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人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしの人吉・球磨鉄道写真は「くまがわ号」編をご覧いただきます。

 

くまがわ号ヘッドマーク(3代目 S34年)

 

人吉球磨地方を運行する肥薩線におきましては、昭和30年代から平成年代に渡って、九州を縦断する人々の移動の足としてDCでの優等列車が設定されていました。その1つ「えびの号」に関しては過去に4回に渡ってご紹介させて頂き、肥薩線初の特急列車でキハ82系で運行した「おおよど号」におきましてもNゲージ発売記念としてご紹介させて頂きました。

その他の優等列車としては「くまがわ号」・「やたけ号」がありましたが、今回は「くまがわ号」ついてのご紹介です。

 

「くまがわ」とは九州南部の人吉盆地を貫流する「球磨川」のことで、「日本三大急流」の一つとなっています。市房山を源流とし、日本一の清流と呼ばれる川辺川を支流に持つ一級河川です。八代-人吉間の肥薩線は球磨川に沿って敷設されており、「川線」と呼ばれております。SL人吉が球磨川沿いを走っている映像をご覧になった方も多いことでしょう。

球磨川沿いを走るSL人吉(鎌瀬付近)

 

球磨川は地域に農作物への恵みを与えているだけではなく、人吉観光名物「球磨川下り」やラフティング(列車通過時には乗客に手を振って応えてくれます)、鮎釣りといった観光資源も生み出しています。正に球磨川と共にある人吉・球磨地域です。

 

そんな地元に愛される川の名を冠した「くまがわ号」ですが、「北九州への日帰りビジネス列車」として誕生しました。

1959年(昭和34年)4月1日 準急くまがわ開通式 @人吉駅

球磨川の流れを表現した初代のヘッドマーク。この日の出来事を「人吉駅頭は溢れんばかりの人出となり、お祝いムードに包まれた」と新聞が報じています。それほど地元の方には待望していた列車の誕生でした。約300名の乗客を乗せたくまがわ号は当時の人吉市長、市議会議長ら関係者に見送られ、午前7時27分に人吉駅から一路、門司港駅に向かい出発しました。

808レ 人吉-門司港  キハ55 35+キハ55 114+キハ26 5+キハ26 6  

 

くまがわ号の運行は

準急時代 1959(S34)年4月1日 ~ 1966(S41)年3月4日 

急行時代 1966(S41)年3月5日 ~ 2004(H16)年3月12日 

特急時代 2004(H16)年3月13日 ~ 2016(H28)年3月25日  の3つの運用がありました。

 

まずは1959(S34)年4月1日の運行開始前に同年3月13日から博多-人吉間で試運転が開始されました。

1959(S34)年3月13日試運転開始当日 人吉駅

ヘッドマークが「試運転」 開通写真と同アングル

 

くまがわ号試運転 1959(S34)年3月13日 肥薩線 渡-奈良口

 

運用開始後は人吉・球磨から熊本・博多・門司港方面の足として大いに利用されていました。

 「えびの号」(右)と   肥薩線 段駅

1960(S35)年5月19日 くまがわと書かれただけのヘッドマーク 

えびの号は1959(S34)年5月1日運行開始ですから、くまがわ号とほぼ同期生と言えます。

 

球磨川沿いを走るくまがわ号 808Dレ

肥薩線 一勝地-大坂間(現球泉洞)

1960(S35)年10月23日

 

特急色 準急くまがわ 人吉西方 810Dレ

1964(S39)年2月26日

この時期の列車編成は前後がキハ58で中間にキロ25のグリーン車が設定されています。

 

急行に格上げされたくまがわ号 1118Dレ 肥薩線 白石駅

1969(S44)年8月12日

 

8両編成の特急くまがわ号 人吉駅 

1970(S45)年12月31日

資料によるとこの時期のくまがわ号は基本7両編成だが、年末年始などの繁忙期はキハ58を増設していたようです。

 

1972(S47)年3月のダイヤ改正で下りの1117Dレの終点が人吉から湯前線終点の湯前駅になりました。 上り(1118Dレ)はそのまま人吉駅発です。また1980(S55年)ダイヤ改正で上り終点が門司港から博多に変わっています。

