なんとなく、ケンシロウに賞をあげたくて思いつきで書いてます。
(最終話読んで感傷に浸ってる。)
北斗の拳って、主人公のケンシロウに負けず劣らずなキャラが多く、特にラオウ、レイ、トキ、ジャギ、ジュウザ、サウザー、ファルコ(“特に”の人ですらこんなにいる)辺りの人気は凄まじい。
好きなキャラランキングでも、るろうに剣心のケンさんは圧倒的1位なのに、北斗の拳のケンさんは大体2位以下。
(ケンさん繋がりで緋村剣心出しただけで特に意味は無い)
主人公が1位じゃないランキングなんてザラにあるが、それにしてもちょっと…なんていうか、周りにも「北斗の拳で一番好きなキャラはケンシロウです」という人がいなさすぎるのだ。
ジュウザがかっこいいだのサウザーが最強だの散々言ってる私が言うのもなんですけどね。
まぁ、だからこそ別にケンシロウが人気がないわけじゃないこともわかってる。
なんだかんだで私もめちゃくちゃケンシロウ好きなんで。
ケンシロウじゃなかったらここまでハマってないということは断言出来るほどだ。
ただ、ケンシロウの頑張りをもっとわかりやすく評価したいだけなのだ。
というわけで、ケンシロウにどうしても賞をあげたい私は考えました。
で。
寝ずにこんな時間まで起きて考えた結果思いついたのが
『生きてるで賞』
ふざけてない。
ケンシロウは、ずっと生かされ続けてきた。
何か身に危険が及ぶたびに、誰かしらが手を差し伸べ、誰かしらが体を張り、誰かしらが犠牲となってケンシロウを生かしてきた。
勿論、「主人公だから死なない」っていうことくらい私もわかってるが、それにしてもケンシロウは生かされている。
それに、今回言いたいのはケンシロウが助けられてきたことではなくて、「みんな!ケン、生きてるよ!がんばってるよ!」ということだ。
自分のために誰かが犠牲になるなんて、普通なら1回で病む。
親ならわかるけど、他人が、それも大切な人が、しかも自分ももう大人なのに、命懸けで助けられるわけだ。
耐えられない。
しかしケンシロウはずっとそれに耐えてきた。
それを自分のせいだと自分を責めることもなく、犠牲となった者の想いをちゃんと尊重している。
それが、『生きてる』である。
犠牲となった側からすれば、その人に生きて欲しくて犠牲となってるわけだから、「自分のせいだ」なんて思って欲しくはないわけだ。
だからケンシロウは悲しみを背負い、生きていく。
この強さを称賛したいんです。
生きる力で言えばケンシロウは最強だと。
だって、生きるって大変なんだよ。
世の中にはもう生きたくないと思うほど苦しんでる人が沢山いる。
私自身はそういう気持ちになったことが一度もなくて、若い頃は「死ぬ勇気があれば生きていけるのに」なんて思っていたが、ある程度歳を重ねて思う。
生きる勇気を持ち続けないと生きられない人もいるんだと。
だから、生きてるって素晴らしいけど、生きるって辛いし、苦しい。
これは悲観してるわけじゃなくて、事実として。
それを、強敵たちの想いや愛を背負い、哀しみを背負い、ユリアとの思い出と共に1人生きてるわけですからね、ケンシロウは。
黒王までいなくなって。
そんなケンシロウを見守り続けてきた私としては、
「みんな!ケン、みんなに生かされた命大切にしてるよ!今もどこかで闘って生きてるよ!」と言いたい。
(出来ればそんなケンシロウの姿を見た強敵たちの表情も見たい。トキめっちゃ優しい顔で微笑んでそう。)
そして、この先も『北斗の拳』はずっとケンシロウが生き続ける世界のままであって欲しいという意味も込めて、『生きてるで賞』を贈りたいのだ。
やっぱり、主人公のいない未来が描かれてしまうのは私は嫌だな。
悲しい。
そういうのは現実だけでいい。
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