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人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

球磨川氾濫による人吉・球磨水害被害から3週間経ちました。

 

国道219号線の崩落による通行止めや水害後の更なる大雨、コロナによる県内の方のみのボランティア募集が足かせになって、場所によっては遅々として復旧は進んでは行かない状況です。人吉方面は高速道路利用で向かえますが、球磨村は国道が通らないと行けない(行き辛い)地点です。

 

それでも地元の方、何よりボランティアの方が汗水流して一生懸命復旧に向かって努力されています。一歩ずつでも進んでいきましょう。

 

前回、前々回と肥薩線、くま川鉄道の目を覆いたくなる被害状況をお知らせしました。

今回は水害から3週間経った人吉市の状況と機能を無くした人吉駅や関連の状況を報告したいと思います。

 

まずは人吉市内の状況

前回報告した時より中心市街地はだいぶん片付けも進んでいます。道端に災害ごみが残っているような状況ですが、本日もボランティアの方が回収されていました。ありがとうございます。それでもそういった方がいらっしゃるだけで街自体は当然賑わっていません。

ただ中心地を少し外れると、まだ瓦礫や泥にまみれたところが多く見られます。

 

 

次に文化財の被害も見ていきましょう

 

国宝 青井阿蘇神社のはす池と禊橋

綺麗なはす池に泥が入り込み、禊橋の欄干は崩壊しました。

 

下の写真は水害前のはす池と禊橋です。6月28日(水害の6日前)この日はいい天気でした。このような美しい景色が参拝者を迎えていました。

はす池に沈んでいた流されてきた車両は撤去されました。はす池はもともとの池の泥でなく、流れ込んできた汚泥なんでしょうか、残念ながら不快な匂いを発していました。ただ埋もれたなかから緑の葉が上へ上へと延びているのもありました。泥の中で育つはすはこれで再生するのでしょうか。

本殿も氏子の方、近所の方、地元の学生、ボランティアのおかげでだいぶん片付けが進んでいました。

 

 

こちらも全国的に報道された昭和6年創業 新温泉さん

 

氾濫した球磨川水系山田川のほとりにあり完全に水没しました。私も過去数回訪れたことがあります。確かこういった温泉に付き物の頭痛薬「ケロリン」の黄色い洗面器もあったような。温泉の町人吉にはこういった庶民的な温泉もいっぱいありました。

 

もっと状況を報告したいのですが、鉄ブロということで鉄道の話にいきます。

人吉駅の状況は先日報告した状況と変わっていません。取り残されたJRのキハ40とキハ220、それとくま鉄KT-500系(田園シンフォニー)がいます。ただ詳細が少しわかってきました。

 

JRキハ40は自力走行可能(エンジンがかかった)ということですが、キハ220はエンジン水没して走行不能。牽引での移送もできないため陸送で修理するためのところに運搬するそうです。これもニュースになりそうですね。ただキハ40もせめて下り方向にでも進めないと同じ状況です。

 

くま鉄田園シンフォニーの方は奇跡的に5台中写真右奥のクリーム色KT-503がエンジンがかかり走行可能なようです。これを牽引車としてくま川鉄道車庫に他車両を移送し、エンジン載せ替えを計画しているそうです。これは明るい話題です。

 

だた、前回訪問した時気付かなかったですが、駅構内でも土砂崩れが出ていました。

橋梁流失や地盤流出に比べれば問題ない被害ですが、要はあちらこちらこのような被害が出ているということです。

 

繰り返しますが、人吉駅には3種の車両が停車してます。通常運行中ならいい眺めですが、運行できない車両が駐機しているだけの悲しい状況です。

 

気になるのが肥薩線を走っていた観光列車の行方です。

 

SL人吉は熊本運転所で待機中です。もちろん肥薩線川線を走ることはできません。

8月8日に豊肥線が全線開通という話は皆さんご存じですよね、このSL人吉、もとはと言えばあそBOYでしたよね。ということは・・・・・・。

うーん、あと3年で100歳の58654号、人吉でお祝いしたかったな。。。。大丈夫でしょう、多分。。。。

 

やませみ・かわせみ これは今熊本操車場で駐機中。コロナで運休中にいさぶろう・しんぺいのキハ47 2両と待機していたのを過去に紹介しましたが、またですかという感じです。

熊本操車場にてやませみ・かわせみ

 

いさぶろう・しんぺい号は真幸駅で駐機中。

川線は大きな被害を受けましたが、山線(人吉-吉松)は人吉-大畑間の築堤崩落の被害しか報告されていません。あとは第三橋梁に積もった漂流物です。本当にその程度ならここは復旧が早いように思えます。せめて人吉-吉松間でも運行してもらえたら・・・(吉松-隼人間は運行中)