 

球磨川沿いを走るくまがわ号 肥薩線 那良口-瀬戸石

1983(S58)年8月3日

 

 今回はここまでです。この続きはまたお送りします。ご覧いただきありがとうございました。

 

医療従事者の方に心から感謝申し上げます。皆様、お体ご自愛下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

コロナ感染も収束の途をたどり全国的に緊急事態宣言も解除されました。

九州内でも6月1日から県をまたぐ移動を可能にするということで、徐々にコロナ前の活動形態に戻ろうとしていました。

 

これに伴い、福岡県門司区にある九州鉄道記念館も5月25日から再開館し、人吉鉄映会の祖、福井弘の回顧写真展も展示再開されました。従いまして地元の関係者と再訪問の日程を練っていたところ、北九州市にコロナ第2波と思える感染者増加の報道がありました。特に門司区での発生が多い状況で大変心配しておりましたが、又もや5月28日から6月18日まで再閉館になってしまいました。

九州鉄道記念館入り口。福井弘回顧展のポスターがあります。

 

九州鉄道記念館の方から連絡を頂きましたが、5月25日の再開館時には80名程度の方が足を運ばれたとのことでしたので、再びの閉館がとても残念です。

ただ、今回の件は九州鉄道記念館が閉館になったというだけでなくて、何が要因かは不明とのことですが、収束したと思われていたのに再拡大してしまったということです。これは北九州だけの問題ではなく、どこにでも当てはまる問題です。自粛解除に浮かれるより、再拡大に努める行動をとりたいですね。

福井弘回顧展の一部。許可を得て撮影しました。早くまた訪問したい。

 

今後は当初の期間よりかなり延びてしまったので、再開されたら多少形態も変更されて展示されるようですが、心おきなく再開してもらうことを願うばかりです。

 

門司港駅車止め  感染ここで止まれ!!

 

話は変わって昨日JR九州から2018年度の在来線17路線の収支報告があり、かなりショッキングな報告がありました。人吉関係では、

 

肥薩線 八代-人吉間(通称川線。SL人吉、やませみかわせみ運行。いさぶろうしんぺい号も特急で1往復運行) 

         ⇒5億7,300万円の赤字

肥薩線 人吉-吉松間(通称山線。観光列車としていさぶろうしんぺい号2往復運行)

         ⇒2億6,100万円の赤字

 

今回の発表はJR九州だけでは財政改善はできないので、自治体も含め地域の協力もお願いします、という趣旨で即廃線という話ではないようです。だからと言って存続を担保したわけでもないようです。

 

奇しくも昨日有志の方と肥薩線、くま川鉄道、そして人吉の活性化をどうやったらいいか、自分たちで出来ることは何かを侃々諤々と話していた矢先でもありました。当会のブログにも紹介してますが、以前肥薩線には多くの優等列車も含め活発に運行されていました。それが今や山線では観光列車のいさぶろうしんぺい号の2往復を含め3往復しか運行されていません。(現在はコロナ運休中列車あり)

 

九州自動車道、九州新幹線開通はローカル線から移動の足を奪っていきましたが、これは時代の流れ、仕方ないことです。だったら廃線になるかもという心配よりも、そうならないようにするにはどうしていくべきかを地元の人間として考え、行動していかなければならないと思っています。

九州山脈に命をかけて鉄道を通した方、その路線ですすにまみれ、汗だくで運行してきた機関士、そして保線の方。そういった先人たちの苦労を無にしないようにしないことが、地元民の使命であると思います。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

みなさまも引き続きお体ご自愛くださいませ

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしの人吉・球磨鉄道写真は旧国鉄湯前線(現第3セクターくま川鉄道)で活躍したDD16です。

DD1653 382レ 川村-東人吉間

1979(昭和54)年 1月22日

 

