私のメンバー観 ②yukihiro | Have a stroll

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ラルク・高野哲界隈に関するひとりごと。
基本遅筆でだいたい長文ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

自分のメンバー観を勝手に辿る旅、第2弾はユッキーです。
私は「虹」でラルクのサポートをすることになった時、ユッキーのことを知りました。
他のメンバーが呼んでいた通り、最初はyukihiroくん(本当に最初はyukihiroさんと呼んでいましたが、サポートを始めてから雑誌等で紹介する時にはyukihiroくんと呼んでいました)、メンバーが呼び始めてからはユッキーと呼んでいます。
最初はあまり疑問に思っていませんでしたが、後からユッキーの経歴や人となりを知って、「よくこんなあだ名付けたなぁ!それをユッキーも了承してくれたなぁ!w」と、ちょっと畏れ多くも感じますw

実は、私が生まれて初めてファンレターというものを書いたミュージシャンはユッキーです。
(とっても余談ですが、音楽をやっている人を「アーティスト」と呼ぶのは私は何だか違和感があって馴染まないので「ミュージシャン」と呼んでいます。
広義で言えば音楽もアートの一種なので間違ってはいないと思うんですが、日本の音楽界ではアイドルも歌手も全て含めて「アーティスト」と呼んでいるのは、本来の意味と違う使い方のような気がして。
音楽を作ったり演奏したり、バンド活動をしているような人は「ミュージシャン」と呼ぶのが1番しっくりくる気がします。
ちょうど、ユッキーも自分の職業を「ミュージシャン」と言っていましたし。)
最初はhydeさんのファンだった自分がなぜユッキーにファンレターを書いたのかというと、ユッキーがラルクに加入する時のインタビューを幾つかの雑誌で読んで(ファンクラブにはまだ入っていませんでした)、そのあまりに謙虚で前向きな姿勢に感銘を受けたからです。
「sakuraのことは良いドラマーだと思っているし、自分には叩けないフレーズもたくさんある。
自分は精一杯のことをするので、判断は観てくれる人に委ねたい。
音が変わってしまうのは仕方ないけれど、自分が入ってラルクが悪くなったと言われないように一生懸命頑張りたい。」
というようなことを言っていました。
きっと風当たりも物凄く強いんだろう、ユッキーに逆恨みをして嫌がらせをする人達もいるだろう、辛い思いもたくさんされているんだろう…と思うと居ても立ってもいられなくなり、「yukihiroさんのような方が加入してくださって本当に嬉しいです、応援しているので頑張ってください」というような内容の手紙を書きました。
sakuraの事件に対しての私の思いはまた別のところで書きますが、私はラルクが再び動き出すということがとても嬉しかったし、何よりも、加入してくれたのがユッキーで本当に良かったと思いました。
もちろん「虹」で聴いたユッキーのドラムプレイがとてもカッコ良くて、(当時の私が聴いてもsakuraの音とは正反対だとわかりましたが)新しいラルクのサウンドとして調和していたから、というのもありますが、正直なところ、ドラムの腕が云々、というところまでは私にはわかっていなかったと思います。
(いや、今でもプロのドラマーで誰が技術的に上手い…というようなことはあまりわかりません。
どう評価されているか知っている、とか好みというのはあるけれど、音を聴いて技術を判断できる程の音楽的な知識も耳もありません。)
それでも、あの時のラルクにとって最高のドラマーが入ってくれた、と思いました。
1998年、中学3年生の1月でした。(受験勉強しろよw)
(また余談ですが、ユッキーはラルクのメンバーをhydeくん、kenちゃん、tetsuくん、と呼んでいるのにsakuraのことだけsakura、と呼び捨てにしていたのが今でもちょっと不思議です。
個人的に交流があったんでしょうか…?
その後ユッキーがsakuraの話をするのを読んだり聞いたりしたことがないので今でも謎です。)

ユッキーに興味を持った私はDIE IN CRIESの音源が聴きたくなり、CDショップで見付けたアルバム“VISAGE”やビデオ“WEEPING SONG”を買いました。
ダークで、「昔のビジュアル系!」という雰囲気の音とビジュアル…。
(ごめんなさい、そういうジャンルは嫌いではないんですが。
今、もっと違う聴き方で聴いたら面白いんだろうと思いつつ放置してますw)
ユッキーがラルクに入った当時、
「みんな気楽そうにやってるなぁ、と思った」とか
「自由な感じに見えた」
等と言っていたのがわかる気がしました。
’95年の日清パワステのYukihiroとしてのソロライブのビデオも買いました。
これは今のacid androidの雰囲気に近いと思います。
あ、あとZI:KILLのCDも買ったんですが、間違えてドラムがMASAMIさん時代の“真世界~REAL OF THE WORLD~”を買ってしまいましたw
ZI:KILLはCLOSE DANCE とDESERT TOWN(ユッキー在籍時のアルバム)が良いというのをよく見るので、そのうち入手したいと思います。