 

下の写真の地点は人吉から下り方向(くま鉄 相良藩願成寺駅、肥薩線 大畑方向)の山田川橋梁が肥薩線・くま川鉄道で共有の線路を使うため、唯一単線になっているところです。この先でまたくま鉄と肥薩線に分岐するポイントなのですが、草が茂って先の線路が見えない状況にまでなっていました。廃線遺産みたいな有様です。

 

 

豪雨の影響でしょうか、遮断機が壊れているようで竿が取り外してある踏切もありました。鉄道が走っていない踏切ならではの光景です。天神第一踏切。

まずは一歩一歩復旧をしていくだけですね。ただ熊本地方も7/26に21人のコロナ感染が発生し、ここにも十分配慮しないといけないですね。

今後進捗状況を報告していければと思います。

 

今回もご覧いただきありがとうございます。みなさまお体ご自愛ください。

 

被災者の方にお見舞い申し上げます。

復旧ボランティアの方に感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回の令和2年豪雨災害で尊い命を落とされた方に心よりご冥福申し上げます。

そして被災された方にお見舞い申し上げます。

またボランティアとして復興の手助けをされていらっしゃる方にも心から感謝申し上げます。

 

熊本、人吉地区には本日も線状降水帯らしきものが出来て、かなりの土砂降りの時間帯がありました。今のところ球磨川は満水の状態に近いですが氾濫までは至る状況ではない状況です。

昨日1,200名ものボランティアの方が一生懸命に汗を流され復興のお手伝いをされましたが、本日はこの雨の影響でボランティア受け入れが中止となり、長引く梅雨の影響が復興の足かせになっていて苦々しい思いです。

 

前回この豪雨での鉄道被害として肥薩線川線(八代-人吉)被害状況とありし日の鉄道風景をお送りしましたが、今回は人吉・球磨ももう一つの重大な路線、第3セクターのくま川鉄道の被害についてお伝えします。

 

くま川鉄道は国鉄時代は湯前線として人吉-湯前間を学生を中心としての沿線の足として活躍したほか、地元の優良な木材を運搬する路線でもあり、地元と密着していた路線でした。

キハ17-42 木上(きのえ)-免田 1973年1月

 

貨車を牽引する58654号(現SL人吉)

川村-東人吉(現相良藩願成寺) 1974年10月

 

通学の学生で賑わう免田駅(現あさぎり駅)

1981年7月

 

田植え前のレンゲ畑を走るキハ40系

川村-免田(現あさぎり) 1987年4月

 

牛が見つめるのどかな風景で九州山地をバックに走るキハ40系

東免田-多良木 1989年1月

 

国鉄湯前線はJR発足で第3セクタ-くま川鉄道として新たなスタートを切ります

くま川鉄道オリジナル車両KT-100・200試運転

人吉付近 1989年8月14日

 

くま川鉄道発足で賑わう人吉駅前

1989年10月1日

 

人吉温泉駅では盛大に発車式が行われた

1989年10月1日

 

ご覧いただいたように、国鉄湯前線、そして第3セクターくま川鉄道となっても地元に愛され、またのどかな田園風景や球磨川・川辺川と通過する「観光列車」としても人気の列車でした。

 

 

水没した田園シンフォニー(くま鉄Twitterより)

 

流出した線路(くま鉄Twitterより)

 

そして肥薩線の球磨川第一、第二橋梁に続いて・・・

流出した球磨川第四橋梁(くま鉄Twitterより)

 

鉄橋をなぎ倒すほどの濁流、想像以上の被害です。

球磨川第四橋梁は球磨川と川辺川の合流点付近にあり、風光明媚なポイントでした。

 

球磨川第四橋梁 58654号 1974年11月

 

球磨川第四橋梁 キハ40系 1989年8月

 

第3セクターとして億単位の復旧費を捻出しないといけないくま鉄ですが、多少なりとも支援の方法がありますのでご紹介します。

 

くま川鉄道HPより

寄付の方法は現金書留と銀行振り込みの方法があります。くま鉄の応援コメントを添えたいので現金書留を選びたいですが、現在人吉はキーとなる人吉郵便局が浸水で機能停止となり配達自体が滞っている状態です。いち早くという方は銀行振り込みを、思いを伝えたいので少し遅れてでも、と言われる方は現金書留でという選択をされてはいかがでしょうか?