蒸気機関車の無煙化として登場したディーゼル機関車ですが、以前のブログでもご紹介したように、肥薩線山線(人吉-吉松間)はD51からDD51へ、肥薩線川線(八代-人吉間)はC57からDE10へ、そして今回の旧国鉄湯前線(人吉-湯前)は8620形からDD16へと転換されました。

 

DD16の湯前線での運用は

1975(昭和50)年2月26日、入線試験。その後3月9日まで58654号(現SL人吉)と重連で訓練運転。

1975(昭和50)年3月10日 運転開始

1980(昭和55)年5月31日 貨物列車としての定期運行廃止。臨時列車・工事用列車としては運行

 

人吉盆地名物の霧の中を走るDD1653貨物列車 381レ

東人吉-川村間 1979(昭和54)年1月26日

 

ここからは定期貨物運行終了後の工事用運行です。

バラスト散布列車 山田川橋梁

1981(昭和56)年3月10日

 

DD1620 工9831レ 人吉-川村間

1981(昭和56年)4月15日

 

DD1620 工9392レ 人吉-川村間

1981(昭和56年)4月20日

 

DD1620 工9391レ 人吉-川村間 馬場踏切

1981(昭和56年)4月20日

 

DD1638 工9391レ 人吉-川村間 

1981(昭和56年)4月20日

 

ご覧いただきありがとうございました。

 

まだまだ不安と期待が入り混じった生活になります。九州では6月1日から東京・北海道などを除く、他府県への移動が可能になることが九州知事会で決まったようです。ようやく肥薩線にも観光客を乗せた蒸気機関車のドラフト音やディーゼルエンジン音が聞こえるようになるのでしょうか。そんな日を期待して第2波を起こさないようにしたいものです。

 

皆さん、引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

皆さんの周囲の状況はいかがでしょうか?これで収束に向かうのか、第2波が待っているのか、是非とも前者であってほしいものです。

ようやくアベノマスクも熊本県まで進出してきましたが、気候も暑くなってどこで着ければいいのか迷うばかりです。

 

今回の懐かしの人吉・球磨鉄道写真は久しぶりの肥薩線山線のD51です。

山田川橋梁 D511151 842レ

1969年(昭和44年)7月10日

 

 

 

人吉-大畑間  D511687 4589レ

1970年(昭和45年)2月10日

 

大畑 大野築堤 D51572+スハフ32+D511058 混合列車(2枚とも)

4589レ 1970年(昭和45年)3月29日

 

人吉-大畑間 D51477 843レ

1970年(昭和45年)4月1日

 

人吉-大畑間(水無)  D51668 845レ

1970年(昭和45年)5月14日

 

今回もご覧頂きありがとうございました。どうかお体ご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

今回は人吉・球磨関係でなく、九州新幹線の写真をご紹介します。

 

鹿児島本線の富合駅周辺で撮影をしていたところ、そばにある熊本総合車両所から本線に入線するCAT号(キャタピラー号)にたまたま遭遇しました。

 

CAT号とはJR九州と重機会社でJR九州の子会社キャタピラー九州とのコラボ企画で誕生したラッピング新幹線です。コーポレートカラーの黄色を基調として800系にラッピングされて今年の2月1日から4月末まで運行されました。

最初ネットで「CAT列車走る」のタイトルを見たとき、素直に「猫ちゃんがラッピングされている」と思い込み、さすがペットブーム恐るべし、と勝手に思い込んでしまいました(笑)

初見は2月初旬に福岡方面への新幹線に乗車した際すれ違ったときです。高速ですれ違っても黄色のラインはインパクト大で、一緒に乗っていた友人と大人げなく興奮しました。その後は特に新幹線の追っかけでもないので忘れかけていましたが、思わぬところで再会しました。

 

20203月13日 熊本市南区 熊本総合車両所横

 

本来の目的は以下の列車の写真を狙ってました。 コロナ運休前です。

SL人吉

A列車でいこう

やませみ かわせみ

817系電車

EF81 451 貨物列車

キハ40系 普通列車

 

ここは鹿児島本線ですが、肥薩線行き、三角線行きの列車も通行するので、さまざまな列車が見れるのでいいですね。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。お体ご自愛ください。

 

 

