私はラルクを好きになった頃からずっと、kenちゃんと呼んでいます。
きっかけはhydeさんでしたが、今は揺るぎないけのたな私です。
同じバンドの別の人にもう一度惚れるなんて、不思議なものだなぁ…と思っています。
一度はラルクから離れかけてしまった気持ちが復活したのは、kenちゃんのおかげです。
という訳で、2003年の活動再開以降の私のラルクファン史も含めたkenちゃん観。
改めて文字にしてみると、他人のことにこんなに感情移入してあれやこれや考察(&妄想)してるのは、自分でもちょっと怖いですw
私が最初にラルクを見たのは雑誌の記事でしたが、その時のkenちゃんの第一印象は…
「あぁ、ビジュアル系バンドに1人くらいいる、『残念な人』ね」
という、最悪なものでしたw
kenちゃんごめんなさい…w
だってhydeさんのルックスには一目惚れしたしtetsuyaとsakuraもかっこいいのに、kenちゃんは白いファンデと赤い口紅が全然似合ってなくて変な青いファーの趣味の悪いコートで…w
髭を生やし始めたあたりから、ようやくルックスが好きになれた感じです。
今はプリken時代もかわいいと思うんですけど、ラルク初期の頃のビジュアルは笑っちゃうものもありますw
ファンになってから初めてリアルタイムで買ったシングルが「虹」でしたが、あのタイミングであの曲を書いたkenちゃんは本当に凄いと思いました。
hydeさんが「力強くて美しい曲を書きたいと思っていたのに書けなくて、そうしたらkenちゃんがまさに自分が書きたいと思っていた曲を書いてきたから驚いた」と言っていたのが印象的です。
hydeさんはkenちゃんが書いたVoiceを聴いて「それまでは他の人が書いた曲でも歌詞は自分の世界観に持って行こうとしていたけど、Voiceを聴いてからは曲を聴いて感じたことを素直に表現すれば良いのだと気付いて、歌詞の書き方が変わった」と言っていて、そんなに大きな影響を与えるくらい、kenちゃんの曲には力があるのだと思いました。
sakuraも、このVoiceを聴いてラルクに入ることを決めたと言っていたし…。
hydeさんは「kenちゃんの曲は情景が浮かぶから自分の曲よりも歌詞が書きやすい」とも言っていて、kenちゃんの曲もhydeさんの歌詞が乗ることによってもっと豊かな世界が広がると思うので、こんなに世界観の合う2人の表現者が出会って曲を生み出してくれる奇跡は素晴らしいと思います。
でも、“is”や最盛期の頃のインタビューを読んだりバラエティー番組で喋るのを見たり聞いたりして受けていたkenちゃんの印象は、一貫して「頭が良くて面白い人」そして「女好きでエッチな人」という…薄っぺらいものでしたw
他のメンバーには感銘を受けたり逆に腹を立てたり、いろいろ思うところがあったんですが、kenちゃんにはそういう記憶がなく、普通に好きだけど強い思い入れもない、という感じでした。
kenちゃんの曲は昔から大好きだったし凄いと思っていたけれど、「あのキャラクターからどうやってあの名曲達が生み出されるんだろう?」と不思議でした。
REALツアーの時には、いつも明るい印象しかなかったkenちゃんが全く立ち位置から動かず(あの時は音にこだわってギターをワイヤレスにしていなかったので仕方なかったのかもしれませんが…)雰囲気も暗くて、kenちゃんもラルクに疲れてるのかな…と思ったりしたけれど。
それくらいで、本当にそれまでのkenちゃんには、これと言って思い浮かぶエピソードがないんです。
…これはあまり思い出したくもありませんが、フライデーにkenちゃんの自宅の盗撮写真を使った捏造記事が載ったことがありました。
暫くしてから「確証のない記事でした」という謝罪記事が載りましたが、当たり前ですが元の記事に比べて物凄く小さくて。
驚くことに、ラルクに興味のない人でも未だにそのことを覚えている人がいて、「ラルクのkenが好き」と言うと「あの人、なんか怖い事件起こしてなかった?」と言われることがあります。
ああいう報道(と言えるものでもない)のあり方に強い憤りを感じます。
kenちゃんから、今でも「家にいる時はカーテンは閉めてる」っていう話を聞いたりすると(有名人はみんなそうなのかもしれませんが)、胸が痛みます。
…家の中で裸で過ごしたりしてるからかもしれませんが…(by5時に夢中)
kenちゃんはメジャーデビューした頃と全盛期の頃、2回結婚していましたが、当時はけのたではなかったのでそんな噂を聞いても「ふーん」と思う程度でした。
余談ですが、私は前は好きな芸能人とかが結婚したことにショックを受ける人の気持ちがわからなくて、「どうせ自分が結婚できるわけでもないんだし、好きな人が幸せになってくれたら嬉しいのになんでショックを受けるんだろう?」と思っていたのですが、去年、私の好きなBUGのTAKASHIが結婚を発表した時に物凄くショックを受けてしまいましたw
まさか自分が結婚できるかも、と思っていた訳でもないだろうに、どうしてあんなにショックだったのかとても不思議なんですが…w
自分が結婚っていうものをリアルに考える年齢になったからかなぁw
イタい…w
今は、kenちゃんもまた結婚して子供とか作って幸せになって欲しい、とも思うんですが、実際結婚したらショックを受けるのかな…w
