先日、人生で初めてのコナン映画デビューをした。
1人で。
実は私、コナン自体好きでも嫌いでもなく、テレビつけてやってたら観る程度だったのだ。
観たら面白いんやけどハマるほどではなくて。
それがなんと、今作の劇場版コナン、タイトルが「100万ドルの五稜星」。
五稜星。
五稜星。
そう、五稜郭。
私にとっては五稜郭と言えばあの方なんですぐにピンと来ましたよ。
さては、出るな?と。
あのお方にまつわる話なのだな?と。
で、コナンファンの娘に聞いたら案の定、「土方さん出るで」と。
彼が出るなら観るしかない、観る以外の選択肢はない。
というわけで観に行ってきたわけだが、その前に私は“アニメ好き”として「よくわからないまま見るのは好きじゃない」のである。
連載漫画なんて特に全部まとめてひとつの作品なわけだから、本来なら全話観てから挑むものだ。
ただ、コナンに関してはさすがに長すぎる。
劇場版含めたら公開終了までに間に合うかわからない。
なので「これだけはおさえとけ」って回をいくつか教えてもらい、2日で全部観た。まじっく快斗も。
これらを含めた上で、100万ドルの五稜星について感想を言わせてもらが、
土方さん、沖田さん、
よかったね(´;ω;`)
である。
物語終盤、沖田総司(本物ではなくキャラ)と鬼丸猛が一緒に敵(?)を倒したあと、「沖田!」という津田ボイスと共に一瞬新撰組時代の記憶がフラッシュバックするのだが、それと同時に私の脳内でもフラッシュバックが起きた。
「よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東の君をまもらむ」
これは土方さんの辞世の句と言われているものだが、真実はどうあれ私の中では、「東の君」は共に蝦夷に行けなかった近藤勇や沖田総司のことだと解釈している。
たとえ私の身が蝦夷の地で朽ち果てようとも、魂は東にいる君を守るだろう。
これが何を指しているのか、長年様々な恋愛ゲームで土方歳三と共に過ごしてきた私にはわかるのだ。
彼の人格、思想、信念・・・彼がどれほど武士であり続けようとしたのか、彼がどれほど新撰組のために手を汚してきたのか。
そして血を流してきたのか。
私にはわかるのだ。
死に場所を探し続けているうちに蝦夷に辿り着いたのかもしれない。
何故ならそこにはもう、共に誠の旗の元戦い続けた近藤さんも沖田さんもいないからだ。
新撰組もほとんど残っていない。
戦力差も広がるばかりで、いつ朽ち果てるかもわからない。
それでも立ち止まることなく進み続けたのは、新撰組副長として仲間の意志を背負っているからである。
局長近藤勇に忠義を尽くすからである。
そして蝦夷にて新政府軍を迎え撃つ時、彼が想うのは遠い離れた地で眠る仲間のこと。
たとえ私の身が蝦夷の地で朽ち果てようとも、魂は東にいる君を守るだろう。
土方歳三という男の魂は今も昔も変わらず、新撰組を守るためにあるのだ。
(実際、新撰組隊士である島田魁らを救出する為出陣した際に銃弾を受けて戦士した。)
徳川や天皇を守るためではない。
私にはわかる。
土方さんはそういう人なのだ。
だからこそ、沖田総司のフラッシュバックには大きな意味がある。
函館で鬼丸と共闘する沖田。
あの描写を見る限り、鬼丸の前世は土方さんである。(作者はそんなこと言ってない)
つまり、志半ばで病に倒れてしまった沖田にとっては、当時叶わなかった夢の果てを土方さんと共に見ることが出来たというわけだ。
そしてそれは土方さんにとっても同じ。
胸アツ。
涙が止まらなかった。
「よかったね沖田さん・・・」
もうそれしかなかった。
ていう感想を誰も共感してくれない。
みんな衝撃のラストに興奮している。
確かにコナン初心者の私も、予習した甲斐あってラストは「はあああっ(息吸う音)」ってなった。
ラストの数分で興行収入更新するんちゃうかってくらい。
でも私としては、開始すぐの土方さんの剣さばきから、五稜郭の風景、銅像、豊玉発句集、沖田総司・・・と、常に興奮している状態で衝撃のラスト迎えたもんだから、サブマリン余裕で超えるやろって感覚である。
そしてこれを機に、他のコナン映画も色々観てるのだが、100万ドルの五稜星を超えない。
多分だが、最初に観るには1番やってはいけない楽しみ方をしてしまったんだろう。
怪盗キッドが好きで、まじっく快斗も観て、から紅も観て、平次の違和感(ベジータの関西弁)に慣れた頃に愛する土方歳三最後の地となった函館が舞台の100万ドルの五稜星を観たんだから。
恐らく最上級の楽しみ方をしてしまったのだろう。
この興奮と感動に共感してくれる人を探して4日経ちますが、まだ見つかりません。
ちなみに「土方歳三」と「月」のくだり、私お嬢様より先に俳句ってわかったからね。
コナンの電話番号知ってたらかけてた。