呪術廻戦の夏油傑にどハマりしてしまう理由 | 北斗の拳好きすぎるブログ

北斗の拳好きすぎるブログ

北斗の拳を心から敬愛するブログ。

たまに他のアニメも語っちゃいます。



北斗の拳40周年を迎え、書きたいことが山ほどある今、私は夏油傑にどハマりしている。

最近で言うところのである。
(最近かどうか知らんけど。)

これほど沼ったのは久々だ。


どれくらい沼ってるかというと、




これくらい沼ってる。



今日は呪術廻戦放送日で、肉体は魂であり魂は肉体なんだよの回だった。


どういうことかと言うと、悟の言葉に傑の魂が反応するという、胸が熱くて苦しくてたまらなくなるシーンがある回だ。


久々の傑の登場に興奮しました。



で、私は別に、この日のために呪術廻戦Tシャツを着ていたわけでもないし、呪術廻戦カフェラテを買ったわけでもない。


たまたま着てたまたま買った今日が放送日だったってだけなのだが、まさに肉体は魂であり魂は肉体なんだよって感じで、つまり肉体は魂であり魂は肉体なのだ。


まぁよく考えたら夏油傑の言葉じゃないからどうでもいいのだが、傑愛を語る前にこれだけ言わせて欲しい。






夏油様返せよお前。



誰やねん。傑の額縫うな。


美しいおでこに何してくれてんねん。






※ここから盛大にネタバレありなので嫌な人は読まないでください





私が夏油傑を好きになったきっかけは、櫻井孝宏さんだった。


ガンダム鉄血オルフェンズのマクギリス以来、どうもあの声の質、抑揚、響き具合が私の心を捉えて離さないもんで、当然冨岡義勇や斉藤終が好きな理由も櫻井さんだ。


ただ、呪術廻戦に関してはシーズン1の時点ではそこまでハマらなくて、「強いて言うなら夏油が好きかな」、レベルだった。



それもそのはず。



シーズン1の夏油傑は夏油傑じゃないのだから。



本人じゃないから。


偽物だから。



いくら櫻井さんの声が好きでも、私の感覚で、櫻井さんの声に宿る誠実さ、真面目さ、闇の深さや虚無感とキャラが一致しないことには、そこまでハマらないということがわかった。




そしてその後公開された呪術廻戦0、アニメの懐玉・玉折。



誠実さ、真面目さ、闇の深さ、虚無感。



本物の夏油傑は、私の理想とする櫻井孝宏が演じるキャラそのものだったのだ。




 夏油傑の闇堕ち




人ってそんなに、強く正しく、美しいものではない。

そう在りたい、そう在るべきだとわかっていながらも、弱く、脆く、過ちを犯すこともある。


「正しい選択」をし、「進むべき道」を歩いてきたところで、正義でいるための努力が必ずしも報われるわけではない。


むしろ打ち砕かれることの方が多かったりする。



そうなった時、極端な思考に陥ってしまうこと(所謂「闇堕ち」というやつ)があるのだが、果たしてそれって悪なのだろうか??


「そんなことは間違ってる」なんて正論が響くならまず「そんなこと」にはならない。



張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったのだから、誰かの言うありきたりな言葉で思考が元に戻るわけなどないのだ。



夏油傑の苦悩は夏油傑にしかわからなくて、


「子どもじゃないんだ。誰でもかれでも理解して欲しいとは思わないさ。」


という言葉に滲み出ているし、


「どうせ誰も理解してくれないって腐るのも、それなりに子どもだと思うけど。」


と言われた所でもはやそんなことはどうでも良くて、元々辿っていた道に戻ることは無い。




何が言いたいかって、



私にはわかるよ、傑。



という事である。




シャワーを浴びながら一点を見つめ、「猿め。」と吐く気持ちも、「私に従え、猿共。」という気持ちも私にはわかるよ。



そしてそれが「大義」というのも。




自分の信念が覆されるような出来事が重なったことで、自分の見ている世界に疑問を抱き、理想を求めた結果そうなっただけのこと。


だからこそ傑は術師だけの世界を作ることを「大義」としながらも、悟が自分を殺すことに「意味がある」としていたのだ。



傑推しとしては他に何か救いはなかったのかと悔やむ部分もあるし、復活ルートもないことはないという僅かな期待も抱くが、「最悪の呪詛師」となり、たった1人の親友である五条悟に殺された夏油傑が私はたまらなく愛おしい。






っていうどうでもいいお話でした。