家族にそんな話をしたら、「2回も失敗してる人はもともと結婚に向いてないと思う。結婚が全ての人にとって幸せな訳じゃない。kenちゃんは独身でいる方が幸せなのかもしれないんだから、他人がとやかく言うことじゃない」と、なぜか母と姉に真顔で説得されましたw
まぁ、そうですよねw
閑話休題。
そんな感じでkenちゃんに対しては特別な感情を抱くこともないままラルクは活動休止になって、hydeさんの項目で書いた通り私の気持ちもラルクから離れて行きました。
大学に入って新たにラルクファンの友達ができましたが、
「ラルクのライブあったら行きたいね…でもやるのかな?解散しちゃうのかな?」
みたいな話をしていました。
私はファンクラブを更新しなかったしソロ活動の情報は熱心にチェックしていなくて、他のメンバーが動き始めてもkenちゃんが表立った活動をしていないことにすら気付いていませんでした。
2002年の夏、その友達に「kenちゃんがライブやったらしいよ」と聞いても、特に気に留めることもありませんでした。
そして2003年が明け、大学2年の終わりがけのある日。
大学の本屋でたまたま音楽雑誌を立ち読みしていたら……
「け、け、kenちゃんとsakuraがバンド?!?!」
S.O.A.P.の1stアルバム(ミニ)“GRACE”発売の告知の記事を読んで、ひっくり返るくらい驚きました。
ラルクはどうなってしまうんだろう、解散するかもしれない、という非常に不安定な時期に、脱退した元メンバーとバンド結成なんて…
「kenちゃんもsakuraも、何考えてるの?!」
「よく周りの大人が許したなぁ?!」
と頭の中は疑問だらけで、でも強烈に興味が湧いて、掲載されていた雑誌を買い漁りました。
バックナンバーも取り寄せて読みました。
そこで知ったのは、衝撃的で、悲しい事実でした。
中でも「音楽と人」2003年1月号のインタビューは鮮烈でした。
kenちゃんはラルクの活動の中で、「消費され尽くしたように感じて疲れてしまった」と言いました。
kenちゃんにとって音楽を作るということは、綺麗な景色を見たり音楽以外のいろんな経験をすることで自分の中に貯めてきた感情を放出することなのに、自由な時間もなく人目を避けて行動しなければならない状況で音楽を制作しなければならず、自分が消化しきれないままに大量のレコーディングをこなすような活動をしてきて、音楽が楽しくなくなってしまった。
メンバーがソロ活動を始めて、自分もなんとなく曲を作ってみても、メンバーの声や音が頭に浮かんで「これだったらなんでラルクでやらないのかな?」と思ってしまって、音楽を作る意味を見失って1年くらい全く音楽に触れない生活をしていた、と。
それから、メンバーとの関係について。
バンドを始めた頃は、厳密には違っていたのかもしれないけれどなんとなくの方向性は一緒だった。
でも、ある程度の目標を達成した時にお互いの見ている方向にズレが生じてきて、だんだん直接会話することもなくなって、違和感を感じていた。
…それまでのラルクを見ていて薄々感付いていたことでしたが、決して触れてはいけないタブーのようになっていたことがメンバーの口から語られたということは衝撃でした。
しかも、いつも明るく、不満を口にせず、おちゃらけたことばかり言ってみんなを笑わせていたkenちゃんの口から。
ありふれた言葉ではなく、自分の言葉であまりに赤裸々に語られたインタビューを読んで、私はkenちゃんの繊細さ、脆さ、根底にある孤独感みたいなものに、どうしようもなく惹かれてしまいました。
そして、sakuraから一緒に何かやらないか、と言われた時に「クスリのこと云々じゃなく、その前からのことも含めて、あのままのsakuraだったら今の俺とは合わないよ」と返事したと言っていました。
そこから二人がどんな会話を重ねたのかはわかりませんが、時間を過ごすうちに「合ってきた」と感じて、音を出そうか、という話になったのだとか。
お互いを受け止め合える関係性が作れた、という話もしていました。
sakuraも当時は自分の再起を賭けて立ち上げたZIGZOが解散して喪失感の中に居ただろうし、「再び音楽に向かう理由」が欲しい二人だったのかな…等と思ったりします。
“high!”発売の時のインタビューも印象に残っています。
「音楽を始めた頃は表現したいことはいっぱいあって、でも技術やできる環境がなくて、その割合が9:1くらいだった。プロになるとその1割をもっと大きくしようということばかりに一生懸命になりがちだけど、そっちに気持ちが行きすぎると、肝心の表現したいことがなくなっていって、そうすると音楽をやる意味がなくなってしまう」というようなことを言っていて、私も当時の自分の状況と重ね合わせて、凄くその意味の重さを感じたりしました。
kenちゃんがソロを始めるにあたって「ラルクではできないことをしたい」と考えたのは当然の流れだと思いますが、そのために何よりもまず優先させたのが「人間関係に煩わされることなく音楽がしたい」ということだったというのは、辛いですね。
その結果ベース初心者の友達、Einを誘って、身近に歌ってくれる適当な友達がいないからという理由でkenちゃん自身が歌うSONS OF ALL PUSSYS―S.O.A.P.が誕生した、ということでした。