人吉鉄映会です。

 

東京など一部を除く地域に緊急事態宣言解除が出され、初の週末となりました。

様々に経済活動再開のニュースも流れ、コロナ対策に苦慮しながらも少しずつ元に戻ろうとしている状況であるようです。自粛が続いている所の方はまだまだ厳しいですね。

 

そんな中、ようやく福岡県門司港の九州鉄道記念館が5月25日から開館とのことで、一旦中断されていた人吉鉄映会の祖、福井弘回顧展も再開できそうで安堵しております。ただ県越え移動は自粛ということになっているため、地元熊本県からの来館も出来そうもないのが悔しいばかりです。

 

さて今回は過去4回に渡ってお送りしてきた「急行えびの号」の5回目で最後になります。

1959年5月1日に熊本・宮崎間の準急として運行を開始して、1966年3月5日に急行へ昇格、最大10両編成で博多・宮崎、西鹿児島間を運行してきました。そして時代は車社会へ。鉄道の需要は段々減ってきました。

 

最終回は平成時代、キハ65+キハ58のシーガイア号運行のえびの号です。

えびの3号 肥薩線 大畑-矢岳間 1996年(平成8年)7月21日

 

えびの3号 肥薩線 人吉-大畑間 1997年(平成9年)4月11日

 

えびの1号 肥薩線 人吉-西人吉間 1998年(平成10年)4月2日

SL人吉との桜とのコラボ撮影で有名なスポットです。

 

えびの1号 肥薩線 真幸-吉松間 1999年(平成11年)7月4日

 

えびの1号 肥薩線 真幸-吉松間 

 

最後は大畑駅スイッチバックでえびの1号・2号でのコラボ 1994年(平成6年)

そして2000年(平成12年)3月、くまがわ号に合併される形で「えびの号」は消滅しました(涙)

 

肥薩線はもともと海岸沿いに鉄道を通すと戦争の際に敵から狙われ、寸断されるかもしれないというリスク回避から、わざわざ九州山脈に難工事をしてまで内陸部に線路を設置したというのが始まりで、当初は鹿児島本線はこちらのほうでした。海岸沿いの鹿児島本線(現一部肥薩おれんじ鉄道)が出来て本線の座は奪われましたが、門司港、博多から鹿児島方向までほぼ一直線で一番短距離で行けるメリットで肥薩線に優等列車が設定されたいきさつがあるようです。

 

だだ九州自動車道、九州新幹線が開通すると状況は一変、またJRもあくまでも一般企業。利益優先はいうまでもありません。国鉄時代のように赤字垂れ流しは出来ません。

 

肥薩線が廃線になってしまわないように、コロナが収束したら是非列車で人吉や吉松、鹿児島中央方向においでくださいませ。

 

これからは余談ですが、自粛しているために困っているものの1つにTVや映画の収録ができないこともあると思います。ドラマやバラエティー番組なども過去作品の再放送や再編集などで繋いでいるようですが、新作映画も劇場が開いてなかったことも加え、延期になってます。

個人的にはエヴァンゲリヲン完結作が楽しみなんですが、元々6月公開だったのが延期されちゃいました。庵野さん都合以外の延期は初ではないでしょうか(笑)

 

で、鉄ブロなのになぜここにエヴァの話を出したかというと、完結作(・・になると思うが、庵野さんのことなので・・)のポスターに線路の絵が使われていることです。

中央の線路に左から合流していますね。端には車止めも見えます。で、「さらば全ての・・」です。普通の線路の風景ですが、庵野さんがどういう結末を用意したのか、TV版や旧劇場版で終わらなく、リメイクされた新劇場版の最後の答えがこの線路のポスターにあるのかと思うと、深いですね。果てしなく続く線路の先には何があるのか、何を意味するのか、庵野さん、こんな表現するなんて、すごいな。線路の絵はさすがのリアリティーです。家に飾っていたいぐらいです。

 

今回も余談も含めご覧いただきありがとうございました。

みなさまお体ご自愛ください。

 

 

人吉鉄映会です。

 

