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人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

今回の九州南部豪雨により尊い命を落とされた方に心からご冥福をお祈りします。また被災されている方にお見舞い申し上げます。

 

球磨川は人吉盆地の真ん中を通っている、正に人吉・球磨地方と共にある河川です。

 

TV報道などでは「暴れ川」などの表現をされています。過去はそうだったかもしれません。

日本三大急流の一級河川で、九州山地市房山を源流とし、川辺川・山田川・万江川などの多くの川を支流にもつため、確かに多くの雨量となれば濁流になります。それでも街中まで濁流が押し寄せた甚大な被害は昭和40年7月まで遡ります。市房ダムや河川改修により昭和50年代後半以降は目立った水害被害はなく、当時の建設省が進めてきた水害対策が功を奏したものと思います。

 

それだけに今回の球磨川の暴れ様は尋常でなかったといえます。

 

だた、前にも書いたように人吉球磨は球磨川(支流も含めて)に恩恵を受けてきた地域です。川があったからこそ水運の要所であり、人々が行きかう宿場(舎=人吉)として町が出来たという経緯があるようで、球磨川あっての人吉球磨です。

そして大きな観光資源として地域を潤してきました。

 

まずは町の復旧、そしてインフラ、肥薩線・くまがわ鉄道・国道219号線・・・先が全く見えない絶望的な状況でも、みんな前を向いてます。

 

皆さんが肥薩線、くま川鉄道の被災に心を痛まれ、早い復旧を願われているのはありがたいことです。ただ失ったものが余りにも大きすぎる現実はどうしたらいいものか、まだ考えもつかない状況です。

 

これ以上のコメントを思いつかないので今回はこれで終わります。球磨川と鉄道、いい風景がありました

 

がんばろう!ひとよし 

人吉鉄映会です。

 

27回目の懐かしの人吉球磨鉄道写真は人吉機関区に在籍していた8620型車両の一部をご紹介します。

 

18666

1917年(大正6年)9月      汽車製造大阪工場製 

1950年(昭和25年)3月15日 西唐津より人吉区転籍

1966年(昭和41年)5月31日 人吉にて廃車

※終戦直前の西唐津在籍時に米軍機から機銃掃射を浴びている。

※人吉在籍時炭水車の振り替えを実施

18666(左)  38633(右) 人吉駅 

1965年(昭和40年) 8月1日

38633

1920年(大正9年)8月 汽車製造大阪工場製 

1963年(昭和38年)3月16日 吉塚より人吉区転籍

1972年(昭和47年)11月7日 人吉にて廃車

38633 人吉駅 撮影日時不明

 

 

48679

1922年(大正11年)2月     汽車製造大阪工場製  

1973年(昭和48年)6月16日 鹿児島より全検後人吉転配

1975年(昭和50年)5月 6日 人吉にて廃車

※人吉機関区に配属された最後の蒸気機関車

※車籍上、国鉄で最後まで残った8620型

48679 湯前線 免田川橋梁

1974年(昭和49年)11月24日

 

48679 湯前線 川村

1974年(昭和49年)9月8日

 

 

58624

1922年(大正11年)5月日本車輌名古屋工場製

1930年(昭和5年)6月5日 名古屋より人吉配置

1966年(昭和41年)5月31日 人吉にて廃車

58624 人吉駅 1963年(昭和38年)

 

 

58654

1922年(大正11年)11月18日 日立製作所笠戸工場製

1968年(昭和43年)6月 1日 若松より人吉配属

1975年(昭和50年)3月9日 湯前線DD16運用訓練で重連走行にて運転終了(国鉄最後の本線走行8620型)

同            3月31日 廃車

1976年(昭和51年)3月11日 DD51牽引で矢岳駅回送 SL展示館に静態保存

 

1988年(昭和63年)1月9日 小倉工場に陸運

同            7月26日 車籍復活 翌日から試運転開始

同            8月26日 「SLあそBOY」として運転開始

2005年(平成17年)8月28日 台枠などの老朽化のため運転終了

2009年(平成21年)4月25日 「SL人吉」として復活

58654 湯前線 川村 1973年(昭和48年)

