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人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

今回は3回目のえびの号編です。

1回目は運行開始から増便・第1、第2えびのへの展開、2回目は最長9両(下り吉松以降は10両)編成まで増えた運行の模様をお送りしました。

そして、今回3回目はようやくカラー写真として見て頂きますが、時代はどんどん車社会への転換期になります。

 

えびの1号 5611D 熊本-宮崎・西鹿児島行き

キハ58+キハ28+キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 7両編成

1981年(昭和56年)4月14日 肥薩線 人吉-大畑間

 

えびの2号 5612D 宮崎-熊本行き」

 キハ58+キハ28+キハ58+キハ58+キハ65+キロ28+キハ58 7両編成

1982年(昭和57年)2月25日 肥薩線 大畑ループ

 

えびの1号 5611D 熊本-宮崎・西鹿児島行き

キハ58+キハ28+キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 7両編成

1982年(昭和57年)3月31日 肥薩線 大畑-矢岳間

 

えびの3号 5613D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 5両編成

1984年(昭和59年)1月11日 肥薩線 大畑-矢岳間

 

えびの2号 5612D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ65+キハ58+キハ58+キハ28+キハ58 7両編成

1984年(昭和59年)1月11日 肥薩線 大畑ループ

 

えびの2号 5612D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ65+キハ58+キハ58+キハ28+キハ58 7両編成

1984年(昭和59年)4月2日 肥薩線 大畑駅

 

えびの3号 5613D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 5両編成

1984年(昭和59年)9月23日 肥薩線 大畑ループ

 

カラー写真だと肥薩線山線の周囲の緑と青い空に急行色の気動車が映えますね。1985年(昭和60年)時点でのえびの号の編成は最大5両編成となっています。この後は更に編成は短くなってきます。それはまた次回へ続きます。

 

話は変わって「旅と鉄道」の増刊5月号で「キハ40よ 永遠に」が発売され鉄ファンで話題になってますね。ブログに取り上げられてる方もいらっしゃいました。

 

私も購入したいと思っていましたが、近所のこじんまりとした書店にはさすがに置いてなく、ショッピングモールの大型書店はコロナ閉鎖中だし、書店チェーンのネット販売も取り扱いなし、とのことでAmazon購入を検討していた矢先、熊本県は一部自粛解除で大型書店が再開したためようやく手に出来ました♪

晩酌の焼酎のつまみにはもってこいの本ですね(笑)。バラエティーに富んだ塗装のスタイルブック的要素もあって永久保存版です。肥薩線は正に観列車列も含めキハ40形依存路線。長生きしてくれることを祈るばかりです。

 

もうすでに読まれた方も多いとは思いますが、内容はさすがキハ40王国北海道、その記事が多かったので、ここではJR九州熊本車両センター所属ののキハ40形の写真を2枚見て頂きます。

キハ40 8103 @人吉駅機関庫横 

 

 

キハ47 8135 @鹿児島線 富合駅跨線橋より

2つとも8000番台の車両です。これらの列車も今回見て頂いた「えびの号」の流れを受け継いでいる列車です。ちょっと強引ですが(笑)

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

医療従事者の方に心から感謝申し上げます。

徐々に自粛解除されてきていますが、再感染拡大によるまた規制が厳しくなってしまわないよう、個人でうつらない行動をとることですね。早く通常の生活に戻れますように。皆様ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

コロナ対応も地域によって自粛解除の方向に進むようで、正に今後は「コロナとの共存」というステージに入るのでしょうか。

 

今回は前回に引き続き、急行えびの号の雄姿をご紹介します。

前回は準急えびの号として運行開始から、急行昇格、そして最大9両編成で山越えしているところをご紹介しました。今回はその続きです。

えびの1号 宮崎-博多 1116D 

キハ55+キロ28+キハ55・・以下同じ 7両編成

1969年(昭和44年)5月1日 肥薩線 真幸・矢岳間

 

 

えびの1号 宮崎-博多 1116D 

キハ55+キロ28+キハ55・・以下同じ 7両編成

1969年(昭和44年)5月1日 肥薩線 真幸・矢岳間

 

 

えびの1号 熊本-宮崎 6111D 

キハ58+キハ55+キハ26+キハ58 4両編成

1969年(昭和44年)5月8日 肥薩線 真幸・矢岳間

 

 

えびの1号 熊本-博多 1116D 

キハ55+キロ28+キハ55・・以下同じ 7両編成

1970年(昭和45年)2月5日 肥薩線 矢岳第1トンネル

 