結成にはとてもシリアスな理由があったわけですが、彼らのもう一つのテーマ、「とにかく楽しく音楽をやりたい!」という思いで、まずバンド名からふざけちゃってるところが彼ららしいですw
そんなkenちゃんとS.O.A.P.というバンドに強烈に興味を持ち、初の音源“GRACE”を発売日…2003年2月6日、フロの日(笑)に買って、初めて聴いた時のことは忘れられません。
1曲目のGRACEを聴いて、まず「えっ!kenちゃんってこんなに歌えるの?!」と驚きました。
客観的に聴いたら、ピッチやテンポ感が危ういところもあるし粗削りなヴォーカルかもしれませんが、声量があって高音も出ててシャウトにもロックを感じたし、何よりエモーショナルで。
単なる上手い歌、ではなく表現者のヴォーカルだ、と思いました。
sakuraのドラムもそんなエモーショナルなヴォーカルと呼応するように歌っていて、あぁ、sakuraのドラムやっぱり好きだ!と思いました。
Einの詞も、セクシーでグラマラスな音楽の世界観にとてもよく合っていて。
そして、2曲目の“Every Second, I’m in Romance”で、私は完全にノックアウトされました。
ちょっと恥ずかしいくらい素直な歌詞が乗った、狂おしいほどに感情豊かな歌。
メロディもギターもドラムもベースもコーラスも全てが大好きで、切ないのに幸福感が溢れてて…。
シンプルな3ピースなのに、その圧倒的な音の世界に溺れて、いつまでもいつまでも聴いていたくなる。
私はkenちゃんが作曲した曲の中で1、2を争うくらい(いや…やっぱり1番は決まってるから、2、3を争うくらいかなw)、この曲が大好きです。
“A Song For You”でも、赤裸々な歌詞に驚き、涙が出るようなメロディに胸を鷲掴みにされ、“PRIVATE RELISION”はインディーズ時代のラルクを彷彿とさせるようなフレーズやプレイにニヤリとしながら、ハードロック的な美しさに心酔させられて…。
私の好みのど真ん中という感じで、一気にのめり込みました。
私が完全なけのたになった確定打でした。
本当に悔やまれるのは、チケットが取れなくてS.O.A.P.初の本格的な全国ツアー“BUBBLE FESTIVAL 2003・春”に行けなかったこと…。
まさかのHYDEさんとのジョイントにはめちゃくちゃ驚きましたが、二人とsakuraが良い関係性が作れていることがとても嬉しかったです。
それにステージ上での奇跡的コラボもたくさんあったそうで…。
レポを見ては悔しい思いでいっぱいでした。
HYDEさんが歌うPRIVATE RELISION、聴きたかった!!
続く“gimme a guitar”も大好きで、この発売特典で倍率20倍だったというS.O.A.P.の握手&サイン会に参加できました!!
3人に握手とサインをしてもらい、kenちゃんに「名前は?」と聞かれ、“to Asako”と名前も書いていただきました(;ω;) (;ω;) (;ω;)
割とフランクにメンバーと会話してる人もいたのですが、私は緊張しすぎて全くそんな余裕はなく、突然kenちゃんに「大好きです!」と言ってしまって…w
kenちゃんは「ありがとう」と言ってくれました(;ω;)
しかしこの時、多分動揺しすぎてkenちゃんに握手してもらい忘れたことに後で気付きましたww
それとも、興奮のあまり記憶喪失になったのか??w
…幸い、その後kenちゃんには6回も握手してもらったから良いんですが、その時は相当落ち込みましたw
サイン色紙は今も額に入れて飾ってあります。
そして、ずっと止まっていたラルクがShibuya Seven daysというライブを行うことが発表されました。
私と友達は7月5日にサークルの大会があったので日程的に最終日の6日しか行けなかったのですが、超激戦だっただろうチケットに運良く友達が当選してくれて参戦することができ、初のライブ遠征をしました。
この時は…いよいよ解散ライブなのではないかという予想もあり、物凄い緊張感を持って臨みました。
一度はラルクから心が離れてしまっていたけれど、kenちゃんの活動を観ていて私自身も音楽って素晴らしい、自分にとってかけがえのないものだと再認識できたし、その自分の根底にあるのはやっぱりラルクだと思い、ラルクが解散してしまうのは自分の中の何かが崩壊してしまうような、物凄い恐怖を感じました。
冒頭、薄幕が降りたままのステージで始まったFare Well。
後からhydeさんが「『うまく言えなかったけど いつも思っていたよ』という気持ちを伝えたかった」というようなことを言っていましたが、その時は全くそんなことは思いも付かず、Fare Wellって、お別れっていう意味…?と思い、不安な気持ちでメンバーのシルエットを観ていました。
そして2曲目、大好きなあのピアノのイントロが鳴り響き、代々木第一体育館の天井いっぱいに巡らされたライトが虹色に点滅し、hydeさんのシャウトと同時に幕が落ちた瞬間―――
いつもなら飛び上がって喜ぶCaress of Venusのダンサブルなビートに1mmも動けず、ただラルクだ、ラルクだ、ラルクだ、という言葉しか出てこず、全身に鳥肌が立って立ち尽くすしかできませんでした。
あの瞬間の感動は、一生忘れないと思います。
この日の客席にはいつもとは違う空気が張り詰めていました。