 

58654 湯前線 多良木駅

1970年(昭和50年)3月3日

 

58654 雪の中の人吉駅

1970年(昭和45年)1月5日

 

 

58654 湯前線 川村付近

1974年(昭和49年)5月8日

 

 

68643

1922年(大正11年)10月28日 日本車輌名古屋工場製(機関車車歴では日本車輌「熱田」とある)

1945年(昭和20年)9月14日 西唐津から人吉到着。配属日は不明

1966年(昭和41年)5月31日 人吉廃車

68643 肥薩線 万江川橋梁(人吉-西人吉)

1964年(昭和39年)7月21日

 

78652

1924年(大正13年)9月20日 日立製作所笠戸工場製

1934年(昭和9年)11月30日 出水から人吉転籍

1966年(昭和41年)5月31日 人吉廃車

78652  肥薩線 大坂間(球泉洞)-一勝地

1960年(昭和35年)10月23日

 

78652 人吉駅

 

78652 廃車前の休車として駐機の一勝地にて

1966年(昭和41年)2月10日(休車は2月5日より)

 

78690

1925年(大正14年)2月    汽車製造大阪工場製

1945年(昭和20年)5月20日 大分より人吉転籍

1968年(昭和43年)5月10or11日 シリンダーに亀裂発生で休車

              7月20日 人吉廃車

※人吉機関区在籍8620型で一番の老番

78690 人吉駅

1966年(昭和41年)9月1日

 

8620型蒸気機関車はご存じのように非常に優秀な機関車で672両製造されました。全国各地で活躍しましたが、人吉・球磨地区でも

大活躍でした。
現在8620型で実働しているのは58654号「SL人吉」です。まもなくまたその雄姿が見れるとなるとワクワクします。
遂に観光列車再開で人吉・球磨地方もまた活性化してくれたらいいと思います。
 
是非列車に乗って人吉・球磨においでになり、温泉・球磨焼酎・球磨川の景観などなど楽しんでください。
 
当会も鉄道情報ばかりでなく、そういった情報も小ネタとしてご紹介していきたいと思います。
 
今回もご覧いただきありがとうございました。
 
まだまだコロナも完全鎮静化とは言えませんので、引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

先日嬉しいニュースがありました。

コロナの影響で運休されていましたJR九州の観光列車が6/19から運行再開するそうです。ななつ星in九州も乗客を減らして7/14から再開ということで、ようやく「当たり前」だった日常が戻ってきそうです。

 

今回はキハ31運用時代の観光列車「いさぶろう・しんぺい号」の雄姿をご覧いただきます。

運行開始当初のキハ31運用 しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号は1996年(平成8年)、肥薩線 人吉・吉松間の4往復の普通列車のうち1往復を専用列車を使った観光列車として誕生しました。

 

いさぶろう号 大畑

1999年(平成10年)5月30日

 

現在の運行

いさぶろう1号 熊本発吉松行。熊本-人吉間が特急、人吉-吉松間は各停普通観光列車⇒(折り返し)しんぺい2号 吉松-人吉 各停観光列車⇒(折り返し)いさぶろう3号 人吉-吉松 各停観光列車⇒(折り返し)しんぺい4号 吉松-熊本 吉松-人吉間は各停普通観光列車。人吉-熊本間が特急 人吉駅で「やませみ・かわせみ」、吉松駅ではやとの風」との接続あり。

現在のキハ40系水戸岡デザイン 観光列車いさぶろう号

 

いさぶろう・しんぺい号とやませみ・かわせみ@人吉駅

 

いさぶろう・しんぺい号とはやとの風@吉松駅

現在、乗り換えの利便性を考慮しホームを跨いで停車するため、この配置は見れません。

2005年(平成17年)

 

列車名となっている「いさぶろう」とは肥薩線開通当時の逓信大臣「山縣伊三郎」のことで、「しんぺい」は同、鉄道院総裁「後藤新平」から名前をもらった観光列車です。かつてはD51が補機を従えた貨物列車・混合列車がスイッチバック・ループ線を駆使し、「矢岳越え」を行った全国有数の難所の路線を運行しています。