(余談ですが当会は思いがありすぎましたのでそれを伝えるためにあえて現金書留を使いました)

 

 

鉄道ファンにとってはこれが一番の支援になるのではなるのではないでしょうか。

今後販路を拡大するようなので、これでも支援したいですね。

 

前回の肥薩線、今回のくま川鉄道とまた元のような風景が戻るのでしょうか、いや是非とも戻ってほしいですね。地域の復興に鉄道は欠かせないと思います。まずは国道を復旧するようですので、長い目で待っていきましょう。豊肥線も4年かかりました。立野の大スイッチバックをあそボーイが駆け抜けます。それと同じようにまた球磨川第一橋梁にSL人吉を見られることを期待して

頑張ろう!人吉・球磨!!   甦れ くま川鉄道!!!

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

まだコロナ蔓延中です。お体ご自愛ください

 

人吉鉄映会です。

 

令和2年豪雨災害で尊い命を落とされた方に心からご冥福を祈ります。また被災された方にお見舞い申し上げますと共に、ボランティアで復旧のお手伝いをされていらっしゃる方に心から感謝申し上げます。

 

この度の豪雨は特に九州地方にとっては過去にでもなかったような大災害になってしまいました。

(青井阿蘇神社の資料や球磨川の災害対応タイムラインを作成された大学教授の話からは球磨川系過去最悪の災害だと推定されています)

地元の方はもとより、多くのボランティアの方が汗を流され懸命な復旧活動を行われていますが、被災流域が広大だったことと、2m以上の浸水の箇所が多かったこともあり、まだまだ先が見えていない復旧状況であります。

 

被害を受けたのは住宅、観光施設はもちろんのこと、鉄道にも大きな被害を与えたことは皆さんも周知のことでしょう。

 

肥薩線の被害はJR九州の最新の発表で450か所であることが判明しました。

特に甚大な被害だったのは明治時代の遺産であり、絶好の撮影ポイントであった球磨川第一橋梁、第二橋梁の流出ではないでしょうか

(以降被害状況写真は道路状況など個人の取材が困難なため、JR九州の被害発表の写真を使用しています)

流出した第一橋梁 JR九州発表資料より

 

同第2橋梁 JR九州発表資料より

 

7月4日の昼頃、正に人吉・球磨が水没していく最中、関係者から「どうも肥薩線の橋梁が流されたらしい」という一報が入りました。まさかとは思いつつも、しかし4日はそれどころの状況でもなく、「流されたのは鉄道橋でなく国道橋ではないか」などの情報も錯綜し、魔の1日が過ぎました。

その翌日、報道のヘリからの映像で変わり果てたふるさと、多くの命が失われ孤立した「千寿園」、それと濁流に横たわった赤い鉄骨の映像がこの大災害の凄まじさを映し出し、涙が止まりませんでした。

 

球磨川第一橋梁を走るC57 1972年5月6日

 

球磨川第二橋梁 2009年4月16日 SL人吉

 

球磨川第二橋梁 1964年9月6日

 

明治時代の遺産の橋梁ということはそれ以来作り替えていないということです。つまり構築されてからの水害、熊本地震、なにより先の大戦にも影響を受けず、人吉・球磨と熊本・八代方面との人・物資を繋ぐ鉄路であり、車社会となった今ではSL人吉ややませみかわせみなどの観光客の足で、撮り鉄ファンにとっては「聖地」とも言われるポイントでもありました。

 

それ以外のところでも大きな被害が出ています。どんなに素晴らしいところだったか、在りし日の懐かしい写真もご合わせてご覧いただきます。

 

段-坂本間 路盤流出

段-坂本 JR九州発表資料より

 

 

段-坂本を走るハチロク 1960年5月19日

 

葉木-鎌瀬 路盤流出

葉木-鎌瀬 JR九州発表資料より

 

 

葉木-鎌瀬 2020年3月 SL人吉

 

瀬戸石駅消滅

駅舎が流出し消滅した瀬戸石駅 JR九州発表

 

在りし日の瀬戸石駅 2000年2月6日

瀬戸石駅は昭和40年7月の水害でも駅舎が流出。翌年に鉄筋で再建されるも昭和57年の水害で再度倒壊するなど、駅舎は過去にも水害で被害をうけましたが、今回は駅舎・ホームとも跡形もなく流されていました。

 

 

球泉洞-一勝地 土砂崩落

線路に土砂が被さった線路 球泉洞-一勝地 JR九州発表資料より

 

球泉洞(当時は大坂間)-一勝地間を走るC57132 

1966年4月16日

 

山と球磨川に挟まれた球泉洞(当時は大坂間)-一勝地間をSLが走る

1969年10月27日

球泉洞は国道219号線沿いにある球磨村の鍾乳洞です。洞内には土砂流入はなかったようですが、そこに繋がる通路に大量の木などが流れ込み、この観光施設も大きな被害を受けています。

 

渡地区小川橋周辺 築堤崩壊

築堤が崩壊した小川橋周辺 JR九州資料より

 

 