MCでは異様なほど鎮まり返り、一言一句聞き漏らすまいとする観客の唾を飲む音まで聞こえてきそうでした。
しかし予想に反してメンバーの口からは何の発表もないままライブが終わり…
過去のライブ映像が「失われた眺め」のインストと共に流れ始めると、観客から悲痛なアンコールが起こり、私も声の限り叫びました。
あんなに必死な思いでアンコールをしたことはありません。
ライブというより、ラルクの活動そのものへのアンコール。
やめてやめてやめて、お願いだから解散なんてやめて、と心臓が張り裂けそうでした。
最後にニューアルバム発売決定の告知がスクリーンに映し出された瞬間、友達と抱き合って泣いて喜びました。
翌日の地元中日スポーツの記事は秀逸でした。
ドヤ顔で観客を煽るhydeさんの写真(他のメンバーが写ってなかったのは残念でしたが)の横の見出し。
「解散?ご心配なく」
解散の噂さえも粋な演出にしてしまったラルクの生意気な格好良さと、それにまんまとハメられたファンの悔しさと嬉しさが見事に表現されていて、思わず笑ってしまいました。
ラルクが復活する。
また4人が集まって一緒に音楽を生み出してくれる。
それは本当に嬉しかったです。
4人それぞれが充実したソロ活動を行ったことは解散の原因にもなりうることだったと思いますが、私はそれよりも各々が改めて「ラルクでなければできないこと」「ラルクならではの良さ」というものを再認識してくれた過程だったと思います。
特にkenちゃんは、S.O.A.P.での活動がなければそういった気持ちになることは二度となかったかもしれません。
kenちゃんが脱退した元メンバーや音楽的には素人に近い人と活動をするということに対して、事務所の方や他のメンバーは複雑な思いを持ったかもしれませんが、それを禁止したり否定したりすることなくサポートしてくれたということに、私は深く感謝しています。
そしてもちろん、一番辛かった時期にkenちゃんを支えてくれて、kenちゃんに音楽の楽しさを再認識させ、情熱を取り戻させてくれたSakuraとEinにも。
Einはライブ中、手元を見ながら必死に演奏していた姿が目に浮かびますが、それ以外の時はいつもニコニコして温和で、謙虚で、努力や苦労をしているなんて口にしない人でした。
でもsakuraが「kenちゃんがあんまりEinにスパルタで教えるから、見かねて止めに入ったこともある」と言っていたくらい、みんな音楽に対してはとても厳しく真剣に取り組んでいたんですよね。
音楽以外のことは本当に馬鹿なことばっかりしてたけど…あ、音楽でもラップやら振り付けやら、馬鹿なことしてたけどwww
でもParadiseをリリースする頃には、kenちゃんは「遊びの延長でやりたくて始めたのに、クオリティを求めたりルーティン的な活動をすることに対しては迷いがある」というようなことも言っていました。
2004年以降、S.O.A.P.は無期限活動休止状態になっています。
あの楽しかったライブやいろいろな活動のことを思い出したり曲を聴いたりすると「もう一度S.O.A.P.が観たいな」と思うこともありますが、これでいいのではないかという気もします。
あの時はS.O.A.P.をやらなければいけない理由があった、そういう形でないと音楽に取り組めなかったのではないかと思うので、kenちゃんもsakuraも充実した音楽活動ができている今、S.O.A.P.は必要ないし、それは幸せなことなのではないかと思います。
…Einがどこで何しているのかは気になるんですけどねw
でも、本当にライブは楽しかったなぁ!
S.O.A.P.のライブを初めて観たのは、2003年の年末の「天嘉 弍」になるのかな。
(ラルクがシークレットで登場してRSGをやった時ですね…めちゃくちゃ驚きました。)
その後の“BUBBLE FESTIVAL 2004 冬将軍」も、めちゃめちゃ面白かったです!
岐阜のモダンカフェクラブという会場ではかなり前の方で観られて、間近で観るkenちゃんのギタープレイや汗に興奮しました。
(それまでアリーナや野外の大ステージでしか観られなかった人なので!)
この時は就活中だったんですが、ファイナルの渋谷AXがある面接とかぶってしまって…面接の方を辞退させていただきましたww
でもこの日が締め切りのエントリーシートがあって、時間ギリギリまでかかって東京駅のカフェで書き上げ、ポストを探して表参道を全力疾走したのも良い思い出ですw
2004年夏の武道館でのSUPER SUMMER JUMBO BUBBLE FESTiVALでは、入場する時に割り箸を渡されて、全員で王様ゲームwww
王様に当たったら「お姫様抱っこ」を頼もう!とか考えてたなぁ…もちろん当たらなかったけどw
バブフェスは対バンがあったのも面白かったです。
対バンで気になったSUCK DOWNやLUNKHEADはアルバムを買って聴きましたが、名曲揃いの素敵なバンドです。
Kenソロのカバー曲を聴いても感じますが、kenちゃんの琴線に触れる音楽って私にとってもどれもツボで。
kenちゃんの感性が大好きなんだなぁ、とつくづく思います。
…予想はしていましたが長くなってきたので、続きは次回書きたいと思います。
次は、ラルク復活明けのREADY STEADY GOリリースあたりから…
まだ8年分あるのかw
その2に続く!w