大畑・矢岳・真幸の開業当時の駅舎、スイッチバック(大畑・真幸)、ループ線(大畑-矢岳)、日本三大車窓(矢岳-真幸)、D51170静態保存のSL館(矢岳駅)など見どころが多い路線です。

 

現在はキハ140-2125・キハ47-9082・キハ47-8159での運用ですが、2004年(平成16年)以前はキハ31で運用されていました。キハ31はオールステンレスで、一部廃車の部品を転用するなど「エコ」な車両になっています。個人的に最初見た際は、何てチープな車両が来たものかと嘆いたものですが、今となって見ると味がある、いい車両でした。

 

人吉駅のいさぶろう号のりばに停車するキハ31のいさぶろう号1261Dレ

1999年(平成11年)6月13日

 

キハ31-14 860Dレ  大畑

1996年(平成8年)4月21日

 

861Dレ 人吉-大畑  キハ140-2125+キハ31-14(後方)

現在のいさぶろう改造前の九州色キハ140-2125です。

1996年(平成8年)11月10日

 

1261Dレ 大畑-矢岳

1997年(平成9年)4月11日

 

1262Dレ キハ31-14

人吉-大畑 立石第2トンネル

1997年(平成9年)4月12日

 

1261Dレ キハ31-12 大畑

1998年(平成10年)8月2日

 

以下3枚、キハ40系との組み合わせ運行の様子

キハ31+キハ140+キハ31 単機でも行ける車両の3重連というところか

 

 

眼下に真幸駅を見てスイッチバックから矢岳駅へ臨む

1999年(平成11年)7月4日

 

山沿いの築堤を走る 吉松-真幸

1262Dレ キハ31-13

1999年(平成11年)7月4日

 

大畑駅からスイッチバック転向線へ向かう

8281Dレ キハ31-13 

2000年(平成12年)11月11日

 

真幸スイッチバック

線路が美しすぎる!!かっこいい!!!

2001年(平成13年)3月4日

 

大畑ループ線 1263Dレ

キハ31-12+キハ140-2125(現運行車両)

2001年(平成13年)3月11日

 

そして最後は「コロナどかこか行っちまえ~。」

いさぶろうに乗ってきた子供が幸福の鐘を鳴らす@真幸駅

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

熊本地方は長くコロナ感染者発生していませんし、東京にもようやく虹色の橋が戻ってくるそうで、一段落といえそうですが、この油断が第2波・3波を生むということも肝に銘じておかなければなりませんね。

 

引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は前回の続きで肥薩線を駆け抜けた「くまがわ号」です。

時代は昭和が終わり平成時代の画像です。

 

くまがわ4号 1814D 肥薩線 一勝地 

1989(平成元)年7月30日

1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正でくまがわ号は熊本-人吉(下りは湯前)間の4往復の運行になっています。

 

くまがわ5号 320D 湯前線 一武-肥後西村 

1989(平成元)年6月21日

 

人吉行き6D くま川鉄道 相良藩願成寺駅付近

1989(平成元)年)10月1日

1989年10月1日、国鉄湯前線が第3セクターのくま川鉄道として再出発した日です。

 

くまがわ3号 1813D 先頭キハ58 九州急行色

肥薩線 段-坂本 1989(平成2)年3月11日

 

くまがわ1号 1811D キハ65 八代駅

1991(平成3)年3月18日

 

くまがわ号 4D くま川鉄道 相良藩願成寺駅

1991(平成3)年8月14日

 

くまがわ号 アクアエクスプレス 1816D

肥薩線 一勝地 - 渡

1995(平成7)年 5月

平成5年から香椎線で使われていたジョイフルトレイン「アクア・エクスプレス」での運行が始まりました。当初2両編成での運行でしたが、平成12年4月以降は1両編成。その後13年7月に廃止されました。アクアエクスプレスは以前のブログでもご紹介してますので、そちらもご覧ください。

 

くまがわ4号 1914D DC-EXP シーガイア

肥薩線 一勝地 山沿いは霧に包まれる

1997(平成9)年12月21日

 

