![]() | リーダーのための中国古典 (日経ビジネス人文庫) 5,332円 Amazon |
2010年1月12日第3刷
「人を知る者は智なり。自ら知る者は明なり(老子)」「利を見ては義を思う(論語)」「三利あれば、必ず三患あり(韓詩外伝)」―。未曾有の危機を生き抜くリーダーたちに贈る、これだけは知っておきたい中国古典の名言名語を収録
第1章 先見力を磨く
第2章 戦略を立てる
第3章 決断を誤らない
第4章 逆境を乗り切る
第5章 成し遂げる
第6章 過失を遠ざける
その昔、中国古典は日本のお手本でした。
日本の先人たちは、中国古典から様々なことを吸収し、日本に優れた伝統を築いていきました。
特に〝人づくり〟においてそれは活用されています。
ところが、今日の日本人の多くはそれを忘れてしまいました。
「忘れてしまった」というより「教えられなくなった」と言った方が正しいかもしれません。
戦後、江戸時代の寺子屋、昭和(戦前)までの修身教育のようなものは、子どもたちの周りから姿を消してしまった(隔離されてしまった)のです。
結果、教わる人がいなくなれば、教える人もいなくなりました。
今の時代、これを学ぼうと思えば、師(先生)を探すか、もっとも手っ取り早いのは本を読むことしかありません。
しかし、後者だと難解な本が多くてとっつきにくい。
本来、根本的なものは平易であるべきだが、学問と化して難しくなってしまっています。
そんな中にあって、守屋洋氏の本は言葉が庶民的で分かりやすいです。
理解が進めば学ぶのも楽しくなっていきます。
楽しくなると身につく度合いも飛躍的に向上します。
SNS時代となり、人間関係が広く浅く複雑化する中で、中国古典にはリーダーがが学ぶべき教訓が多数あります。
もちろん、時代は進んでいるのだから、新しいことを見出していかなくてはならない面もあります。
しかし、大切なのは、本書が言うように、
▷軸足をしっかりと伝統の上にかけておくこと(P.8)
だと思わずにはいられません。
そして、読み方(学び方)にも注意が必要です。
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▷特に若い人たちに多いのですが、どうでもいいような細かいことまでよく知っている人がよく見受けられます。いわゆる知識のための知識というのでしょうか、物知りであることを自慢する傾向が見られるのです(P.40)
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▷むろん、物を知っているのは悪いことではありません、しかし、せっかく読むのですから、もっと肝心なこと、たとえば、人間とか人生とか、そちらのほうにより多くの関心を向けて欲しい(P.40)
頭のいい人(高学歴)が優れた人という価値観がはびこる現代社会。
しかし、連日ニュースを賑わしている汚職やトラブル、ハラスメントを生じさせるのは多くがそういうひとではないか…とも思わないでもありません。
かの国はオリジナルにも関わらず、その宝物(大切な教え)を失ってしまいました。(古典時代とは民族が違うから仕方ないのか…)
例えば、「孔子学院」のプロバカンダの実体は孔子の名を貶めるもの以外の何物でもありません…
人格の向上(教育)を怠る社会は、当然の如く乱れるものなのです。
教えてくれないのなら、日々自分で学ぶしかないのではないでしょうか。
それを提唱する中国古典からの言葉が、今日のちょいよしワードです。
人はすべからく事上(じじょう)に在って磨錬し、工夫を做(な)すべし。乃(すなわ)ち益あり
意味はこうです。
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▷人は毎日の生活や仕事のなかで自分を磨かなければならない。そうあってこそ初めて効果があがるのである
この言葉は陽明学を唱えた王陽明が作ったものです。
「事上磨錬(じじょうまれん)」という4字熟語で知られています。
ある時、王陽明の弟子が次のように言いました。
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▷先生はすばらしい学問を教えて下さいますが、なにしろ私は、帳簿の整理や裁判の審理に追われて、それを実行する暇がありません(P.44)
それを聞いた王陽明は言いました。
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▷私は君に、帳簿の整理や裁判の審理など、日常の仕事を離れて抽象的な学問をせよと教えたことは、一度もなかったはずだ。君には役所の仕事があるのだから、その仕事に即して学問すべきである。(中略)帳簿の整理や裁判の審理といえども、すべてこれ実学でないものはない。それらの仕事を離れて学問をしようとするのは、役に立たない空学問になってしまうのがオチである(P.44-45)
自分の日々の姿勢はどうか?
自己反省させられる言葉ですね。