矢岳駅静態保存から観光用に再登板した58654号単機試運転

小川橋 1988年7月27日

 

渡駅 路盤流出

路盤流出した渡駅 JR九州資料より

 

 

渡駅を出る58654(あそボーイ)1997年5月10日

 

渡駅に向かうサウンドエクスプレスひのくに

 

渡駅は国道219線沿いに駅舎や西人吉間の線路が面しているため、ここもSL人吉の撮影ポイントでした。渡駅で停車していたSLが蒸気・煙MAXで発進する姿を撮ろうと多くのファンが詰めかけていました。

 

実はこの地域の浸水被害がひどく、多くの方がお亡くなりになった「千寿園」取材の各局のTVクルーもこの付近で足止めされされていました。

 

肥薩線は球磨川沿いの「川線」と矢岳越えの「山線」と全く違う風景を見せてくれました。特に川線はSL人吉の運行路線ということもあり、全国的にも人気の路線でした。その路線も球磨川の氾濫によりほとんどの鉄路・橋梁・駅舎が壊滅的な被害を受け、本当にここにまた鉄路が出来るのか自体、私自身も信じきれない状況です。

いまはまず地域の復興優先になりますが、それと同時に鉄道の動向も注視していきたいと思いますし、何か皆さんに発信すべきことはお伝えしていこうと思います。

 

次回はこちらも大きな被害を受けたくま川鉄道に関してお送りしたいと思います。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

コロナもまた全国的に拡大傾向です。皆様お体ご自愛下さい

 

頑張ろう!人吉球磨!! 甦れ肥薩線!!!

 

 

人吉鉄映会です。

 

令和2年豪雨災害で尊い命を落とされた方に心からご冥福をお祈りします。

また被害に逢われた方にお見舞い申し上げます。

 

あの豪雨から本日で1週間となります。人吉・球磨の宝である球磨川が牙を剥き、大変な被害を引き起こしました。50年、100年に一度の災害と言われています。確かに前回のブログで大きな球磨川の氾濫は昭和40年7月以来ということをお伝えしましたが、そうなると50年に1回となります。ところが最近の報道で青井阿蘇神社の神殿が水没した記録は1,200年の歴史で1回も書かれていないそうで、そうすればこれほどの水害は正に1,000年に1回の大災害ということになるのでしょう。

 

まずは被災者への対応と町の復旧ですが、今回の大規模水害が起きたメカニズムの解明と今後の対策も進めてもらいたいものです。

 

それと並行して重大な懸案が鉄道の壊滅です。ご存じのように肥薩線・くま川鉄道とも鉄橋を始めとして線路に大きな被害を受け、復旧の見込みも立っていない状況です。それどころか明治時代の大事な遺産まで失うという計り知れない損失になってしまいました。

 

今回はそういった人吉の現状を見て頂きます。

 

道の泥はかなり撤去され車などの通行が出来るところも増えました。しかしその傍らはまだ5cm以上のぬかるんだ泥や災害ごみが目立ちます。水害というより泥害といった感じです。街としてはまだ機能していません。

本日は大阪府警の方がいらっしゃいました。後述の鉄橋のところには三重県警の方もいらっしゃって、全国からの色々な支援、ありがたいことです。

 

ここからは鉄道の話です。7/4から肥薩線・くま川鉄道も運休、というか運行不能状態です。

列車が走らず錆びてきた鉄路。左肥薩線、右くま川鉄道 @鬼木第2踏切

 

洪水後も大雨を繰り返し、線路の錆び進む。肥薩線 @鬼木第3踏切

 

球磨川に架かる橋梁で唯一流出を免れた球磨川第三橋梁(肥薩線 人吉-大畑)

しかし、瓦礫が線路を埋め尽くしている。

 

人吉駅の入り口には貼り紙が貼ってあり、ホームどころか中にも入れない状態です。

 

駐車場も閉鎖中です。

 

全国ニュースにもなった、浸水してしまったくま川鉄道KT-500

 

JRの列車は被災時いなかったと勝手に思ってましたが、キハ220とキハ40が取り残されていました。今となっては上りにも下りにも行けない状況です。

 

乗る人がいないタクシーが並ぶ閑散とした人吉駅

コロナの規制解除後、こんな試練があるとは思ってもいませんでした。しかし、熊本地震、東日本大震災、阪神大震災後も人々の努力で乗り越えてきました。今回もきっとそうなるように願って止みません。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

人吉鉄映会です。

 

今回の九州南部豪雨により尊い命を落とされた方に心からご冥福をお祈りします。また被災されている方にお見舞い申し上げます。

 

球磨川は人吉盆地の真ん中を通っている、正に人吉・球磨地方と共にある河川です。

 