くまがわ1号 4D くま川鉄道 相良藩願成寺駅

 

河川工事中の球磨川沿いを走る 肥薩線 那良口

 

雪の中のくまがわ号 くま川鉄道 相良藩願成寺駅

先頭キハ65 後方くま川鉄道KT-100接続

1989(平成10)年1月25日

 

2004年(平成16年)3月11日特急昇格(これでJR九州内の「急行」が消滅)  以後キハ185運用。

別府-人吉間は九州横断特急として運行。くまがわ号は熊本-人吉間(九州横断特急は改めて紹介できればと思います)

 

2016年3月 くまがわ号廃止。九州横断特急運転区間短縮。いさぶろう・しんぺい号1往復が熊本延伸。

 

くまがわ号は正に人吉球磨と九州北部の主要都市をつなぐ優等列車でした。西鹿児島(鹿児島中央)、都城の九州南部とを結んだ「えびの号」と合わせて鉄路でまんべんなく行き来出来た時代でした。これらをブログにまとめていると、先日のJR九州の路線赤字のニュースがどうしても頭をよぎり、繁栄していた頃を懐かしく思いつつ今後の肥薩線がとても心配になりました。

 

九州横断特急時代は熊本-人吉間で6往復あり、ある程度自由な時間で行き来できました。便利でよく利用してましたが、今のダイヤ状況なら時間に余裕がある時以外は、車での行き来をせざるを得ない状況なのは仕方ないことです。

 

話は変わって、東京は虹の橋が赤色になるなど第2波が懸念されていますが、幸いにも熊本県は蔓延していない状況で、休館していた各施設がようやく開館になりました。人吉関係でアピールしておきたいイベントは、以前ブログで紹介させて頂いた「川上哲治生誕100年記念展」が道の駅「石野公園・クラフトパーク」で6月6日に再開されました。今回は川上さんの代名詞である「赤バット」の展示もあるようで、さらにパワーアップされています。また球磨郡錦町にある海軍基地跡の展示館「ひみつ基地ミュージアム・人吉海軍航空基地資料館」も6月1日に開館しています。まだ観光列車は走っていませんが、九州新幹線は13日以降正常ダイヤに戻るようなので、コロナ感染に気を付けながら、是非人吉・球磨にお越しください。肥薩線の観光列車(普通車でももちろんokですよ)が再開したらこちらにも是非ご乗車を。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

医療関係者の方に心から感謝申し上げます。

みなさま引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は前回に引き続き、くまがわ号の第2回目をお送りまします。

 

1810D後方 博多行き 肥薩線 渡-奈良口

1988(昭和63)年5月8日

この時期の基本編成はキハ25+28+58+28ですが、以下ご覧いただく様、バラエティーに富んできます。

 

湯前行き320D 湯前線 東人吉(現相良藩願成寺) 

1988(昭和63)年5月25日

写真はキハ65です。キハ28の代わりにキハ65が運用されることもありました。後方にキハ47が2両増結されています。

 

1810D 博多行き 肥薩線 人吉-西人吉 基本の編成

1988(昭和63)年8月3日

 

1810D 博多行き 肥薩線 西人吉-渡

1988(昭和63)年8月4日

 

320D 湯前行き 湯前線 東人吉手前

1989(平成元)年4月6日

九州色キハ58+国鉄色+サウンドエクスプレスひのくにの3両編成。サウンドエクスプレスひのくには以前ご紹介してますので、そちらもご覧ください。ちなみに1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正でくまがわ号は熊本-人吉(下りは湯前)の運行となりました。運用開始当時の上り終点は門司港でした。それが博多、そして熊本と運行距離が短くなってきています。このヘッドマークが個人的には好きです。

 

320D 湯前行き 人吉-東人吉(現相良藩願成寺)

1989(平成元)年 4月8日

サウンドエクスプレスひのくに+国鉄特急色+九州色+.・・・、この頃は編成も様々でした。それもそれで楽しい編成でした。

 

320D  湯前線 一武(いちぶ)-肥後西村

1989(平成元)年4月11日 国鉄色+九州色 

 

