虚仮の一念と笑われそうだが、まぼろしの青銅砲を追う大きな宿題を果たして迎える二十一世紀第一年の元旦に飲む酒は、私にとって文字通りの美酒であった
わが長州砲流離譚
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幕末の攘夷戦争の際、戦利品としてイギリス、アメリカ、フランス、オランダに持ち出され、杳として行方が知れなくなった幻の長州藩の青銅砲。1966年新 聞記者として訪れたパリで長州砲を発見した著者は、新聞記事を打電。安倍晋太郎外相のもとで、フランスからの長州砲返還運動を展開し、さらに残る3ケ国で 長州砲を発見するまでの感動の記録。
プロローグ 海峡の街にひるがえる三色旗
1 ペリー来航と長州藩
2 長州藩の暴走
3 四国連合艦隊の下関襲撃
4 パリ早春
5 まぼろしの青銅砲を追え
6 オランダに渡った長州砲
7 GUN探しの終点
8 英国海峡に消えた芋虫青銅砲
9 長州砲を作った人々
エピローグ 世界を漂泊する青銅砲
幕末維新の頃、長州藩と4カ国艦隊(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)の間で戦争が起きました。
長州藩は朝廷からの勅書を受けて攘夷を決行、下関を航行する外国船に砲撃を加えます。
その報復として4カ国が連合艦隊を組んで長州藩を2度に渡って攻撃したのが下関戦争です。(1863年1864年の前後2回)
この時に講和で活躍したのが「宍戸刑馬」でしたね!
「宍戸刑馬」とは「高杉晋作」が講和の時につかった偽名です。
通訳のアーネスト・サトウは長州藩にこんな名の家臣がいないことを見抜いていたのだそうですが、黙っていたのだそうです。
彼は、この時の晋作の立ち居振る舞いについて「魔王のようだった」と語っています。
この講和の意義は日本史上的に大きく、上海のように日本の領土が一部租借ということになれば、清の二の舞いになった可能性が高くいのです。
さて、本書はこの時の戦争で使われた大砲、「長州砲」のその後を追ったものです。
「長州砲」はこのとき、各国に戦利品として押収され、それぞれの国に持ち帰られしまいました。
当時は、下関・彦島・調布に至る15キロの間に14の砲台が置かれ、117門の大砲が据えられていたのだそう。
この他にもあったと言われていて、150門はくだらなかったとも。
4カ国が攻めてくるという状況の中、長州藩では青銅が足りないため、寺院が釣り鐘が提供され、藩民らは火鉢や鏡などを多くの人が献納したのだそう。
藩のため、日本のため、婦人は大切な鏡まで献納したのです。
アーネスト・サトウの記録によると、イギリスには109門が持ち帰られたといいます。
本書の著者の古川薫氏がはじめに見つけたのはフランスに持っていかれたものでした。
それから4カ国すべてに所在がわかるまで34年の年月を費やしました。
最後、オランダで確認ができたのが2000年だったといいます。
ほとんどのものは鋳なおされていてすでに現存せず、すべての国で実物が確認できたのは奇跡に近いといいます。
中には、「日本製」ではなくて「中国製」と、間違った登録をしている博物館もあったのだそう。
では、今日のちょいよしワードです。
古川氏は、長州砲を34年に渡って追跡したことについて、まさに「虚仮(こけ)の一念」だとおっしゃいます。
「虚仮」とは、仏教用語で「嘘」「絵空事」のことで、一般的には「愚か者」という意味で使われます。
虚仮の一念と笑われそうだが、まぼろしの青銅砲を追う大きな宿題を果たして迎える二十一世紀第一年の元旦に飲む酒は、私にとって文字通りの美酒であった
34年間の追跡で、手元に膨大な資料や記録が蓄積され、散逸していたという。
それを本書にまとめられた古川氏の情熱、私達も見習いたいですね。
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