TV報道などでは「暴れ川」などの表現をされています。過去はそうだったかもしれません。

日本三大急流の一級河川で、九州山地市房山を源流とし、川辺川・山田川・万江川などの多くの川を支流にもつため、確かに多くの雨量となれば濁流になります。それでも街中まで濁流が押し寄せた甚大な被害は昭和40年7月まで遡ります。市房ダムや河川改修により昭和50年代後半以降は目立った水害被害はなく、当時の建設省が進めてきた水害対策が功を奏したものと思います。

 

それだけに今回の球磨川の暴れ様は尋常でなかったといえます。

 

だた、前にも書いたように人吉球磨は球磨川(支流も含めて)に恩恵を受けてきた地域です。川があったからこそ水運の要所であり、人々が行きかう宿場(舎=人吉)として町が出来たという経緯があるようで、球磨川あっての人吉球磨です。

そして大きな観光資源として地域を潤してきました。

 

まずは町の復旧、そしてインフラ、肥薩線・くまがわ鉄道・国道219号線・・・先が全く見えない絶望的な状況でも、みんな前を向いてます。

 

皆さんが肥薩線、くま川鉄道の被災に心を痛まれ、早い復旧を願われているのはありがたいことです。ただ失ったものが余りにも大きすぎる現実はどうしたらいいものか、まだ考えもつかない状況です。

 

これ以上のコメントを思いつかないので今回はこれで終わります。球磨川と鉄道、いい風景がありました

 

がんばろう!ひとよし 

人吉鉄映会です。

 

27回目の懐かしの人吉球磨鉄道写真は人吉機関区に在籍していた8620型車両の一部をご紹介します。

 

18666

1917年(大正6年)9月      汽車製造大阪工場製 

1950年(昭和25年)3月15日 西唐津より人吉区転籍

1966年(昭和41年)5月31日 人吉にて廃車

※終戦直前の西唐津在籍時に米軍機から機銃掃射を浴びている。

※人吉在籍時炭水車の振り替えを実施

18666(左)  38633(右) 人吉駅 

1965年(昭和40年) 8月1日

38633

1920年(大正9年)8月 汽車製造大阪工場製 

1963年(昭和38年)3月16日 吉塚より人吉区転籍

1972年(昭和47年)11月7日 人吉にて廃車

38633 人吉駅 撮影日時不明

 

 

48679

1922年(大正11年)2月     汽車製造大阪工場製  

1973年(昭和48年)6月16日 鹿児島より全検後人吉転配

1975年(昭和50年)5月 6日 人吉にて廃車

※人吉機関区に配属された最後の蒸気機関車

※車籍上、国鉄で最後まで残った8620型

48679 湯前線 免田川橋梁

1974年(昭和49年)11月24日

 

48679 湯前線 川村

1974年(昭和49年)9月8日

 

 

58624

1922年(大正11年)5月日本車輌名古屋工場製

1930年(昭和5年)6月5日 名古屋より人吉配置

1966年(昭和41年)5月31日 人吉にて廃車

58624 人吉駅 1963年(昭和38年)

 

 

58654

1922年(大正11年)11月18日 日立製作所笠戸工場製

1968年(昭和43年)6月 1日 若松より人吉配属

1975年(昭和50年)3月9日 湯前線DD16運用訓練で重連走行にて運転終了(国鉄最後の本線走行8620型)

同            3月31日 廃車

1976年(昭和51年)3月11日 DD51牽引で矢岳駅回送 SL展示館に静態保存

 

1988年(昭和63年)1月9日 小倉工場に陸運

同            7月26日 車籍復活 翌日から試運転開始

同            8月26日 「SLあそBOY」として運転開始

2005年(平成17年)8月28日 台枠などの老朽化のため運転終了

2009年(平成21年)4月25日 「SL人吉」として復活

58654 湯前線 川村 1973年(昭和48年)

 

58654 湯前線 多良木駅

1970年(昭和50年)3月3日

 

58654 雪の中の人吉駅

1970年(昭和45年)1月5日

 

 

58654 湯前線 川村付近

1974年(昭和49年)5月8日

 

 

68643

1922年(大正11年)10月28日 日本車輌名古屋工場製(機関車車歴では日本車輌「熱田」とある)

1945年(昭和20年)9月14日 西唐津から人吉到着。配属日は不明

1966年(昭和41年)5月31日 人吉廃車

68643 肥薩線 万江川橋梁(人吉-西人吉)

1964年(昭和39年)7月21日

 

78652

1924年(大正13年)9月20日 日立製作所笠戸工場製

1934年(昭和9年)11月30日 出水から人吉転籍

1966年(昭和41年)5月31日 人吉廃車

78652  肥薩線 大坂間(球泉洞)-一勝地

1960年(昭和35年)10月23日

 

