例えば、お部屋に飾った植物の水やりが努力と思うのであれば、その植物は育てない方がいい。
好きだから植物をお部屋に置いているのであれば、お水をやることは努力にはならず、楽しみとなるだろう。
その人のためにとか、何かのためにやろうとするから、それが努力となって、やがて苦痛になって行くのだと思う。
雨を降らせるのは、別に人間のためでも植物のためでもなく、
ただ雨を降らせたい気分になったから降らせている訳で、
人に喜ばれたいからとか褒められたいからというエゴではないから、
いつでもどんな時でも雨を降らせられるのではないだろうか。
努力に無駄があるのかと聞かれたら、確かにあると答える。
無駄かそうではないかを決めるのは勝手だが、
自然原理からすれば、努力には無駄が多いのかも知れない。
幸せか幸せでないかを決めるのも勝手だが、
幸せは人と比べたりして思考で理解するものではなく、
気がついたら幸せという温もりに包まれているものであって、
思考で理解するものではないと思っている。
だとするなら、幸せに包まれているような温もりを感じながら過ごしている人は、
努力とは無駄だと思っているに違いない。
なぜなら、そういう人ほど努力と思わない努力をしているからだろう。
人から見れば努力をしていると思われるけれど、自身は努力とは思っていないのだ。
やりたいかやりたくないかを感覚で決められる比率が、行動の大半を占めているからこそ、
そのような境地に立つことができるのではないだろう。
思考による選択の判断が大半を占めている人は、努力には無駄がないと言うだろう。
ただ、そういう人ほど、幸せを思考で理解する人が多く、
身震いするような幸せを感じながら生きれている人は少ないだろう。
無理のある思考による幸せ感に頼ってしまえば、思い込みの人生になってしまう。
それが当たり前になってしまえば、
もう身震いするような温もりに包まれるような幸せには辿り着けなくなってしまうだろう。
最後に一言。
相手に注意をしたり指摘をする場合に、相手を思いやって言った言葉には角がたつのに対して、
思ったその瞬間に言葉に発する指摘には、角がたたずに相手の心にスッと入りやすいということがある。
相手を思って言った一言や言うタイミングを計算した言葉などの思いやり風な言い回しには、
かえって相手を逆なでることになりやすく無駄な努力となるだろう。
なぜなら、そういった言葉には念がこもりやすい言葉となるから。
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