使うかどうかわからないアベノマスクはまだ到着しておりませんが、10万円の給付金申請書は早速到着し、自粛で我慢していただいた飲食店などに出向いて使おうかと思慮しているところです。

 

さて、5月15日にTOMIXからNゲージの「特急おおよど号(・にちりん号)」が発売されました。もともと先月末に発売ということでしたが、コロナの影響なのかわかりませんが、延期されていました。

今回はNゲージの発売を記念しておおよど号の特集です。

特急おおよど号 キハ82 肥薩線 人吉-大畑 

1978年(昭和53年)10月21日

 

おおよど号は1974年(昭和49年)4月から1980年(昭和55年)年まで運行された特急列車で、博多-宮崎間を鹿児島本線-肥薩線-吉都線-日豊線を経由して運行されていました。使用車両はキハ82で肥薩線初の特急列車になりました。肥薩線に特急マークのキハ82気動車が走る姿は壮観でした。何か「別格感」だったのを覚えています。こんな田舎でかっこいい気動車見れるなんて感動でした。(キハ55形たちがダメ、ってわけではないですが(笑)) 

TOMIX HPのおおよど号発売情報。 鉄映会 福井弘氏の写真が使われました。

 

これが広告写真の原本です。肥薩線 大畑ループ線 1980年(昭和55年)5月22日

 

 

届いたNゲージ。右側が基本4両セット(使用写真は「にちりん」でした)。

左側はおおよど号は7両編成のため同時発売の増設3両セットも同時購入

 

小生、鉄道模型は好きなのですが、走らせるスペース、技術・知識、列車を揃える財力等を持ち合わせていないため、カタログ本やネット動画、画像で辛抱しているザマです(笑)

ただコレクションとして寝かせておくわけにもいかないので、将来的には人吉に鉄道関係の施設ができないか関係者と策略しているところですので、そこに大畑ループのジオラマを作ってこのおおよどやD51の混合列車でも走らせたらなぁ、なんて構想を練ってます。(構想でなく妄想にならないといいですが・・・)

 

そんなどうでもいい話は置いといて、本題です。肥薩線でのおおよど号の雄姿です。

 

開通式の模様 人吉駅 1974年(昭和49年)4月25日

 

球磨川沿線を走る

肥薩線 大坂間(現球泉洞)-一勝地間 1975(昭和50年)9月12日

 

肥薩線 人吉-大畑 1976年(昭和51年)3月22日

 

 

大畑ループ 1974年(昭和49年)5月15日

 

肥薩線 人吉-大畑間 1974年(昭和49年)6月24日

田植え機は出回っていた時期ですが、まだこうやって大人数で手植えしていた風景も見られました。

田植えされてる方にはおおよど号なんて眼中にないようですね。そりゃそうだ。

 

大畑-矢岳間 1976年(昭和51年)11月27日

 

大畑-矢岳間 1977年(昭和52年)5月19日

 

球磨川沿い 肥薩線 那良口-渡 1977年(昭和52年)8月7日

 

 

湯前線貨物列車1392レ(牽引DD16)とすれ違い

東人吉駅(現相良藩願成寺駅)付近 1980年(昭和50年)4月22日

 

上の写真を別角度から撮ればこのように2ショットとなります。

5011Dおおよど 1392 DD1632貨物列車

1980年(昭和50年)5月2日 東人吉(現相良藩願成寺駅)付近

 

肥薩線 人吉-大畑間 1980年(昭和50年)7月8日

 

ちなみにおおよど号は特急なので当然通過駅も多いです。人吉駅は停車駅ですがその前後の停車駅は上りが八代駅、下りは吉松駅になります。だからそれ以外の駅は通過ですが、大畑駅はご存じのようにスイッチバック駅なので「乗降」しなくても停止する(しなくてはいけない)駅です。特急も停めてしまう大畑スイッチバック、恐るべし(笑)大畑スイッチバックの記事もご覧ください。・・・余談でした。

 

早くコロナが落ち着いて各地に列車が戻ってくることを期待します。

医療に従事されていらっしゃる方に心から感謝申し上げます。

皆さん、お体ご自愛ください。

 