ラルクが「不機嫌なバンド」になっていった時期も(hydeさんの項目参照w)、私は、ユッキーは飄々と状況を楽しんでいるように見えました。
それまでミュージシャンとしては不遇な時期だったと思うので、ダイナミックな活動ができてポピュラリティを得ることは嬉しかったのだろうと思います。
面白かったのはHEY!×3に出演した時、他のメンバーはだんだん態度が悪くなっていくのが目に見えてわかりましたが、ユッキーは楽しんでましたよねw
「他のメンバーも、もうちょっと大人になってもいいんじゃないの~?」と(子供ながらに)思ってましたが、「ごっつええ感じ」が大好きだったユッキーは、ダウンタウンにイジられて本当に嬉しかったんでしょうねww
それでもREAL TOURの頃にはバンドの状況的にちょっと辛いな、と感じていたみたいですが。

一時期、シングルのカップリングでユッキーがラルク曲のリミックスをやっていてアルバムも出しましたが、あれはあんまり…良さがわからなかったし、好きではありませんでしたw
でもユッキーがインダストリアルやエレクトロみたいな音楽が好きな人なんだな、というのはよくわかったし、ああいう形でユッキーならではの表現をする場があったのは、良いことだったのではないかと思います。

私はユッキーのドラミングのスタイルが大好きです。
無駄のないミニマルな、それでいて踊っているようなフォームは知っているドラマーの中で1番カッコいいと思っています。
個人的に、スティックを回したり髪を振り乱すような大きな動きで叩く人はあまり好きではなくて…。
(JOEさんは例外ですw…動きが派手なドラマーはいかつい体格の人が多い気がするので、それが苦手なのかもw)
余計な自己主張をしないフォームは、そのままユッキーのサウンド的なこだわりも表しているように思います。
「バスドラが1番下にくるようなバランスは好きじゃない、ベースが下にいて欲しい」とか
「スネアは小さく」とか、あまりエンジニアの人には理解してもらえなくて何度も衝突したと聞きますが、ベースが大きくうねる、同期モノが多いラルクのサウンドにはとても合っていると思います。
ユッキーがよく言う、「専門的に見れば難しい、マニアックなことをやっているんだけど、パッと聴きではそうとはわからない、誰が聴いてもポップに聴こえる音にしたい」というのは、ラルクのどのパートにも言えることで、だから単なる流行りの音楽で終わらない、何年経っても色褪せないサウンドになっているのだと思います。
ユッキーはマニアックだと思うしこだわりが強くて頑固な人だと思います。
そういう人は得てして「わかってくれる人だけわかってくれればいい」という考えに陥りがちですが、そうではなく「広く一般の人に受け容れられたい、もっと大きな形で評価されたい」という気持ちも強く持っているところが、ラルクの音楽性だけでなくバンドとしての姿勢にも合致していると感じます。
そういうユッキーの考え方も、ラルクに入ったからこそより明確になっていったのでしょう。
それまでの音楽人生の中で、自分がカッコいいと思うことをやっても受け容れられない、レコード会社やバンドのメンバーにさえも理解してもらえない、という経験をしたり、ミュージシャンとしての仕事がほとんどなくなってしまった時期を経験して。
そこで出会ったラルクは、ユッキーが言っていた通り「自分達がやりたいことをできる土壌が既にできていた」ということも大きいと思いますが、ユッキーが自分のやりたいことを曲げるのではなく、他のメンバーが表現したいことを自分の力でより明確に表現したいと思えるバンドだった、ということではないかと思います。
メンバーの音楽性は様々で、好みが似通っているということはない。
それでも、お互いの才能をリスペクトし合えるからこそ、自分にはなかった表現や考え方を受け容れ合える。
もちろん、ユッキーが他のメンバーに対するのと同じように、他のメンバーもお互いに同じ思いがあるからこそ、新しいものを一緒に生み出していけるのだと思います。
ドラムが好きな曲はいろいろあって挙げづらいんですが、強いて言うならforbidden lover、いばらの涙とかは曲の情感、熱みたいなものが表現されていて素晴らしいと思うし、NEO UNIVERSEみたいな曲の打ち込みと融合したループするドラムも好きです。
ラルクで作曲した曲は、ダントツでCradleです。

ラルクのメンバーの中で、ユッキーはやっぱり1人先輩でメンバーが気を使う存在であり、「20代前半の頃、同じ釜の飯を食ってきた奴ら」(by sakura)ではない、という空気は、加入して14年以上が経った今でも感じます。
それでも、一歩引いたところで冷静にラルクを見て、必要以上のエゴを主張することなく、でも全力で取り組むユッキーという存在がいてこそ、このバンドの絶妙なパワーバランスが保たれてここまで続いているのだと思います。

acid androidの曲で私が好きなのはfaultsとring the noiseです。
(ring the noiseは正確にはyukihiroとしてのリリースですが)
私はメロディ重視で聴いてしまうので、その観点で言うとこの2曲です。
でもacidの曲は中毒性があるというか、自分と現実を隔離してくれるようなところも魅力です。
faultsは、大学時代にサークルで怪我をして大会に出られなくなって、手術後の麻酔で何日も起き上がることすらできなかった最悪の状態で何も考えたくなかった時、病院のベッドの上でずっとリピートしてましたw
ライブでは「ラルクのユッキー」とは全然違う、ストイックでハードなところがカッコいいですね。
でも、ラルクの時は「わぁぁユッキーが喋ったぁぁかわいいぃぃ!!!」とか言っているユキヲタさん達が、acidのライブではデスボイスでダイブしまくっている姿を見るとどっきりしますwww
自分にはちょっと気合いを入れないと行けない感もありますw
でもまた行きたいなぁ…。
(11月のツアーは日程的に行けないんですが…。)