 

えびの2号 博多-宮崎・西鹿児島 1113D 

キハ55+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58×2+キハ26+キハ58 9両編成

1970年(昭和45年)5月10日 肥薩線 大畑・矢岳間

 

 

えびの2号 博多-宮崎・西鹿児島 1113D 

キハ55+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58×2+キハ26+キハ58 9両編成

1970年(昭和45年)5月14日 肥薩線 大畑・矢岳間

 

 

えびの2号 博多-宮崎・西鹿児島 1113D 

キハ55+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58×2+キハ26+キハ58 9両編成

1970年(昭和45年)8月30日 肥薩線 真幸駅スイッチバック

 

 

えびの1号 博多-宮崎・西鹿児島 5611D

キハ58+キハ28(熊本-西鹿児島 やたけ1号)+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58 7両編成

1976年(昭和51年)11月27日 肥薩線 大畑・矢岳間

 

やたけ号についてはまた改めてご紹介します。

蒸気機関車が走らなくなったあとも魅力的なディーゼル気動車が多くの人々を運んでいました。ダイヤ改正のたびに編成も変わっていっている面白さもあります。またこういう情景を見てみたいものです。

 

今回はここまでです。みなさん、お体ご自愛ください。

 

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人吉鉄映会です。

 

当地熊本県は新型コロナウイルス感染症の新規感染者が1週間「0」を維持しており、様々な対応が功を奏していると思えます。しかしながらそれに伴いマスク着用率も下がってきてるよう思われ、本当に大丈夫なのか?と心配になってきている今日この頃ではあります。

 

JR九州からは5月末までの観光列車運休延長が発表され、まだまだ正常化するには程遠いと思えます。

 

今回は観光列車の話ではなく、肥薩線を通り福岡県から鹿児島、宮崎県まで運行していた優等列車「えびの号」の活躍ぶりをお送ります。

えびの号 準急色

ちなみに「えびの」とは、宮崎県の地名で宮崎県小林市や熊本県人吉市、鹿児島県伊佐市と隣接している市です。えびの駅は吉都線の駅になります。

えびの駅

 

えびの号は1959年(昭和34年)5月1日、熊本-宮崎間の準急列車として誕生しました。

準急えびの号 607D 肥薩線 八代-段

キハ55+キハ55+ キハ26  1960年(昭和35年)2月

 

1960年(昭和35年)6月1日ダイヤ改正で、準急第1えびの(博多-宮崎or西鹿児島)誕生。熊本-宮崎間は準急第2えびのとして運行

準急第2えびの号 610D 人吉駅

キハ55+キハ55+キハ26 1960年(昭和35年)6月1日

 

準急第2えびの号 610D 人吉駅

 

準急第1えびの号 607D 

博多-宮崎 キハ55×2(第1えびの)+博多-西鹿児島(第1かいもん)キハ55×2・キロ25

 

準急第1えびのに連結する準急からくに(宮崎行き) 2105D

肥薩線 吉松駅

 

準急第1えびの 2105D 博多-宮崎・西鹿児島行き 急行色

肥薩線 人吉-大畑間 1963年(昭和38年)12月23日

 

1966年(昭和41年)3月5日  急行昇格

急行第1えびの 1114D 宮崎-博多

肥薩線 矢岳-大畑間 1967年(昭和42年)3月23日

 

 

急行第1えびの 1111D 博多-宮崎・西鹿児島

1・2号車 キハ55+キハ26 博多-西鹿児島

3号車キハ58+4号車キロ28+5号車キハ26+6~9号車キハ58 博多- 宮崎

吉松でからくにと連結し、10両編成となる。

肥薩線 大畑-矢岳間 1968年(昭和43年)4月12日

 

この時代は鉄道が人々の移動の足でした。今はこんな長編成の列車は肥薩線では決して見ることはできません。本当にいい時代でした。

この続きはまた。

 

ご覧頂きありがとうございました。みなさんお体ご自愛ください。

 

人吉鉄映会です。

 

快晴な子供の日。絶好の行楽日和。しかし今は自粛モード。緊急事態宣言も延長され、先が見えない状況ではあります。

そんな中、熊本県では5日連続新規感染者「0」という、喜ばしい結果が出ています。

その影響もあるのか、マスクをせずに行動しているいる方(特に小中校生)、おうちで食べようはいいが大人数で戸外で焼肉パーティーをされている方。すでに収束した空気感があるわけではないのですが、全国的にも拡大方向には進んでいないので、もうちょっと我慢していきたいですね。

