前記事では、私が星くんを知るきっかけを書きました↓
刷り込み[0318 川原星くん引退①]
では、その後、刷り込まれた記憶はどうだったのか。
って、全くの自分用になりそうですが(苦笑)つらつら、書いていこうと思います。
インターハイの話ついでから書くと、翌年のインターハイ2013では、SP2位、FS2位で総合2位でした。
SPは持ち越しの「Sing Sing Sing」、FSは「ラストサムライ」。
このシーズン、つまり2012-13は全日本2012(真駒内)にも出場していました。
この全日本2012は、私も現地に行ってました。
SPは見たのかな・・・開始時刻には札幌に行っていることは確実なのですが、それ以上の記録がありません。やはり、記録って大事( ̄▽ ̄;)
でも、FSの「ラストサムライ」の印象は強かったです。袖口の赤。そして、力強いStSq。
ここで初めて、画面の中の人だった星くんをこの目で見ることが出来たんですね。
アリーナ席のような近くで見たわけでなかったけど、カッコ良さと、まだ高校生だった若々しさみたいなものを感じたように思います。
残念ながら、全日本は当時、全選手放映ということはしていなくて、星くんの「ラストサムライ」は私の脳内にのみわずかに残されています。
でも、インターハイの映像は、手元に残されていました。






インターハイの番組は私には宝物です。
ちなみに、この年のインターハイに高校1年生として出た、今大学4年生の宮田大地くんや鎌田英嗣くんも、フリーは放映されていました。
この当時、JGPのCS放送がありませんでした。だから、今活躍している選手の高校生の頃の映像が見られるのは本当に貴重で、ありがたいと思っています。
(JGPのYoutube配信は2011ぐらいからあります。もっと前もあるのかしら?)
それからはJGPでの演技を動画で見つつ、でも、星くんご本人を見る機会はありませんでした。
次に私が星くんをこの目で見たのは、新潟で開催された全日本ジュニア2014になります。会場は、新潟アサヒアレックスアイスアリーナでした。
この時、星くんは大学1年生。ジュニア最後の年でした。
私は地元ということもあって、公式練習から観に行きました。朝の6時頃から会場に入っていました。今では規制がかかってこのような時刻からは見られませんね( ̄▽ ̄;)
このコンペから、メモをとるようになったのですが、星くんのFSの公式練習のメモ書きが残されていました。
”スピンでもぐらつきあり。どこか足が悪いのか、靴なのか。3Aは決まらない。”
おおよそ現地観戦でメモをとるということを知らなかった素人のメモ書きです。でも、このメモ書きを見なくても、この時の星くんの調子は悪かったことを覚えています。3Aが決まらなくて歯がゆい思いをしていました。でも、一番そう思っていたのは、星くんご本人だったと思います。SP9位で、FS12位、総合11位でした。ジュニア最後の年だけど、表彰台に上がれず、そして全日本にも行けなかったのです。
勝手ながら、星くんにとって、この新潟の大会は辛かったんじゃないかな・・・とずっと思っていました。新潟アサヒアレックスアイスアリーナに、良い思い出がない、と思っていないかな?と。
地元民としては、それはちょっと淋しいなぁ、と思っていました。(ご本人がどう思っているかは一度も聞いたことがないので、私の全くの妄想なんですけどね。)
ところがです。先日行われた浅田真央サンクスツアー新潟の会場も、同じ新潟アサヒアレックスアイスアリーナでした。星くんはキャストの一人として参加し、全日本ジュニアの会場と同じリンクに再び立ったのです。
星くん、覚えていたかな?そして、何か思うことはあったかな?
私は願いました、星くんが新潟アサヒアレックスアイスアリーナでの記憶を良いものにすげ替えて欲しいと。
サンクスツアー新潟については後ほど記事を上げようと思っていますが、私の感触としては、すげ替わったと思っています。
だって、星くん良いお顔で滑っていましたもの(^_^)

全日本ジュニア2014の会場で撮った結果です。
今更ながら気づいたのは、レフェリーは福岡の福留先生だったのですね。
そして、この時、星くんの後輩にあたる宮田大地くんは5位でした。その結果、その年の長野全日本2013に初出場しました。
今日はここまで。
そして、③へ続きます。
未鳥