 

320D 湯前線 免田-木上(きのえ)

1989(平成元)年5月7日

 

今回はここまでです。ご覧いただきありがとうございました。

まだまだ収束が見えない地域もありますが、新しい生活習慣で苦難を乗り切りましょう。

みなさまお体ご自愛ください。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしの人吉・球磨鉄道写真は「くまがわ号」編をご覧いただきます。

 

くまがわ号ヘッドマーク(3代目 S34年)

 

人吉球磨地方を運行する肥薩線におきましては、昭和30年代から平成年代に渡って、九州を縦断する人々の移動の足としてDCでの優等列車が設定されていました。その1つ「えびの号」に関しては過去に4回に渡ってご紹介させて頂き、肥薩線初の特急列車でキハ82系で運行した「おおよど号」におきましてもNゲージ発売記念としてご紹介させて頂きました。

その他の優等列車としては「くまがわ号」・「やたけ号」がありましたが、今回は「くまがわ号」ついてのご紹介です。

 

「くまがわ」とは九州南部の人吉盆地を貫流する「球磨川」のことで、「日本三大急流」の一つとなっています。市房山を源流とし、日本一の清流と呼ばれる川辺川を支流に持つ一級河川です。八代-人吉間の肥薩線は球磨川に沿って敷設されており、「川線」と呼ばれております。SL人吉が球磨川沿いを走っている映像をご覧になった方も多いことでしょう。

球磨川沿いを走るSL人吉(鎌瀬付近)

 

球磨川は地域に農作物への恵みを与えているだけではなく、人吉観光名物「球磨川下り」やラフティング(列車通過時には乗客に手を振って応えてくれます)、鮎釣りといった観光資源も生み出しています。正に球磨川と共にある人吉・球磨地域です。

 

そんな地元に愛される川の名を冠した「くまがわ号」ですが、「北九州への日帰りビジネス列車」として誕生しました。

1959年(昭和34年)4月1日 準急くまがわ開通式 @人吉駅

球磨川の流れを表現した初代のヘッドマーク。この日の出来事を「人吉駅頭は溢れんばかりの人出となり、お祝いムードに包まれた」と新聞が報じています。それほど地元の方には待望していた列車の誕生でした。約300名の乗客を乗せたくまがわ号は当時の人吉市長、市議会議長ら関係者に見送られ、午前7時27分に人吉駅から一路、門司港駅に向かい出発しました。

808レ 人吉-門司港  キハ55 35+キハ55 114+キハ26 5+キハ26 6  

 

くまがわ号の運行は

準急時代 1959(S34)年4月1日 ~ 1966(S41)年3月4日 

急行時代 1966(S41)年3月5日 ~ 2004(H16)年3月12日 

特急時代 2004(H16)年3月13日 ~ 2016(H28)年3月25日  の3つの運用がありました。

 

まずは1959(S34)年4月1日の運行開始前に同年3月13日から博多-人吉間で試運転が開始されました。

1959(S34)年3月13日試運転開始当日 人吉駅

ヘッドマークが「試運転」 開通写真と同アングル

 

くまがわ号試運転 1959(S34)年3月13日 肥薩線 渡-奈良口

 

運用開始後は人吉・球磨から熊本・博多・門司港方面の足として大いに利用されていました。

 「えびの号」(右)と   肥薩線 段駅

1960(S35)年5月19日 くまがわと書かれただけのヘッドマーク 

えびの号は1959(S34)年5月1日運行開始ですから、くまがわ号とほぼ同期生と言えます。

 

球磨川沿いを走るくまがわ号 808D

肥薩線 一勝地-大坂間(現球泉洞)

1960(S35)年10月23日

 

特急色 準急くまがわ 人吉西方 810D

1964(S39)年2月26日

この時期の列車編成は前後がキハ58で中間にキロ25のグリーン車が設定されています。

 

急行に格上げされたくまがわ号 1118D 肥薩線 白石駅

1969(S44)年8月12日

 

8両編成の特急くまがわ号 人吉駅 

1970(S45)年12月31日

資料によるとこの時期のくまがわ号は基本7両編成だが、年末年始などの繁忙期はキハ58を増設していたようです。

 