 

それで今は鉄道撮影に出かけるのもはばかられる状況ではあるので、今回はちょっと前に撮影したくま川鉄道 KT-500形の写真をご紹介します。

KT-502(秋) @人吉温泉駅 2020年3月14日

 

KT-501(冬)+KT505(白秋)+KT-504(夏)+KT-502(秋)

@人吉温泉駅 2019年 12月7日

 

KT-502 @御溝踏切 2020年3月15日

御溝(おみぞ)踏切は人吉温泉駅から出てすぐの踏切です。手前は肥薩線の線路です。ここは昭和の終わり頃まで人による踏切の開閉が行われていた珍しい踏切です。御溝というのはこのそばを流れている小川の名前ですが、1年中水をたたえた美しい小川です。

 

KT-501+KT-502 @相良藩願成寺駅 2020年3月25日

 

KT-501+KT-502 @相良藩願成寺駅手前 2020年3月25日

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

医療従事者の方に心から感謝もうしあげます。皆様もご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしシリーズはディーゼル機関車DD51編です。

DD51自体に関しては、今更説明する程でもないくらい全国で活躍した機関車です。ここでは人吉区での活躍の一端をご紹介します。

 

肥薩線では山越えの山岳路線であるため、貨車・客車の牽引はD51でのプッシュプル運行を行ってきました。しかし全国的な無煙化の流れは当地、人吉地方にも及び、ディーゼル機関車化が進むことになりました。(トンネルが多い、沿線火災も頻発も大きな要因です)

 

1971年(昭和46年)4月から人吉区でのDD51の乗務員研修が始まり、同9月20日、八代-人吉間でDD51の牽引試験が行われました。

1971年(昭和46年)9月20日 肥薩線 大畑駅

212レ DD51735 + D51890 試運転

DD51735は門司運転区所属。肥薩線は試運転だけの運行になります。

 

1972年(昭和47年)2月1日 人吉-吉松間でDD51による営業運転が開始。(当初の車両は2両)

1972年(昭和47年)3月15日 同区間 DD51 8両による営業運転が開始。同時にD51 10両が運行休止となり、肥薩線山線(人吉-吉松間)が完全無煙化。

1972年(昭和47年)4月4日 D51170による、さよならD51のラストラン運行が行われる。

1973年(昭和48年)3月28日 肥薩線 人吉-八代間(通称川線) DD51による営業運行開始。C57形蒸気機関車使用休止により、肥薩線八代-吉松間が全て無煙化へ

 

蒸気機関車写真の定番路線であった肥薩線山線も、こうしてD51からDD51にバトンタッチされていきました。

人吉に配属されたDD51は、前述したように山越え路線で重連運転が行われていたため、いわゆる「全重連形」と言われる車両です。

 

DD511027 +DD511030 重連運転 1893レ

肥薩線 人吉-大畑間 1973年(昭和48年)11月

1027号と1030号はともに三菱重工三原工場製 新造で熊本区へ

 

DD511031 +DD51754 重連混合列車 1893レ

肥薩線 大畑-矢岳間 1976年(昭和51年)11月

1031号は三菱重工三原工場製 新造で熊本区へ。ちなみに1031号が人吉運行での一番の老番。

754号は日立製作所製 新造熊本区

 

DD511031 貨物列車 867レ(すれ違いは842レ)

肥薩線 大畑駅 スイッチバック 1977年(昭和52年)7月

 

DD51754 867レ

肥薩線 矢岳-真幸間 1978年(昭和48年)3月

 

 

DD51757 貨物列車 867レ

肥薩線 球磨川第三橋梁 1978年(昭和53年)4月

 

DD511030 +DD51756 853レ 重連混合列車

肥薩線 人吉-大畑間 1980年(昭和55年)4月

 

DD511031 831レ 客車列車

肥薩線 那良口-渡間 球磨川第二橋梁 

1980年(昭和55年)9月

 

D51やC57に代わり、肥薩線の客車・貨車を牽引したDD51ですが、人吉-吉松間の客車、貨物列車(含む混合列車)が1980年(昭和55年)9月で廃止、同時に人吉-八代間の客車列車も廃止。これによりDD51は他運転区へ転籍。人吉-吉松間旅客列車は全てDCへ、人吉-八代間の旅客も同DC、貨物はDE10牽引となりました。