人吉鉄映会です。

 

コロナ対策もいよいよ次のステップに進もうとしてます。緊急事態宣言解除が経済の復旧や地域の活性化になるのか、はたまた第2波を引き起こすのか、それは我々の行動にかかっていますね。引き続き気を引き締めていきたいところです。

 

今回も肥薩線を駆け抜けた「急行えびの号」の活躍紹介の4回目となります。

時代は昭和60年台になり、人吉も高速道路の人吉ICが開通した時期になります。(開通当初は加久藤方向までは繋がっていませんでしたが)

即ち、人々の移動の手段が鉄道から自動車(自家用車・バスなど)へ転換していった過渡期に当たります。

 

えびの号は最盛期は10両編成だったのですが、この時期は基本3両編成までに減っていました。

えびの3号 5613D 熊本発宮崎行き

キハ58+キハ65+キハ58 (以後の写真も同編成です。前年のダイヤ改正でグリーン車(キロ28)運用は廃止されています。)

肥薩線 大畑-矢岳間 1985年(昭和60年)2月24日

 

 

えびの2号 5612D 宮崎発熊本行き ヘッドマークが復活 

肥薩線 白石-吉尾間  1988年(昭和63年)4月9日

 

 

えびの1号 5611D 熊本発宮崎行き

通常編成にジョイフルトレイン「サウンド・エクスプレスひのくに」2両増結 

(「サウンドエクスプレスひのくに」は懐かし写真⑬でご紹介してます)

肥薩線 人吉-大畑間  1988年(昭和63年)8月7日

 

 

えびの1号 5611D 熊本発宮崎行き

 肥薩線 大畑ループ線1988年(昭和63年)10月24日

 

 

えびの2号 5612D 宮崎発熊本着

肥薩線 人吉-大畑間  1988年(昭和63年)10月24日

 

 

えびの1号 5611D 熊本発宮崎着

 JR発足後でJRロゴ入り

肥薩線 人吉-大畑  1989年(平成元年)8月27日

 

今回はここまでです。以降は2両編成の青のシーガイア号での運行。そして廃止の憂き目に・・・。またご紹介します。

皆さんご自愛ください。

 

人吉鉄映会です。

 

今回は3回目のえびの号編です。

1回目は運行開始から増便・第1、第2えびのへの展開、2回目は最長9両(下り吉松以降は10両)編成まで増えた運行の模様をお送りしました。

そして、今回3回目はようやくカラー写真として見て頂きますが、時代はどんどん車社会への転換期になります。

 

えびの1号 5611D 熊本-宮崎・西鹿児島行き

キハ58+キハ28+キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 7両編成

1981年(昭和56年)4月14日 肥薩線 人吉-大畑間

 

えびの2号 5612D 宮崎-熊本行き」

 キハ58+キハ28+キハ58+キハ58+キハ65+キロ28+キハ58 7両編成

1982年(昭和57年)2月25日 肥薩線 大畑ループ

 

えびの1号 5611D 熊本-宮崎・西鹿児島行き

キハ58+キハ28+キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 7両編成

1982年(昭和57年)3月31日 肥薩線 大畑-矢岳間

 

えびの3号 5613D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 5両編成

1984年(昭和59年)1月11日 肥薩線 大畑-矢岳間

 

えびの2号 5612D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ65+キハ58+キハ58+キハ28+キハ58 7両編成

1984年(昭和59年)1月11日 肥薩線 大畑ループ

 

えびの2号 5612D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ65+キハ58+キハ58+キハ28+キハ58 7両編成

1984年(昭和59年)4月2日 肥薩線 大畑駅

 

えびの3号 5613D 熊本-宮崎行き

キハ58+キロ28+キハ28+キハ65+キハ58 5両編成

1984年(昭和59年)9月23日 肥薩線 大畑ループ

 

カラー写真だと肥薩線山線の周囲の緑と青い空に急行色の気動車が映えますね。1985年(昭和60年)時点でのえびの号の編成は最大5両編成となっています。この後は更に編成は短くなってきます。それはまた次回へ続きます。