hydeさんのところでも載せた記事…最悪な第一印象w
ごめんなさい!
Myojo たぶん1996年12月号(切り抜きをもらったので正確な号数がわからないのです)

1992.6.25 kenちゃんラルク加入後初ライブ@新宿ロフト。
おぼこいww
SHOXX 1992年 9月号

鬼ken。美脚!べべにこの服作りました。
uv Vol.8 1996年7月

腐女子ではないですが、この2人の絡みには萌えてしまいます。
1998年オフィシャルカレンダーの宣伝写真。

腐女子では(ry …これは反則でしょ!
1999年写真集“LIFE”

7つの穴にフルにピアスを付けてる、このチャラチャラした時代(笑)のkenちゃん、好きです…♡左手の薬指には指輪が。
1999年写真集“LIFE”

大学時代、この写真を携帯の待受にしていたら何度も「彼氏?」と聞かれてニヤニヤしていた思い出深い1枚。
バブフェス@福岡のステージ裏。
BREATH Vol.37 2003年7月

あああ本当に見たかった大阪での奇跡のコラボ。
B-PASS 2003年7月号

2003.12.26. 天嘉 弐。
初めて観るS.O.A.P.のライブがこの格好って、どうなのよw
sakuraの衣装はお母様お手製。
たぶん天嘉オフィシャルサイトに載ったレポ写真。

2003.7.7.
中スポさんGJ!hydeさんだけだけどw