78652 人吉駅

 

78652 廃車前の休車として駐機の一勝地にて

1966年(昭和41年)2月10日(休車は2月5日より)

 

78690

1925年(大正14年)2月    汽車製造大阪工場製

1945年(昭和20年)5月20日 大分より人吉転籍

1968年(昭和43年)5月10or11日 シリンダーに亀裂発生で休車

              7月20日 人吉廃車

※人吉機関区在籍8620型で一番の老番

78690 人吉駅

1966年(昭和41年)9月1日

 

8620型蒸気機関車はご存じのように非常に優秀な機関車で672両製造されました。全国各地で活躍しましたが、人吉・球磨地区でも

大活躍でした。
現在8620型で実働しているのは58654号「SL人吉」です。まもなくまたその雄姿が見れるとなるとワクワクします。
遂に観光列車再開で人吉・球磨地方もまた活性化してくれたらいいと思います。
 
是非列車に乗って人吉・球磨においでになり、温泉・球磨焼酎・球磨川の景観などなど楽しんでください。
 
当会も鉄道情報ばかりでなく、そういった情報も小ネタとしてご紹介していきたいと思います。
 
今回もご覧いただきありがとうございました。
 
まだまだコロナも完全鎮静化とは言えませんので、引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

ようやく熊本地方も梅雨入りして、ジメジメとした天気が続きますが、前回のブログでも書いたようにJR九州の観光列車が6/19より復活ということで、梅雨のどんより感よりワクワク感が勝っている今日この頃です。

だからといって何も運休中ということで休んでばっかりいる列車ばかりでなく、頑張っている列車もいます。

やませみ・かわせみと仲良く運休中いさぶろう・しんぺい号

熊本駅操車場(熊本市西区)

 

そんな中でも頑張っている車両を

しんぺい号? @球磨川第3橋梁

2020年6月12日

 

同上

1両編成で運行。これで車両番号が分かればかなりの「いさしん通」

 

 

@球磨川第3橋梁通過後新馬場踏切

正解はいさぶろう・しんぺい号で唯一両運転台車両のキハ140-2125です。

 

同上

 

さて、クイズTHE違和感。

この列車いさぶろうしんぺい号の車両キハ140-2125なのにいさぶろう・しんぺい号じゃない。。分かりますか?

 

正解は・・・

 

前面表示が「普通」になっている、でした。

左、観光列車として運行時。黒バックに「いさぶろう・しんぺい」  右 現在普通列車として運行「普通」表示

 

いさぶろう・しんぺい号はご存じのように観光列車です。いさぶろう1号、しんぺい4号の熊本-人吉間は特急列車で人吉-吉松間の2往復は各停の観光列車(普通運転)としての運行です。

で、今回見て頂いた「普通」列車運行では熊本-人吉間は回送運転、人吉-吉松間2往復は普通列車として運行しています。

逆に「普通」表示のいさぶろう・しんぺい号がレアになるのかな、と思っています。

この写真や運休している写真とともに「こんな時もあったなぁ」といい意味で懐かしくなるようになればいいですね。

 

ということで、引き続きの運行

折り返しいさぶろう3号と同時間普通車(笑)

@鬼木第3踏切手前

 

同上

 

 

この車両が単なる普通車で走行もあとわずかです。19日以降は皆さんを肥薩線山線の楽しさを伝えるための観光列車に復帰します。皆さんも是非列車に乗って人吉・球磨や肥薩線を満喫してください。

 

今回もご覧頂きありがとうございました。

 

第2波に用心しつつ、新しい日常を楽しんでいきましょう。

 

お体ご自愛ください。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

先日嬉しいニュースがありました。

コロナの影響で運休されていましたJR九州の観光列車が6/19から運行再開するそうです。ななつ星in九州も乗客を減らして7/14から再開ということで、ようやく「当たり前」だった日常が戻ってきそうです。

 

今回はキハ31運用時代の観光列車「いさぶろう・しんぺい号」の雄姿をご覧いただきます。

運行開始当初のキハ31運用 しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号は1996年(平成8年)、肥薩線 人吉・吉松間の4往復の普通列車のうち1往復を専用列車を使った観光列車として誕生しました。

 

いさぶろう号 大畑

1999年(平成10年)5月30日

 

現在の運行

いさぶろう1号 熊本発吉松行。熊本-人吉間が特急、人吉-吉松間は各停普通観光列車⇒(折り返し)しんぺい2号 吉松-人吉 各停観光列車⇒(折り返し)いさぶろう3号 人吉-吉松 各停観光列車⇒(折り返し)しんぺい4号 吉松-熊本 吉松-人吉間は各停普通観光列車。人吉-熊本間が特急 人吉駅で「やませみ・かわせみ」、吉松駅ではやとの風」との接続あり。

