あなたはなぜ長生きしたいのですか?このくだらない世の中で長生きする意義は何なのか? | 今日が明日へ、明日が未来へ。

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今を感じて生きれば今日につながり、今日の結果が明日を生む、未来はその積み重ねでしか創れない。
未来は過去を積み上げた成果であり、その日を大切に生きた者しか幸福な未来を創れない。
だからこそ、過去や未来を考えず、今その瞬間を生きなければならない。

世の中には、

長生きを「美徳」とする考え方がある。

 

しかし、

自分自身においては、長生きすることに対する貪欲さは一切ない。

これは、子供の頃から一切変わっていない。

 

ある意味、

今後、つまらない人生を送ることがないように、

わざと何かに興味を向けて気を逸らせながら、

残りの人生をダラダラと意味のない毎日を過ごしている。

 

 

 


 

果たして、こんなバカげた世の中で、

ムダに長生きする意味や意義があるのか?

 

特に最近、世の中がバカバカしく感じてならない。

 

 


 





例えば、

 

「あなたの余命は残り1年です。」
そう言われたら、あなたならどう感じるだろうか?



自分なら、

「あと1年だけ生きさえすればいいのか!」
そんな晴れ晴れした気持ちになると同時に、

一切の契約ごとなどを精算し、身辺整理をするだろう。

 

こんなくだらない世の中からおさらばできると思えば
本当に清々する、と心からそう感じている。

 

 

 



人は、なぜ少しでも長生きをしたいと感じるのだろうか?

こんな世の中、長く生きる価値があるのだろうか?

 

そして、

人生を決めるのは誰なのだろうか?

いったい、人は誰の人生を歩んでいるのだろうか?

 

長く人生を楽しみたい、子や孫の成長を見たい、
家族のため、愛する人やモノのためなのか?

 

 

 

人はそれぞれ個々に価値観や人生観が存在し、

その価値観は、人に押し付けるべきものではなく、

各人の価値観をそれぞれが尊重しながら、

自らの価値観で生きていくことが大切である。

 

 

 

 

 



生きていれば、良いことがあるよ!

 

 

よく耳にするフレーズではあるが、

それは「あなた」にとって、であり、

「私に」とって、ではない。

 

あくまで、

良いことかどうかの判断基準は自らの中にあり、

他人が決めることではない。

 

決して他人の心の中までは伺い識れず、

「あなたの気持ちはわかる」など詭弁でしかなく

慰めにすらならない。


 


人はこの世に生きている以上、いづれは死を迎える。
死は決して特別なことではなく、当然のことであり
いづれ来るその時まで、生きることこそ重要である。


それをどう生きるのか?

それは人それぞれだ。







子供の頃から繰り返し聞かされてきたことがある。


親よりも先に逝くことは、最大の親不孝であり、
自ら命を断つことは、他のどんなことよりも親不孝である。


そう教えられ生きてきたし、自らもそう感じる。

だから、

最低限、両親よりも長く生きなければならない、

そう思いながら、それだけを考えて生きながらえている。




この世を生きていれば、さまざまなことが起こる。
良いこともあれば悪いこともあるが、
その多くを占めるのは、良くない出来事であり、
それが人生であるとも言える。



そう感じるのは、多分、

実際には人生の中で良い出来事も多いはずだが、

良い出来事は普通に感じられ、記憶には残りにくいが、

悪い出来事は心に傷ができ、記憶に残りやすい。

 

ただそれだけのことなのだろう。

 

 

 

 

そして、
生きていれば、親不孝につながる事象も必ず起こる。


しかし、どれだけつまらない人生を歩んでも、
生きているだけで最低限の親孝行につながる。

だから、最低でも親より先に逝くべきではない。

そう言えるのではないだろうか?

 

 

 

 

これからの人生など誰も予測できないが、

生きている間、生きられるだけ生きる。

 

誰のためでもなく、自分を生きる。