「テート美術館展」

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大阪中之島美術館で開催されている「テート美術館展」に行ってきました。



テート美術館は、イギリスにあるテート・ブリテン、テート・モダン、

テート・リバプール、テート・セント・アイヴズという

4つの国立美術館の連合体「テート」のことです。


“テート”は、砂糖の精製で財を成したアーサー・ヘンリー・テイトが

寄贈したコレクションをもとに美術館ができたことに由来します。

実は以前、友人とロンドンを訪れた際に、テート・ブリテンに行きました。
目的は、ターナーの作品を見たかったからです。
次の写真は、当時写したテート・ブリテンです。

 



ついでながら、テート・ブリテンはテムズ川沿いにありますが、
そのほぼ対岸に、007で有名なMI6の本部の建物があります。

 



それはともかく、当時はターナーの絵を探すことに急いでいて、
じっくり鑑賞する時間はありませんでした。
例えば次の写真は、迫力ある画面に驚いて思わず撮った一枚ですが、
作者も確認しないままでした。

 


実は、今回の展覧会で展示されていて、ジョン・マーティンの

「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」(1822)だと分かりました。

このような有り様だったので、館内をウロウロしてもターナーの絵は見当たらず。
他の予定もあったため、結局ターナーの絵を見ずに終わってしまいました。
実はターナーは、本館から突き出た別の部屋に展示されていたのでした。(泣)

そのため、今回の展覧会は本当に楽しみでした。

また今回の展示では、ほとんどの絵画の撮影がOKでした。
しかも、次のような注意書きが入り口にありました。

 



最近訪れた別の美術館で、撮影はOKでもSNS等への投稿は一切ダメ

というところがありました。
そのことがあったので、「さすがテート美術館!」と喝采してしまいました。(笑)

ということで、今回はその写真をもとに、風景画のいくつかを紹介します。

最初の作品は、ターナーの「湖に沈む夕日」(1840頃)です。

 



解説によると、1830年代から40年代にかけて制作された後期の作品で、
「海」のシリーズを代表する作品だそうです。


ただ、このシリーズの「多くは十分な仕上げがなされていない」

と書かれていたのが気になりました。
実際、この絵を見ていて気になったのは、絵の左に塗られた白い絵の具です。
その部分を拡大したのが次の写真です。

 



太陽を表していると思うのですが、

それにしてはとても無造作な絵の具の置き方で、
この後の処理をせずに終えているような感があります。

ターナーは、展覧会場で最後の手直しをよくしたそうですが、
もしかして手直しをするのを忘れたのでしょうか。

この絵のほかに、三枚の油絵が展示されていました。



「陰と闇―大洪水の夕べ」(1843)


「光と色彩(ゲーテの理論)―大洪水の翌朝―創世記を書くモーゼ」(1843)


「陽光の中に立つ天使」(1846)

ターナーは、のちの印象派に大きな影響を及ぼしました。
実際、60代の時に描いた作品「ノラム城、日の出」に影響を受けて、
モネが作品「印象、日の出」を描いたそうです。
そして、モネのこの作品から“印象派”と呼ばれるようになったのでした。




次の作品は、カンスタブルの「ハリッジ灯台」(1820?)です。

 



解説によると、彼は自然を忠実に表現することを目指したそうです。
当時は風景画の地位が低かったのですが、

その風景画に革新をもたらした画家とみなされているそうです。


彼は、イギリスののどかな田園地帯に生まれ、家は豊かな製粉業を営んでいました。
そうした環境で育ったことで、自然の風景を描くことにこだわったのでしょう。

もう一枚は、「ハムステッド・ヒースのブランチ・ヒル・ポンド、土手に腰掛ける少年」(1825頃)です。

 




次の作品は、

ジョン・エヴァレット・ミレイの「露に濡れたハリエニシダ」(1889-90)です。

 



ミレイは、1829年にサザンプトンで生まれました。
子供のころから絵が上手で、彼の才能を信じた両親はロンドンへ引っ越しました。
実際、ロイヤル・アカデミー付属の美術学校に史上最年少の11歳で入学しています。
しかし古い教育方針に反発し、彼は二人の仲間と「ラファエル前派」を結成します。


ラファエルというのは、有名なラファエロのことで、
当時の画壇はラファエロの絵画を理想としていたのです。
そこで、彼らはむしろラファエロ以前の絵画に回帰することをモットーに、
「ラファエル前派」としたのでした。

この絵を間近で見ると、細部まで驚くほど緻密に描かれているのが分かります。

 



ところで、テート・ブリテンには、彼の有名な作品「オフィーリア」もあります。
この絵が来なかったのは残念でした。



「オフィーリア」(1852)


次の二枚の絵は、シスレーの作品です。



「ビィの古い船着き場へ至る小道」(1880)


「春の小さな草地」(1880)