現在のキハ40系水戸岡デザイン 観光列車いさぶろう号

 

いさぶろう・しんぺい号とやませみ・かわせみ@人吉駅

 

いさぶろう・しんぺい号とはやとの風@吉松駅

現在、乗り換えの利便性を考慮しホームを跨いで停車するため、この配置は見れません。

2005年(平成17年)

 

列車名となっている「いさぶろう」とは肥薩線開通当時の逓信大臣「山縣伊三郎」のことで、「しんぺい」は同、鉄道院総裁「後藤新平」から名前をもらった観光列車です。かつてはD51が補機を従えた貨物列車・混合列車がスイッチバック・ループ線を駆使し、「矢岳越え」を行った全国有数の難所の路線を運行しています。

大畑・矢岳・真幸の開業当時の駅舎、スイッチバック(大畑・真幸)、ループ線(大畑-矢岳)、日本三大車窓(矢岳-真幸)、D51170静態保存のSL館(矢岳駅)など見どころが多い路線です。

 

現在はキハ140-2125・キハ47-9082・キハ47-8159での運用ですが、2004年(平成16年)以前はキハ31で運用されていました。キハ31はオールステンレスで、一部廃車の部品を転用するなど「エコ」な車両になっています。個人的に最初見た際は、何てチープな車両が来たものかと嘆いたものですが、今となって見ると味がある、いい車両でした。

 

人吉駅のいさぶろう号のりばに停車するキハ31のいさぶろう号1261Dレ

1999年(平成11年)6月13日

 

キハ31-14 860Dレ  大畑

1996年(平成8年)4月21日

 

861Dレ 人吉-大畑  キハ140-2125+キハ31-14(後方)

現在のいさぶろう改造前の九州色キハ140-2125です。

1996年(平成8年)11月10日

 

1261Dレ 大畑-矢岳

1997年(平成9年)4月11日

 

1262Dレ キハ31-14

人吉-大畑 立石第2トンネル

1997年(平成9年)4月12日

 

1261Dレ キハ31-12 大畑

1998年(平成10年)8月2日

 

以下3枚、キハ40系との組み合わせ運行の様子

キハ31+キハ140+キハ31 単機でも行ける車両の3重連というところか

 

 

眼下に真幸駅を見てスイッチバックから矢岳駅へ臨む

1999年(平成11年)7月4日

 

山沿いの築堤を走る 吉松-真幸

1262Dレ キハ31-13

1999年(平成11年)7月4日

 

大畑駅からスイッチバック転向線へ向かう

8281Dレ キハ31-13 

2000年(平成12年)11月11日

 

真幸スイッチバック

線路が美しすぎる!!かっこいい!!!

2001年(平成13年)3月4日

 

大畑ループ線 1263Dレ

キハ31-12+キハ140-2125(現運行車両)

2001年(平成13年)3月11日

 

そして最後は「コロナどかこか行っちまえ~。」

いさぶろうに乗ってきた子供が幸福の鐘を鳴らす@真幸駅

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

熊本地方は長くコロナ感染者発生していませんし、東京にもようやく虹色の橋が戻ってくるそうで、一段落といえそうですが、この油断が第2波・3波を生むということも肝に銘じておかなければなりませんね。

 

引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は前回の続きで肥薩線を駆け抜けた「くまがわ号」です。

時代は昭和が終わり平成時代の画像です。

 

くまがわ4号 1814Dレ 肥薩線 一勝地 

1989(平成元)年7月30日

1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正でくまがわ号は熊本-人吉(下りは湯前)間の4往復の運行になっています。

 

くまがわ5号 320Dレ 湯前線 一武-肥後西村 

1989(平成元)年6月21日

 

人吉行き6Dレ くま川鉄道 相良藩願成寺駅付近

1989(平成元)年)10月1日

1989年10月1日、国鉄湯前線が第3セクターのくま川鉄道として再出発した日です。

 

くまがわ3号 1813Dレ 先頭キハ58 九州急行色

肥薩線 段-坂本 1989(平成2)年3月11日

 

くまがわ1号 1811Dレ キハ65 八代駅

1991(平成3)年3月18日

 

くまがわ号 4Dレ くま川鉄道 相良藩願成寺駅

1991(平成3)年8月14日

 

くまがわ号 アクアエクスプレス 1816Dレ

肥薩線 一勝地 - 渡

1995(平成7)年 5月

平成5年から香椎線で使われていたジョイフルトレイン「アクア・エクスプレス」での運行が始まりました。当初2両編成での運行でしたが、平成12年4月以降は1両編成。その後13年7月に廃止されました。アクアエクスプレスは以前のブログでもご紹介してますので、そちらもご覧ください。