 

話は変わって「旅と鉄道」の増刊5月号で「キハ40よ 永遠に」が発売され鉄ファンで話題になってますね。ブログに取り上げられてる方もいらっしゃいました。

 

私も購入したいと思っていましたが、近所のこじんまりとした書店にはさすがに置いてなく、ショッピングモールの大型書店はコロナ閉鎖中だし、書店チェーンのネット販売も取り扱いなし、とのことでAmazon購入を検討していた矢先、熊本県は一部自粛解除で大型書店が再開したためようやく手に出来ました♪

晩酌の焼酎のつまみにはもってこいの本ですね(笑)。バラエティーに富んだ塗装のスタイルブック的要素もあって永久保存版です。肥薩線は正に観列車列も含めキハ40形依存路線。長生きしてくれることを祈るばかりです。

 

もうすでに読まれた方も多いとは思いますが、内容はさすがキハ40王国北海道、その記事が多かったので、ここではJR九州熊本車両センター所属ののキハ40形の写真を2枚見て頂きます。

キハ40 8103 @人吉駅機関庫横 

 

 

キハ47 8135 @鹿児島線 富合駅跨線橋より

2つとも8000番台の車両です。これらの列車も今回見て頂いた「えびの号」の流れを受け継いでいる列車です。ちょっと強引ですが(笑)

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

医療従事者の方に心から感謝申し上げます。

徐々に自粛解除されてきていますが、再感染拡大によるまた規制が厳しくなってしまわないよう、個人でうつらない行動をとることですね。早く通常の生活に戻れますように。皆様ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

コロナ対応も地域によって自粛解除の方向に進むようで、正に今後は「コロナとの共存」というステージに入るのでしょうか。

 

今回は前回に引き続き、急行えびの号の雄姿をご紹介します。

前回は準急えびの号として運行開始から、急行昇格、そして最大9両編成で山越えしているところをご紹介しました。今回はその続きです。

えびの1号 宮崎-博多 1116D 

キハ55+キロ28+キハ55・・以下同じ 7両編成

1969年(昭和44年)5月1日 肥薩線 真幸・矢岳間

 

 

えびの1号 宮崎-博多 1116D 

キハ55+キロ28+キハ55・・以下同じ 7両編成

1969年(昭和44年)5月1日 肥薩線 真幸・矢岳間

 

 

えびの1号 熊本-宮崎 6111D 

キハ58+キハ55+キハ26+キハ58 4両編成

1969年(昭和44年)5月8日 肥薩線 真幸・矢岳間

 

 

えびの1号 熊本-博多 1116D 

キハ55+キロ28+キハ55・・以下同じ 7両編成

1970年(昭和45年)2月5日 肥薩線 矢岳第1トンネル

 

 

えびの2号 博多-宮崎・西鹿児島 1113D 

キハ55+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58×2+キハ26+キハ58 9両編成

1970年(昭和45年)5月10日 肥薩線 大畑・矢岳間

 

 

えびの2号 博多-宮崎・西鹿児島 1113D 

キハ55+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58×2+キハ26+キハ58 9両編成

1970年(昭和45年)5月14日 肥薩線 大畑・矢岳間

 

 

えびの2号 博多-宮崎・西鹿児島 1113D 

キハ55+キハ28+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58×2+キハ26+キハ58 9両編成

1970年(昭和45年)8月30日 肥薩線 真幸駅スイッチバック

 

 

えびの1号 博多-宮崎・西鹿児島 5611D

キハ58+キハ28(熊本-西鹿児島 やたけ1号)+キハ58+キロ28+キハ65+キハ58 7両編成

1976年(昭和51年)11月27日 肥薩線 大畑・矢岳間

 

やたけ号についてはまた改めてご紹介します。

蒸気機関車が走らなくなったあとも魅力的なディーゼル気動車が多くの人々を運んでいました。ダイヤ改正のたびに編成も変わっていっている面白さもあります。またこういう情景を見てみたいものです。

 

今回はここまでです。みなさん、お体ご自愛ください。

 

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