないはがき」は中学の教科書にも載っている。
彼女の随筆には父の話も多い。
(実は父はボクの出身の能登である。
その中の能登島の生まれ。
能登島は漁師町で基本的に貧しい島だった。
母子でよそ様の家で暮らしたりした。
だから進学はできなかった。
保険会社に給仕で入り、気に入られて正社員に。
そして支店長となって全国各地で働いた。
異例の出世だったが、その分家族には負担をかけた)
長女である娘にも労いの言葉を言えない。
だから手紙で「この度は格別のお働き」としか感謝の伝え方ができない男だった。
不器用ですね。
出ていけ!
出ていきますとも。
その応酬で向田邦子さんはアパートに暮らし始める。
もう立派に社会人になってたし、
それで良かったのだろうけど。
お母さんがハラハラしたかな。
挿絵パネル展があった。
このおふたりの。
ネコさんの絵がありました。
常設展には鹿児島ゆかりの作家たちが並ぶ。
林芙美子
(こまつ座で彼女の人生の舞台を観た)
椋鳩十
(「大造じいさんとガン」が有名かと。
鹿児島で仕事をした関係か。
図書館で今にも継承される活躍をした)
島尾敏雄
紙芝居のような装置があった。
奄美に配置された特攻隊隊長。(島尾敏雄)
子どもらと仲良くなると女性教師のミホと知り合う。親しくなったころ、特攻の予告が出る。
ミホからの手紙が届く。
「浜辺にいます」とあった…
純愛ものなんだけど代表作「死の棘」で夫婦の確執があるのもミホなのだ。
だからシンデレラのお話はハッピーエンドで終わる。
その後の結婚生活は描かない。
お皿が飛んだかもしれないし。
吉井勇
山口誓子
杉田久女
なども並ぶ。
そして向田さんのコーナーに向かう。
(館内撮影は不可。すべて借用です)
ネコさんが大好きだった。
タイで一目惚れしたネコさんを連れ帰ったり。
(どうやったんだろう❓)
お家でたくさんのネコさんと暮らしました。
家族揃った写真もあった。
女学校時代の記述もあった。
戦争末期なのか戦後すぐなのか。
“同級生の中には爆弾で負傷した子もいたし、
原爆で顔中にガラスが刺さった跡を残した子もいた。
しかし皆んな活動的。
校長先生が蹴躓いたというだけで学校中の女生徒が笑い転げるという、いつの時代もこの年代の女性はそんなもののようである”
そんな趣旨の文が記されていた。
東京でのリビング兼書斎が再現されている。
片付けが苦手だった彼女らしく、
雑誌などは少し散らかってる。
ヘッドホンで関係者の声も聞ける。
妹さんの映像やインタビューもあった。
小泉今日子さんが敬愛している演出家の久世光彦さんによる向田邦子評は、映像でも観られる。
(ただボクから見るとキザな男に見える。
タバコを指に挟んだまま語る。
ボクが苦手なタイプかもしれないな)
留守録も当時珍しく取り入れていた。
何パターンも作って楽しんでいたそう。
ヘッドホンで彼女の声が流れる。
「向田です。ただいま留守にしております。
少し近所に寄ってますから、しばらくすると帰るかと思います」
この後続くのです。
個性的な留守録音が聴こえます。
向田さんに何度も何度も録音してたのは黒柳徹子さん。
1分の録音に収まらず繰り返し語ったそう。
(そして最後は「じゃあ会った時に話すわね」
なんの録音なんだか)
映画雑誌に勤めていた頃もあったはず。
映画も大好きな方でした。
パンフレットから。
このような部屋が置いてあり、
息づいでいます。
あれっ❓
この写真だと雑誌とか片付いてるな。
飛行機事故がなければどんなおばあちゃんだったかな。
文学館からの帰り道。
キリスト教的な像を見た。
あゝそうか。
ザビエルは初めはこの辺りから日本に来たのだ。
でもうまくいかず平戸の方で布教に成功する。
平戸では大きく美しく、ザビエルの碑がありました。
説明文です。
誰かがお掃除してるのだろう。
綺麗になってる。
恵まれてますよ。
ザビエルさん。
























