「見えた、大坂だ!!」
瀬戸内海を航行すること丸5日、ようやく目指す陸地が見えた。
関西随一の巨大港湾区、大坂港。
天下でも指折りのその規模は濱ノ崎の比ではない。
丸く切り取られた望遠レンズの中、固い岩盤の波止場に、いくつもの船が抱かれているのがぼんやりとだが確認できた。
今日は霧が濃くてはっきりと見えないが、商船や漁船が係留されているのだろう。
甲板から大きな双眼鏡越しにそれを見る善之新の両手に力がこもった。
やっとここまでたどり着いたッ。
寄港のたび、つまり毎日催される宴会、それを縫って応対する地域の代表者との面談、何よりしんどかった千尋による夜毎の嫌がら・・・・頭領修業。
船舶の操舵から、敵の哨戒、船尾に取り付けられた対戦用火器の使用法など、寝る間もろくに与えられなかった。
疲労と睡眠不足でフラフラになりながら海に出れば、容赦のない日差しや大波が善之新を待ち受けていた。
一度は千尋と櫂斗の悪ふざけで鳴門の渦潮に放り込まれそうになり、肝を潰したりもしたのである。
善之新の目に映る大阪は、まだ肉眼で姿を捉えるには遠い。
渚をさらった宮元武蔵が待つ京は当然さらに向こうである。
そこまでの行程としてはようやく折り返したところだろうか。
だが、代わり映えのない海原の先にようやく現れた陸地の影に、善之新の心はどうしようもなく勢い込むのだった。
それにしても、なんか・・・・いらんとこばっかりすげえ鍛えられた気がする・・・・。
善之新は憮然とした面持ちで、運転席に陣取っている千尋を振り返った。
絶え間なく伝わってくる船の振動が彼の黒髪と、そこに結ばれた組紐をもてあそんでいる。
ちッ、涼しい顔しやがって。
櫂斗と並びアルマダきっての酒豪である彼は、新入りへの洗礼とばかりに、頭領修行を終えてくたくたの善之新に毎晩襲い掛かっては粕漬けにでもする勢いで酒を浴びせ倒したのだ。
幸いなことに善之新も生来酒にはかなり強い体質らしく、初日こそ二日酔いに悩まされたものの、昨日今日などは朝からスッキリ爽快で海に出られているのが救いではある。
「おい千尋サン、全速前進ッ!もっとスピード出せよッ」
とはいえただでさえ恨みが募っている上に、気がはやっている彼がそう言いたくなるのももっともで、先ほどからアルマダはハヤブサを先頭に10隻あまりの隊列を組んでのんびりと海上を進んでいる。
自分を睨み、風と波に煽られて藍色の髪を乱した若い頭領を見て、単座式高速船の操縦席に腰を据えた千尋は顔色ひとつ変えずに言い返した。
「オレの操舵に文句があんならこの船に乗るな」
「何でッ?ちょっとくらいスピード上げてくれてもいーじゃん」
操縦士としての矜持だろうか、千尋は操縦席に座っている時にあれこれ指図されるのを極端に嫌う。
いや、操縦席を離れても人の言いなりに動くことを嫌がるから、もともとそういう性格なのだろう。
扱いづらい部下をことさら睨みつけた善之新に、灰褐色の短髪を時折吹く横風に吹き散らされながら櫂斗が声をかけた。
「この辺りはさ、イルカが子育てしてんだよ」
「イルカ?瀬戸内に本物がいるのか?」
「見たことねえの?」
善之新はふるふると首を横に振った。
イルカだけでなく、鯨もアザラシも、海獣の類は図鑑でしか見たことがない。
一度だけ、鯨岩から見晴らした沖合いに本物の鯨が潮を吹くのを見たことがあるが、鯨そのものは水面の下に隠れていて見ることができなかった。
あれは確か伊織がインフルエンザで3日ほど寝込んだ時で、珍しく渚と2人きりだった。
高く吹き上げた潮に日差しがきらめいて虹になり、善之新もあまりの美しさに息を呑んだが、隣に立っていた渚は感極まって泣き出したほどだ。
昔から感情表現がストレートで、その分わがままで、それなのにどうしても放っておけない少女だった。
きっと、最初からお互いが初恋だったのに。
何でずっと応えてやれなかったんだろう。9年だぞ、9年ッ。我ながらどんだけ鈍感なんだ、オレの心はオートメイルかッ!
こんな風に届かない思いをそんなにも長い間味わわせてきたのだと思うと、自分の不甲斐なさにため息が出た。
続きが書けないから場面転換したわけじゃありますん。(どっちだw)←
先回までの「誘惑・1~3」について、内容がちっとも誘惑じゃないので、改題しました(汗)申し訳ありません・・・・orz