 

くまがわ4号 1914Dレ DC-EXP シーガイア

肥薩線 一勝地 山沿いは霧に包まれる

1997(平成9)年12月21日

 

くまがわ1号 4Dレ くま川鉄道 相良藩願成寺駅

 

河川工事中の球磨川沿いを走る 肥薩線 那良口

 

雪の中のくまがわ号 くま川鉄道 相良藩願成寺駅

先頭キハ65 後方くま川鉄道KT-100接続

1989(平成10)年1月25日

 

2004年(平成16年)3月11日特急昇格(これでJR九州内の「急行」が消滅)  以後キハ185運用。

別府-人吉間は九州横断特急として運行。くまがわ号は熊本-人吉間(九州横断特急は改めて紹介できればと思います)

 

2016年3月 くまがわ号廃止。九州横断特急運転区間短縮。いさぶろう・しんぺい号1往復が熊本延伸。

 

くまがわ号は正に人吉球磨と九州北部の主要都市をつなぐ優等列車でした。西鹿児島(鹿児島中央)、都城の九州南部とを結んだ「えびの号」と合わせて鉄路でまんべんなく行き来出来た時代でした。これらをブログにまとめていると、先日のJR九州の路線赤字のニュースがどうしても頭をよぎり、繁栄していた頃を懐かしく思いつつ今後の肥薩線がとても心配になりました。

 

九州横断特急時代は熊本-人吉間で6往復あり、ある程度自由な時間で行き来できました。便利でよく利用してましたが、今のダイヤ状況なら時間に余裕がある時以外は、車での行き来をせざるを得ない状況なのは仕方ないことです。

 

話は変わって、東京は虹の橋が赤色になるなど第2波が懸念されていますが、幸いにも熊本県は蔓延していない状況で、休館していた各施設がようやく開館になりました。人吉関係でアピールしておきたいイベントは、以前ブログで紹介させて頂いた「川上哲治生誕100年記念展」が道の駅「石野公園・クラフトパーク」で6月6日に再開されました。今回は川上さんの代名詞である「赤バット」の展示もあるようで、さらにパワーアップされています。また球磨郡錦町にある海軍基地跡の展示館「ひみつ基地ミュージアム・人吉海軍航空基地資料館」も6月1日に開館しています。まだ観光列車は走っていませんが、九州新幹線は13日以降正常ダイヤに戻るようなので、コロナ感染に気を付けながら、是非人吉・球磨にお越しください。肥薩線の観光列車(普通車でももちろんokですよ)が再開したらこちらにも是非ご乗車を。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

医療関係者の方に心から感謝申し上げます。

みなさま引き続きお体ご自愛ください。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は前回に引き続き、くまがわ号の第2回目をお送りまします。

 

1810Dレ後方 博多行き 肥薩線 渡-奈良口

1988(昭和63)年5月8日

この時期の基本編成はキハ25+28+58+28ですが、以下ご覧いただく様、バラエティーに富んできます。

 

湯前行き320Dレ 湯前線 東人吉(現相良藩願成寺) 

1988(昭和63)年5月25日

写真はキハ65です。キハ28の代わりにキハ65が運用されることもありました。後方にキハ47が2両増結されています。

 

1810Dレ 博多行き 肥薩線 人吉-西人吉 基本の編成

1988(昭和63)年8月3日

 

1810Dレ 博多行き 肥薩線 西人吉-渡

1988(昭和63)年8月4日

 

320Dレ 湯前行き 湯前線 東人吉手前

1989(平成元)年4月6日

九州色キハ58+国鉄色+サウンドエクスプレスひのくにの3両編成。サウンドエクスプレスひのくには以前ご紹介してますので、そちらもご覧ください。ちなみに1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正でくまがわ号は熊本-人吉(下りは湯前)の運行となりました。運用開始当時の上り終点は門司港でした。それが博多、そして熊本と運行距離が短くなってきています。このヘッドマークが個人的には好きです。

 

320Dレ 湯前行き 人吉-東人吉(現相良藩願成寺)

1989(平成元)年 4月8日

サウンドエクスプレスひのくに+国鉄特急色+九州色+.・・・、この頃は編成も様々でした。それもそれで楽しい編成でした。

 

320Dレ  湯前線 一武(いちぶ)-肥後西村

1989(平成元)年4月11日 国鉄色+九州色 

 

 

320Dレ 湯前線 免田-木上(きのえ)

1989(平成元)年5月7日

 

今回はここまでです。ご覧いただきありがとうございました。

まだまだ収束が見えない地域もありますが、新しい生活習慣で苦難を乗り切りましょう。

みなさまお体ご自愛ください。