解説によると、上の絵の中の黄色い帽子の女性は、彼の娘のジャンヌだそうで、
「春を体現する存在として登場する」と書かれています。

1880年にモレ=シュル=ロワン郊外に移り住んだ後、
この川沿いの道を発見し、いくつかの作品を描いたそうです。

同じ印象派の設立メンバーでありながら、モネやルノワールほど注目されず、
絵も売れなかったようですが、不思議と彼の絵には癒されます。



次は、フィリップ・ウィルソン・スティーアの

「浜辺の人々、ウォルバーズウィック」(1888-89頃)です。

 



解説によると、彼はパリで学んだイギリス人画家で、
印象派と新印象派の技法に強い影響を受けたそうです。
そしてイギリスにおける印象派の中心的存在になりました。
しかしのちには、ターナーやカンスタブルのような作風に転換していったそうです。


次は、モネの「ポール=ヴィレのセーヌ川」(1894)です。

 



これは、ジヴェルニーの自宅近くのセーヌ川を描いたものだそうです。
ところで、画面左下のサインを見ると、

下の写真のように1885の数字が描かれています。

 


解説によると、モネがこの絵にサインをしたのは完成して後のことで、
誤って制作年を記載したらしいです。

次の絵はモネの「エプト川のポプラ並木」(1891)です。

 



この絵は、エプト川沿いに並んだ木々を描いた23点の作品の1つです。
解説によると、これらの木々が伐採されることを知り、
彼はシリーズを完成させるために、自ら費用を負担して伐採を阻止したそうです。

このポプラ並木を描いた後、彼はルーアン大聖堂の33連作に取り組みます。
そしてその後、睡蓮の連作に取り掛かることになります。



次の作品は、今回のパンフレットに使われたジョン・ブレットの

「ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡」(1871)です。



とても魅力的な作品ですが、解説によると、
ブレットは12人乗りの大型ヨットで地中海などを航海したことで、
海や海岸の風景を描くようになったそうです。


さらに、天文学会のフェローにも選ばれた彼は、
詳細な記録をもとに空と海をこの絵で忠実に再現しようとしたそうです。

 


ところが、この絵がロイヤル・アカデミーに展示されたとき、
海の色の青が不自然に鮮やかにみえるとの批判があったそうです。
しかし実際にこの絵を見てみると、その批判に呆れます。(笑)




次の作品は、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーの

「ペールオレンジと緑の黄昏-バルパライソ」(1866)です。

 



解説によると、この絵は、スペインと南米の間で起きた戦争の舞台となった

チリの港町バルパライソでの風景を描いたそうです。


のんびりとした光景のように見えますが、実はスペイン軍からの砲撃の予告に、
英・米・仏の平和維持艦隊が退却していくときの様子だそうです。

ホイッスラーは、鉄道技師の息子としてアメリカで生まれました。
その後ロンドンに留学し、ロンドンとパリで活躍しました。

 


次の絵は、アルマン・ギヨマンの「モレ=シュル=ロワン」(1902)です。

 



解説によると、この絵を描いた頃は、印象派の画家・版画家として

高い評価を得ていたそうです。
また、セザンヌやピサロに大きな影響を与えたそうです。


今回この絵を見た時、女性の作品かと思いました。
建物のパステル調の色合いや舟などの一部に赤を使ったことで、

どことなく愛らしさを感じたからです。


彼はこの川べりの景色が気に入り、似たような作品を複数制作したとのことです。


次の作品は、カミーユ・ピサロの

「水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、朝、霞がかかった曇天」(1903)です。

 



解説によると、この絵は、彼が73歳で亡くなる直前に描いた絵だそうです。


描かれた場所は、彼が生まれたカリブ海のセント・トーマス島から

フランスに到着したときの場所だそうで、彼が12歳の時のことでした。
彼にとっては、思い出深い場所だったのでしょう。
彼はこの港町のホテルに三か月滞在して18点の作品を完成させたそうです。

ところで、ピサロは印象派のリーダー的存在で、

全8回の印象派展すべてに参加したのは彼だけでした。


最後に紹介するのは、ヴィルヘルム・ハマスホイの作品です。



「室内」(1899)


彼は、コペンハーゲンにある自宅を60回以上描いています。
室内を描いた画家で有名なフェルメールとはまったく異なる絵で、
人物よりも室内に重きがあります。


実際、上の絵のテーブルを見ると、

横の人物と比べてはるかに緻密な描写に驚かされます。
それがこの不思議な空気感を生み出しているのでしょうか。

 



次の作品「室内、床に映る陽光」(1906)も同じです。

 



例えば、窓の部分を見ても驚かされます。

 


大変緻密に描いているのですが、決して写真のように描いている訳ではありません。
しかしなぜか写真以上にリアリティがあります。
彼の絵は、静かに何かを訴えてくる不思議な絵です。

 




さて、今年も私の拙いブログを訪問して頂き、有り難うございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
それでは、どうか良い年をお迎え下さい。