提出する書類の朱書き文字が汚い人間は確実に信用を失う | 今日が明日へ、明日が未来へ。

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今を感じて生きれば今日につながり、今日の結果が明日を生む、未来はその積み重ねでしか創れない。
未来は過去を積み上げた成果であり、その日を大切に生きた者しか幸福な未来を創れない。
だからこそ、過去や未来を考えず、今その瞬間を生きなければならない。

仕事の上で、

二度手間を感じることは多々ある。

 

 

中でも、

汚い文字ゆえ後々確認の連絡が必要なときは、

少々腹立たしさを感じることさえある。


そもそも自分用のメモではなく

相手に渡す書類にも関わらず、

ミミズが這ったような見苦しい文字を書く
その神経がわからない。
 
内容を確かめるために連絡すると、
本人すら読めないこともあり、
呆れる時がある。
 
 
 
最近では、
あまりにもひどい文字の場合、
はなから確認せずに作業を進め、
先方から間違いを指摘された段階で
 
「文字が汚くて読めませんでした!」
 
そぅハッキリと電話口で言ってやることもある。
 
 
でも、
そぅ言っても、次から気を付ける人間は少ない。
 
それは、
もともとそれが自分の文字であり、
特に悪気も感じていなければ、
何とも思わずに直そうともしない。
 
非常にタチが悪い。
 
 
 
 
考えてみれば、
「字が汚い」という事実を、
他人から指摘されることは少ないのかもしれない。
 
親兄弟や親類、仲の良い友人など
親しい間柄ならまだしも、
関係性の薄い他人であれば、言いづらいだろう。
 
本来は、自分で気づいて直すものである。
 
 
要は、相手の立場で考えることに欠け、
あまり注意深い人間ではないのかも知れない。
 
 
 
 
 
 
 
(もっと丁寧に書かないと、読めないばかりかまったく相手には伝わらない)
 
個性的な文字の人や、
どうしても下手くそにしか書けない人はいる。
 
しかし、
たとえ下手でも相手のことを考えて
「丁寧に」書くことはできるはずだ。
 
おそらく、
あまりにも字が下手な人というのは、
しっかりとモノを観察することや
モノを真似ることをしていない、
あるいは出来ない人なのだと思う。
 
文字なんて、
見本を真似て書けば書くほど上手くなるし、
バランス感覚があれば、上手くも見せられる。
 
 
 
 
 
 
他人が読めないような字を書いたり
乱雑で書きなぐるような筆跡の人間は、
正直、損をしていると思う。
 
特に、ビジネスシーンにおいては、
未だ十分な信頼関係を築けていない間柄なら、
不信感や多少の違和感を感じさせてしまう。
 
なぜなら、
まず何より第一に、相手の立場に立てていない、
極めて配慮に欠けていると感じるからだ。
 
 
「この文字を見て相手は読めるだろうか?」
少しでもその思いやりがあるならば、
慎重に書くことだってできるはずだ。
 
 
 
また、
メールやSNSの誤字・脱字が多い人にも
同じようなことが言えるのだが、
 
しっかりと何度も見直し、精度を高めれば、
誤解や失敗を事前に防ぐこともでき、
結果的に、無駄な違和感などを持たれることなく、
信用や信頼感を保つことにもつながる。
 
 
 
 
また、
このような汚い文字列を見ていると、
少し見下されているようにも思え、
バカにされているようにも感じる。
 
文字は、書いた人の「人間性」までも、
文字を通して透けて見えてくるものだ。
 
 
 
 
 
たかが文字、されど文字。
 
誰もが書道やペン字を習い、
美しい文字を書けるようになる必要はない。
 
下手なら下手なりに、
わかりやすく丁寧に書けば良いだけの話だ。
 
 
 
仕事でも日常生活でも、
ひとたび手を抜けば物事を「損なう」。
 
ちょっとした気の緩みや怠惰により、
他人からの信用を「損ねる」。
 
何事も立場を考えて、
慎重に丁寧に実行することが望ましい。