1972(S47)年3月のダイヤ改正で下りの1117Dの終点が人吉から湯前線終点の湯前駅になりました。 上り(1118D)はそのまま人吉駅発です。また1980(S55年)ダイヤ改正で上り終点が門司港から博多に変わっています。

 

球磨川沿いを走るくまがわ号 肥薩線 那良口-瀬戸石

1983(S58)年8月3日

 

 今回はここまでです。この続きはまたお送りします。ご覧いただきありがとうございました。

 

医療従事者の方に心から感謝申し上げます。皆様、お体ご自愛下さい。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしの人吉・球磨鉄道写真は旧国鉄湯前線(現第3セクターくま川鉄道)で活躍したDD16です。

DD1653 382レ 川村-東人吉間

1979(昭和54)年 1月22日

 

蒸気機関車の無煙化として登場したディーゼル機関車ですが、以前のブログでもご紹介したように、肥薩線山線(人吉-吉松間)はD51からDD51へ、肥薩線川線(八代-人吉間)はC57からDE10へ、そして今回の旧国鉄湯前線(人吉-湯前)は8620形からDD16へと転換されました。

 

DD16の湯前線での運用は

1975(昭和50)年2月26日、入線試験。その後3月9日まで58654号(現SL人吉)と重連で訓練運転。

1975(昭和50)年3月10日 運転開始

1980(昭和55)年5月31日 貨物列車としての定期運行廃止。臨時列車・工事用列車としては運行

 

人吉盆地名物の霧の中を走るDD1653貨物列車 381レ

東人吉-川村間 1979(昭和54)年1月26日

 

ここからは定期貨物運行終了後の工事用運行です。

バラスト散布列車 山田川橋梁

1981(昭和56)年3月10日

 

DD1620 工9831レ 人吉-川村間

1981(昭和56年)4月15日

 

DD1620 工9392レ 人吉-川村間

1981(昭和56年)4月20日

 

DD1620 工9391レ 人吉-川村間 馬場踏切

1981(昭和56年)4月20日

 

DD1638 工9391レ 人吉-川村間 

1981(昭和56年)4月20日

 

ご覧いただきありがとうございました。

 

まだまだ不安と期待が入り混じった生活になります。九州では6月1日から東京・北海道などを除く、他府県への移動が可能になることが九州知事会で決まったようです。ようやく肥薩線にも観光客を乗せた蒸気機関車のドラフト音やディーゼルエンジン音が聞こえるようになるのでしょうか。そんな日を期待して第2波を起こさないようにしたいものです。

 

皆さん、引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

皆さんの周囲の状況はいかがでしょうか?これで収束に向かうのか、第2波が待っているのか、是非とも前者であってほしいものです。

ようやくアベノマスクも熊本県まで進出してきましたが、気候も暑くなってどこで着ければいいのか迷うばかりです。

 

今回の懐かしの人吉・球磨鉄道写真は久しぶりの肥薩線山線のD51です。

山田川橋梁 D511151 842レ

1969年(昭和44年)7月10日

 

 

 

人吉-大畑間  D511687 4589レ

1970年(昭和45年)2月10日

 

大畑 大野築堤 D51572+スハフ32+D511058 混合列車(2枚とも)

4589レ 1970年(昭和45年)3月29日

 

人吉-大畑間 D51477 843レ

1970年(昭和45年)4月1日

 

人吉-大畑間(水無)  D51668 845レ

1970年(昭和45年)5月14日

 

今回もご覧頂きありがとうございました。どうかお体ご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

東京など一部を除く地域に緊急事態宣言解除が出され、初の週末となりました。

様々に経済活動再開のニュースも流れ、コロナ対策に苦慮しながらも少しずつ元に戻ろうとしている状況であるようです。自粛が続いている所の方はまだまだ厳しいですね。

 

さて今回は過去4回に渡ってお送りしてきた「急行えびの号」の5回目で最後になります。

1959年5月1日に熊本・宮崎間の準急として運行を開始して、1966年3月5日に急行へ昇格、最大10両編成で博多・宮崎、西鹿児島間を運行してきました。そして時代は車社会へ。鉄道の需要は段々減ってきました。