僅か8年間の運用でしたが、肥薩線(山線)の客車、貨車の運行を行った最後の機関車ということなので、印象深い車両になりました。未だに入れ替えや貨物運転で頑張っていますね。息が長い優良な機関車です。ただ今年2020年、大量に引退か、のニュースも大変気になるところではありますが・・・

 

話は変わって昨日5月3日、BSフジで昨年放送された「肥薩線の観光列車」が再放送されていました。おしんの小林綾子さんが「やませみ・かわせみ」「SL人吉」「いさぶろう・しんぺい」「はやとの風」に乗り継いで周辺の観光地・グルメなどを紹介していくという番組でした。

今この状況で改めて見ると、当たり前だった運行ができていない状況が非常に残念と思うと同時に、早く収束するように各自頑張っていこう、ということですね。観光列車の運行が再開されたら、是非人吉方面へ足を運んでください。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

医療関係者の方に心から感謝いたします。皆様もご自愛ください。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は懐かしDCの2回目で、キハ52形です。

ハ52形は1958年(昭和33年)から製作され、全国で運行されていました。キハ52形の系統はキハ20系になります。山岳等の勾配運用として、キハ20形のエンジンを2基搭載しています。正に肥薩線矢岳越えをするためにはうってつけのDCになります。人吉では肥薩線のみならず湯前線でも運行されていました。正に地域の「足」でした。

 

 

2328Dレ 東人吉 1985年(S60年)1月

 

864Dレ 山田川橋梁 1984年(S59年)9月

この頃になると乗客数も減少し、1両編成も珍しくなくなった。

 

キハ52-35 湯前線 東人吉-川村間

 

 

キハ52-36+キハ28-117+キハ47-55・・・・

首都圏色と国鉄急行色の組み合わせ

2328Dレ 東人吉 1984年(昭和59年)3月

 

キハ52-36 857Dレ 肥薩線 大畑-矢岳間

1985年(昭和60年)2月

 

キハ52-39+キハ47+キハ47 湯前線 東人吉-川村間

1985年(昭和60年)10月

キハ52-103 855Dレ 肥薩線 人吉-大畑間

塗色は九州色 1988年(S63年)8月

 

キハ52-134 肥薩線 大畑-人吉間 858Dレ

1988年(昭和63年)8月

 

今回もご覧いただきありがとうございました。皆さん、ご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

13回目を迎えた懐かし人吉・球磨鉄道写真シリーズはジョイフル・トレインの第3弾の「サウンドエクスプレス ひのくに」をお送ります。

 

 

サウンドエクスプレス ひのくに号

1986年(昭和61年)3月 鹿児島車両所にて改造されたジョイフル・トレイン。所属は熊本運転所

使用車両

キハ58 700 701

キハ58 2485

キハ65 61   以上の4両 改造前後で車番変更はなし

 

シートはキロ28(キハ58のグリーン車仕様)に使われたリクライニングシートを転用

サウンドエクスプレスと銘打つようにこの列車も「らくだ号」同様カラオケ装置装備していたが、サウンドエクスプレスは「初の」レーザーディスクでの機材を搭載

 

基本団体用と運用していましたが、それ以外では「えびの」「やたけ」の定期特急にも使用されていました。

1994年(平成8年)一般車両に再改造後廃車

@東人吉

 

@肥薩線 渡駅

 

有田陶器市号 @湯前線 東人吉

1987年(昭和62年)4月

 

有田陶器市号 @湯前線 東人吉

1988年(昭和63年)5月

 

有田陶器市号(前写真とはヘッドマーク別バージョン)

@湯前線 東人吉 1988年(昭和63年)5月

 

最後から2枚の写真は丁度22年前の有田陶器市号です。毎年GWに行われている陶器市、今年はコロナの影響でweb陶器市なるものになるそうですが、全く張り合いのないGWになってしまいましたね。

 

とにかく今はひたすら  #家にいよう で早く列車に乗って行楽地行ったり、その列車をカメラに収めるようにしたいですね。8月の夏休みは開放的になれるよう、みんなで我慢しましょう。

 

今回もご覧になって頂きありがとうございました。

 

医療従事者の方へ、不眠不休の対応、心から感謝いたします。

 

皆さん、お体ご自愛ください。

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は懐かしシリーズの肥薩線D51の第2弾をお送りします。 

 

D51 572 816レ 人吉-大畑間

1967年(昭和42年)2月

 

D51 1058 150レ(小林-人吉間列車) 真幸

1964年(昭和39年)6月

 

D51 890+D51 170 816レ 山田川橋梁

1968年(昭和43年)1月 

珍しい重連編成

 

