登場人物紹介 南斗白鷺拳 シュウ | 北斗の拳好きすぎるブログ

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南斗六聖拳・シュウ








 流派 南斗白鷺拳

 宿星 仁星




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南斗十人組手に挑む、当時少年だったケンシロウに果てしない可能性を感じたシュウは、自ら十人目の相手となり敗北を教えた。”敗者は死”という掟であったが、自身の両目を潰し犠牲となることで、ケンシロウの命を救う。



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数年後、サウザー率いる聖帝軍に対してレジスタンスのリーダーとして戦っていた所、成長したケンシロウと再会。命懸けで拳を交え、サウザーを倒せる男であることを確信する。しかし、ケンシロウはサウザーに惨敗し、捕らわれの身に。息子のシバが救出するが、追っ手を巻き込み自爆。我が息子の勇敢な死に、悲しみながらもその勇気を褒め称えた。

聖帝軍にアジトを嗅ぎつけられ、重症のケンシロウを避難させる為にサウザーに挑み、回復を待つ。しかし、100人という人質をとられ何も出来ず、両脚の髄を切断され敗北。聖帝十字陵の巨大な聖碑を頂上まで運ぶことになる。



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この聖碑の重さを「100人の命と、南斗六聖拳の崩壊を防げなかった自身の痛み」として、頂上まで運んだシュウ。しかし、ケンシロウが駆けつけるも両足を拘束されてしまう。
そして、全身を矢で射抜かれ、サウザーの放った槍でとどめを刺された。だがその瞬間、奇跡的に視力が回復。成長したケンシロウの姿に、シバの面影を重ね、悔いはないと凄絶な死を遂げた。



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ケンシロウとサウザーの決着後は、聖碑の下敷きとなったシュウの血が、まるで泣いているように流れた。




シュウの使う南斗白鷺拳とは、レイやユダの拳とは対象的に脚技をメインとする拳である。南斗聖拳においては異色である為、余程脚技に長けているのかというと、ケンシロウの”水影心(伝衝烈波)”に追い詰められた所を見るとそうでもなさそうだ。


脚技である理由


南斗白鷺拳自体が本来、脚技主体の拳であるのかは不明だが、シュウがそうしている以上それには理由があるはずだ。何故なら、南斗聖拳は手技の方がより効果的だからである。他の六聖拳を見てもわかるように、外部からの破壊を真髄とする為、的確さを考えると手技の方が一撃必殺に有効なのだ。それをあえて脚技メインとするのは何故だろうか。

まず最初に考えられるのが、シュウが盲目であるということ。相手が見えない状態での戦いでは、より、自身の間合いを保つことやその間合いに誘い込むことが必要とされる。しかし、誘い込んだ所で目が見えなければ的確に仕留める確率も低く、かわされれば次の相手の攻撃を受けることになる。リーチの長い脚の方が、その間合いを保つにあたって防御の意味でも適しているのだ。また、手よりも高威力の攻撃によって大ダメージを与えることも可能。盲目がゆえ長期戦となると不利なのである。
脚技で間合いを保ちつつ相手の攻撃を読み、誘い込んだ所で一撃必殺の拳を繰り出すというのが、盲目がゆえの戦法なのではないだろうか。

そして、次に考えられるのが不意打ちである。これは、ケンシロウとの闘いが全てであると考えた場合。シュウは最初に、”誘幻掌”で手技を繰り出し、自身の間合いに引き込んだ所で脚技に切り替えた。手技と見せかけ脚技に切り替えるという、敵の意表を突く戦法である。実際これによってケンシロウは負傷し、その後、シュウの脚技を使用したケンシロウもサウザーを負傷させている。まさかここで脚が?と思った瞬間に躱されさえしなければ、致命傷を与えることも可能なのだ。


ただ、いずれにせよ脚技の場合隙が多いのが難点。シンのように両方をバランスよく使用するのであれば別だが、メインとする分見極められた瞬間、その隙が致命的弱点となってしまう。これらを踏まえてもやはり盲目というハンデは大きいのだ。

事実、ケンシロウが水影心で使用した伝衝烈波に太刀打ち出来なかったのは、目が見えないからである。伝衝烈波自体が強力な技とも考えられるが、レイが手こずったのは足の動きを封じられていたからだし、いくら北斗神拳伝承者でも本家より極められる事はないと思う。
間合いを保とうが、意表を突こうが、また、気配を消せようが心眼が養われようが、やはり盲目の時点で不利なことに変わりはない。




「この道場で奴と互角に闘えるのはオレ一人」


これは、アニメ版でシュウが名乗り出た際にサウザーがラオウに言った言葉だ。
よく考えて欲しい。アニメ版のみとはいえ、サウザーはサウザー。「敵は全て下郎」がモットーであるサウザーがこのような発言をするのは物凄いことである。「倒せる」ではなく、「互角に闘える」ということは、南斗最強であるサウザーも認める強者であるということだ。盲目でなければ、サウザーにも負けず劣らずの実力があったということ。しかし、彼は仁星。それ程の力があっても、躊躇うことなく犠牲となれる宿星を持っている。己を犠牲にしてでも、果てしない可能性を秘めたケンシロウに賭けることの方が、シュウにとっては意味のある選択だったのだ。