 

最終回は平成時代、キハ65+キハ58のシーガイア号運行のえびの号です。

えびの3号 肥薩線 大畑-矢岳間 1996年(平成8年)7月21日

 

えびの3号 肥薩線 人吉-大畑間 1997年(平成9年)4月11日

 

えびの1号 肥薩線 人吉-西人吉間 1998年(平成10年)4月2日

SL人吉との桜とのコラボ撮影で有名なスポットです。

 

えびの1号 肥薩線 真幸-吉松間 1999年(平成11年)7月4日

 

えびの1号 肥薩線 真幸-吉松間 

 

最後は大畑駅スイッチバックでえびの1号・2号でのコラボ 1994年(平成6年)

そして2000年(平成12年)3月、くまがわ号に合併される形で「えびの号」は消滅しました(涙)

 

肥薩線はもともと海岸沿いに鉄道を通すと戦争の際に敵から狙われ、寸断されるかもしれないというリスク回避から、わざわざ九州山脈に難工事をしてまで内陸部に線路を設置したというのが始まりで、当初は鹿児島本線はこちらのほうでした。海岸沿いの鹿児島本線(現一部肥薩おれんじ鉄道)が出来て本線の座は奪われましたが、門司港、博多から鹿児島方向までほぼ一直線で一番短距離で行けるメリットで肥薩線に優等列車が設定されたいきさつがあるようです。

 

だだ九州自動車道、九州新幹線が開通すると状況は一変、またJRもあくまでも一般企業。利益優先はいうまでもありません。国鉄時代のように赤字垂れ流しは出来ません。

 

肥薩線が廃線になってしまわないように、コロナが収束したら是非列車で人吉や吉松、鹿児島中央方向においでくださいませ。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

みなさまお体ご自愛ください。

 

 

人吉鉄映会です。

 

コロナ対策もいよいよ次のステップに進もうとしてます。緊急事態宣言解除が経済の復旧や地域の活性化になるのか、はたまた第2波を引き起こすのか、それは我々の行動にかかっていますね。引き続き気を引き締めていきたいところです。

 

今回も肥薩線を駆け抜けた「急行えびの号」の活躍紹介の4回目となります。

時代は昭和60年台になり、人吉も高速道路の人吉ICが開通した時期になります。(開通当初は加久藤方向までは繋がっていませんでしたが)

即ち、人々の移動の手段が鉄道から自動車(自家用車・バスなど)へ転換していった過渡期に当たります。

 

えびの号は最盛期は10両編成だったのですが、この時期は基本3両編成までに減っていました。

えびの3号 5613D 熊本発宮崎行き

キハ58+キハ65+キハ58 (以後の写真も同編成です。前年のダイヤ改正でグリーン車(キロ28)運用は廃止されています。)

肥薩線 大畑-矢岳間 1985年(昭和60年)2月24日

 

 

えびの2号 5612D 宮崎発熊本行き ヘッドマークが復活 

肥薩線 白石-吉尾間  1988年(昭和63年)4月9日

 

 

えびの1号 5611D 熊本発宮崎行き

通常編成にジョイフルトレイン「サウンド・エクスプレスひのくに」2両増結 

(「サウンドエクスプレスひのくに」は懐かし写真⑬でご紹介してます)

肥薩線 人吉-大畑間  1988年(昭和63年)8月7日

 

 

えびの1号 5611D 熊本発宮崎行き

 肥薩線 大畑ループ線1988年(昭和63年)10月24日

 

 

えびの2号 5612D 宮崎発熊本着

肥薩線 人吉-大畑間  1988年(昭和63年)10月24日

 

 

えびの1号 5611D 熊本発宮崎着

 JR発足後でJRロゴ入り

肥薩線 人吉-大畑  1989年(平成元年)8月27日

 

今回はここまでです。以降は2両編成の青のシーガイア号での運行。そして廃止の憂き目に・・・。またご紹介します。

皆さんご自愛ください。