追悼・柳家小三治 | 道楽者は行く!

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ラグビーやサッカーをしたり見たり、落語聴いたり、酒飲んだり、山を歩いたり、歌を歌ってみたり、そして時折旅に出る。
そんなわたしの道楽のモロモロ・・・

何年か前のNHKプロフェッショナル仕事の流儀で小三治師が取り上げられたことがありました。

その番組の中で、断片的に取り上げられていたのが廓話である『付き馬』でした。

 

「やっこ、中までこいつの馬に行け!」

 

そのサゲの啖呵の美しいこと。

 

私が、寄席で聴いた落語の中で、最も鮮やかで印象に残っているのが、新宿末広亭で聴いた小三治師の『付き馬』でした。

終演後、同行のMと立ち飲み屋で、その日の落語について語らっていて、

「あの早桶の質感はなんなんだろう?」

と私が言うと、

「おそらく私も同じものが見えていました」

と。

翌朝、ある方のブログに、その日の小三治の付き馬のことが書いてあり、そこには、

「私にははっきりと、その図抜け大一番小判型が見えたんでございます」

と書いてあったのを見て、戦慄を覚えたことがありました。

 

客席の少ない池袋演芸場。

夏の小三治師が主任のときにはいつも大入りでした。

私は、立錐の余地もないほどの立見席の片隅にいて、4時間余りの苦行の果てに小三治師の『ちはやふる』のサゲ、

「とはは千早の本名です」

を聞いた時には涙が出そうでした。

 

立ち見と言えば、新宿末広亭で後方に立っていると、隣には女優の小林聡美さんがマネージャーさんのような方と立っていて、それを見て驚いたことがありました。

なんの噺だったか覚えていないのですが、噺をサゲた瞬間に彼女を見ると、その口が

「すごい・・・」

と動いていたことを見て、それに感動しました。

 

有名人と言えば、小三治師の落語を聴きに行くと、何度もジブリの鈴木プロデューサーを見かけました。

彼も師の世界観を観るいや聴くことは、あの壮大なアニメ作品を創るうえでなにがしかの影響を受けていたのかもしれません。

 

年末だったか正月だったか、末広亭に行き、小三治師を聴こうと意気込んでいたら語り始めたのが前座話の『時そば』

 

なんだあ・・・時そばかあ・・・

とがっかりしながら聴き始めたのに、たったの一文を掠め取ろうとして自らの術中にはまっていく間抜けさが可笑しくて可笑しくて。

肩の震えが収まらないほど笑ったことがありました。

 

先述のNHKの番組の中で、手のひらに山のように積んだ大量の薬を服用しているシーンが映り、

「小三治さん、もうすぐ聴けなくなっちゃうかもなあ」

と心配しつつ相模大野まで独演会を聴きにいったところ、

 

その心を見透かしたように、

「あのテレビを観て、早く聴きに行かなくちゃって思っているひとが沢山いるんでしょ?

俺は、まだまだ死なねえよ!」

と啖呵を切って、万雷の拍手を受けていたのは、もう10年前くらいのことだったかなあ・・・

 

名人・柳家小三治が逝ってしまいました。

志ん朝、談志そして小三治が亡くなったことでひとつの時代が終わったという人がいます。

そうかもしれません。

 

小三治師の良さを教えてくれたMと寄席に行くたびに、いつも『野ざらし』ばかりにあたってしまい、

「また野ざらしかよお・・・」

なんて罰当たりなことを言っていた時期がありました。

 

師匠、ごめんなさい。

また師匠の野ざらしが聴きたいです。

 

合掌