始めに以下の説明にあたって言っておきたいことは、
私が思う幸せとは「生きていることを毎日感謝ができ、生きることが奇跡だと思えている心の状態」を、
私が感じる究極の幸せ感と思っています。
幸せの価値観はそれぞれにあっていいのだけど、
私自身はそれが究極であり根源であると勝手に思っています。
それを踏まえて以下の内容に触れて頂ければ嬉しく思います。
徳を積むことの「徳」とは人に尽くすことで積めるものではなく、
自然を守り命を大切に生きることで徳は積めるものと感じています。
なぜなら、人のためになるなら全ての仕事は人のためにあるものであって、
それで徳が積めるのであるなら、全てが平等な幸せが訪れるはずではないだろうか。
しかし現実はそうではありません。
貧しい国や戦争が絶えない国、差別が多い国など、生まれながらに不幸に思える環境化に生まれた人がいます。
それでも生きていることが感謝ができて、奇跡を感じている人はいくらでもいるし、
むしろそういった環境で育っている人の方が、生きる奇跡を感じている比率は高いのではないでしょうか。
そう思えて生きれている人は、周りからどんなに不幸と思われても、私は幸せであると信じたい。
近代的な現在の日本より、貧富の差もあり、窮屈だった江戸時代の方が、きっと今より幸せに生きていたに違いない。
私は食事をセロリ食に統一してから、徳を積めて来たことを実感し始めた気がします。
これは自然を守り命を大切にするという徳を積む条件に合致すると感じます。
私は栄養不要論を考え始めて肉も魚も食べず(外食など人付き合いで食べることはあります)、一日の食事をセロリに統一してから、
健康や幸せが舞い込みやすくなったように感じるのは、徳を積む生き方をしてきているからと勝手に思っています。
整体の仕事も基本的には手技のみで行いますので、自然(自然破壊など)に優しい仕事だと思っています。
毎日の生活に少しずつでも徳を積める生活や生き方が出来れば、
気がつけば生きることが奇跡と感じれるようになる。
その事はいずれ健康に繋がると思っています。
健康になることが先なのか徳を積むことが先なのかはわからないけれど、
その両方は繋がっているということなのかもしれません。
健康になるためには自然にいい生活をすることで、自然にいいためには、人のために尽くす行為ではないことの方が多いのかも知れません。
人のためになる仕事の多くは、自然を破壊し、命をむやみに奪ってしまうことの方が多い気がします。
そう考えれば、徳を積める生活や仕事を送れている人は、意外に多くないのかもしれないと感じています。
最後に一言。
おもいっきり寝癖がついた多感な時期であるはずの中学生の男の子を見かけた。
それを見て僕はカッコいいと思えた。
喫茶店では、二人の主婦らしき中年女性が、早口でずっとしゃべっている姿を見て、素敵だなって感じてしまう僕は、
おそらく幸せなのだろう。
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