D51 700 893レ 矢岳-真幸間

1969年(昭和44年)5月

 

D51 番号不明 843レ 矢岳第二トンネルを抜けたところ

1969年(昭和44年)5月

重油の効果か機関士の腕か、煙がほとんど出ていない。

 

D51 1058 871レ 人吉駅

1969年(昭和44年)6月

 

今回もご覧頂きありがとうございました。

皆さん、お体ご自愛ください。

 

 

人吉鉄映会です。 

 

今回の懐かし人吉・球磨鉄道写真シリーズは旧国鉄湯前線(現 くま川鉄道)を駆け抜けたハチロクの写真をお届けします。

 

上り勾配で煙がたなびく 58654号 1392レ

1974年(昭和49年)5月 川村付近

 

 

バックで貨物列車を引く58654号

1973年(昭和48年)6月 球磨川第四橋梁

 

バックで走行する58654号 1391レ

1973年(昭和48年)6月 人吉-東人吉間

 

免田川橋梁を走る48679号 1392レ

1974年(昭和49年)11月 免田-木上

 

チップ材を運搬する 58654号 1392レ

1974年(昭和49年)11月 球磨川第四橋梁

 

58654号 1392レ

1974年(昭和49年)3月 川村-東人吉

 

ご覧いただきありがとうございました。皆様、お体ご自愛ください。

 

人吉鉄映会です。

 

コロナウイルスの影響で全世界が機能不全に陥っている状況が続いています。商売をされている方は大変な収入減で困窮されている方もいらっしゃると思います。医療関係者は不眠不休での対応で疲弊されていらっしゃる方もいらっしゃると思います。

 

そのような中で当方は周辺の色々な施設が閉鎖されて多少の不自由さがある程度で、「今のところ」まだ仕事もできている状況なので、自分が出来ることといえば、「感染しない」「感染させない」という姿勢で早く収束させることに協力していくしかありません。みなさんも頑張っていきましょう。

 

そんなコロナの影響で人吉・球磨を走る列車も観光列車が主体であるため、ほとんどが運休になっています。そういった列車が今どうしているかも気になるところです。

 

今回は周囲とも距離もとりつつ、感染防止に努めながらその様子を見に行きました。場所は熊本駅から下り側に向かった貨物駅の近くです。

キハ40系車両と共に停車中のいさぶろう・しんぺい号車両

 

同上 コンクリート柱は九州新幹線高架

 

同上 ちなみに法規を守って敷地外の鉄柵より外側の道路から見上げて撮影してますので、このような画になりました。

 

国鉄時代なら「特別休車」ということになりますね。まぁそれより長くなれば「一休車」ということですね。実際は利用価値がなくなったとか、余剰が出来た、というわけではないですが。現在JRでは「保留車」という呼び方になっているようです。

 

ちなみにここにいるのはいさぶろう・しんぺい号だけではなく・・・

いそぶろう・しんぺい号 with やませみ・かわせみ号

 

 

やませみ・かわせみもいさしんに連結されて停車してました。このまま連なってここに停車してきたのでしょう。やませみ・かわせみの車両が点検に出ている際などにいさしんの車両が代打で使用されることはありますが、こんなにまるまる連結されているのは皮肉なことに今しか見れない接続ではないでしょうか。

こういった運行はありましたが・・・ いさしん+やませみ(参考写真)

 2019年(令和元年)11月18日 人吉駅

 

こんなところで休んでいるのが悲しい。一刻も早い再開を

 

ちなみにこの車列から熊本駅側に向うと、この列車も停車してました。

そう、あそぼ~いですね。さすがにSL人吉はここにはいませんでしたが、しばらくはここで時期を待つことになるでしょう。

 

そういえば、自身の経験とすれば熊本地震の際も不自由がありました。その際は建物が損壊してたり、道路が不通になってたりして本当に「動けない」状況でした。ただ、今は風景は日常と変わらない状況で「見えない敵」との闘い。今年のGWはまず自粛・ステイホーム。そしてコロナ収束して、自粛解禁、そして列車運行再開。これを目指して頑張って巣ごもりしていきましょう、自分たちを楽しませてくれた、志村けんさん、岡江久美子さんの死を無駄にしないように。

 

今回もご覧になっていただき、大変ありがとうございました。皆様もお体ご自愛下さい。

 

コロナウイルス感染症にかかられた方にお見舞い申し上げますとともに、一刻も早い回復を願っております。

医療関係者の方におかれましては献身的な対応に心から敬意を表します。