去年発行されたオフィシャル本“beautiful days”は本当に良い本でした。
思えば、ラルクの他のメンバーのことは生い立ち等も含めて“is”で知ったことが多かったですが、ユッキー自身のことを深く知るのは、この本が初めてに近かったかもしれません。
ユッキーから語られる生い立ちやこれまで感じてきたこと等もとても興味深かったですが、今まで関わってきた様々な人のユッキーに纏わるエピソードもとっても面白くて、改めて知ることがたくさんありました。
東京ヤンキースのNORIさんとUMEさん等、先輩の猫の世話をしたりしながら(かわいいw)バンドや音楽について教えてもらったという案外体育会系な経験や、ZI:KILL時代にみんなと対立してロンドンで1人放り出されてしまったこと(そりゃレコード会社不信にもなりますね)、DIE IN CRIES時代にkyoさんと取っ組み合い+流血の喧嘩をしたこと(喧嘩っ早かったのは知ってましたが、hydeさんも憧れるあの絶対的なカリスマと…w)、TAKASHIとは性格が正反対で「むちゃくちゃなリズム隊」だったこと(たかすぃすとな私的にはめっちゃ面白かったです、金光さんありがとうw)、20代後半の頃、kenちゃんと一緒に社長に「お酒の飲み方を教えて欲しい」と頼みに来たけど全く飲めるようにならなかったこと(かわいいぃぃwww)…。
いろんな「ユッキー伝説(?)」は聞いてはいましたが、改めて浮き彫りにされる、その頑固でストイックで几帳面で、でも実は恩義に厚くて優しい人間性。
ダイインのメンバー達の苦労話とかを読むと、本当にラルクに入って丸くなったんだなぁw
(今でも怒らせたら怖い人だと思ってますが!w)
…いや、やっぱりラルクでは今でも遠慮があるのかな、とも思います。
そして音楽に対する、どこまでも真面目で真摯な姿勢。
身近にいたらなかなか仲良くはなれないだろうけどw、こういうユッキーの人柄、大好きです。

話は逸れますが、'90年代前半のシーンをリアルタイムで体験していない私にとって、今ビジュアル系と呼ばれているジャンルの創成期の業界事情を知れるという意味でも、この本は相当面白かったです。
ユッキーがZI:KILLを脱退した後サポートをしたROSENKREUZ(ローゼンクロイツ)というバンド、なんか印象深い名前なんだけどどこで知ったんだったかな…昔の音楽雑誌かな…と気になっていたんですが、そうか、Peroちゃん時代にラルクが参加したオムニバスアルバム“Gimmick”に参加してたバンドだ!と思い、ブックレットを開いてみたら、ユッキーがサポートした後正式加入したドラマーがVAMPSサポートのARIMATSUでしたw

この本の最後に書かれていたユッキーの言葉を読んで、涙が出ました。
高校生の頃からの夢を実現させて、本当にやりたいことを真摯な姿勢でやり続けている人だからこそ、響く言葉。

ユッキーは、ラルクのメンバーのことを「見てる世界が違う、凄い人達」という言い方をしたり「お前はもういいよって言われるまでは続けたい」と謙遜しますが、未だにこういう謙虚な気持ちを持っているのは素敵だと思います。
これからもライフワークとして好きな音楽を追求しながら、厳しくて優しい、ラルクの絶対的なドラマーでいてください。
あ、ユッキーがドラムを叩く新バンドの活動も楽しみにしてます!


 
DIE IN CRIES時代の先生。
1992年アルバム“VISAGE”のブックレットとビデオ“WEEPING SONG”

 
1995年ダイイン解散後のソロライブ「8.13」のビデオ。

 
このhydeさんのインタビューがラルク復帰後1発目の公に出た活動だと思います。
まだ「yukihiroさん」と呼ばれてます。
R&R NewsMaker 1997年9月号


ユッキー正式加入が袋綴じ(笑)で発表されたPATI-PATI 1998年2月号

 
ユッキー加入後初登場のR&R NewsMaker 1998年3月号
RRNは写真もデザインもカッコよかったなー!

 
同号のこぼれ話コーナー。
4人ともブリティッシュパンクな衣装でユッキーはチェックの膝上スカートなんですが、下に履いてるのがレギンスとかスキニーじゃなくてニーハイ!とこの写真でわかって萌えましたw

 
同号。チラリズムかわゆい~

 
acidのゴシックでグラマラスなビジュアル、大好きです。
2010年 13:day:dreamアー写

 
ユッキーの笑顔は癒されます。
2011年 ニコ生出演時。

 
2011年 beautiful daysの最後の言葉。
泣きました。