占領を背負った男(上) | 本の音色を聴こう♪

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『アナログ力のすゝめ 結果を出す人がやっているアナログ仕事術』出版

―today's cyoi-yoshi―

戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない

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ブログ761日目

今日の紹介は、白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)/講談社





■目次


稀代の目利き
育ちのいい生粋の野蛮人
ケンブリッジ大学クレア・カレッジ
近衛文麿と吉田茂
終戦連絡中央事務局
憤死
“真珠の首飾り”―憲法改正極秘プロジェクト
ジープウェイ・レター
「今に見ていろ」ト云フ気持抑ヘ切レス
海賊と儒学者と実業家のDNA




■本書を拝読したきっかけ


みなさんは白洲正子氏をご存知でしょうか?

有名なエッセイストで、「西行」「世阿弥」など数々の作品を世に送り出しています
彼女に作品に触れると「心豊かで優しい気持ちになり、この国に住んでいることの喜びを噛みしめることができる」と本書でも紹介されています


白洲次郎氏は、その正子さんの夫ですらぶ②


以前何度かこのブログでも紹介したことがあるので、もしかしたら覚えていらっしゃるかもしれませんねニコ


風の男 白洲次郎
》風の男 白洲次郎 (後記.614)
》その時歴史が動いた 心に響く名言集③ (後記.548)



▷彼は吉田茂に見込まれ,戦後、日本の復興の推進役として辣腕を振るった人物である。〝プリンシプル〟(生き方の大原則)を大事にし、筋の通らない話には相手が誰であろうと一歩も引かなかった。正子は次郎のことを「直情一徹の士」、「乱世に生き甲斐を感じるような野人」と評している




■主権のない国に


さて、上巻では次郎の生い立ちや性格などさまざまなことを学ぶことができますにこ

しかし、本書の一番の価値日本国憲法制定の真相を知ることができることですなっ・・・なんと!




[主権のない国に憲法を押し付けるのは国際法違反なのだ]




この言葉は今日の大原則ですかお


日本は終戦後7年間にわたって占領軍の支配をうけました

すなわち、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効するまでということですねニコちゃん

※講和条約締結においての次郎氏の活躍は、上記のリンク1つ目に詳しいです




ある時、マッカーサーが部下のホイットニー民政局長を呼んで「憲法改正法案の作成を命ずる」と言います

▷マッカーサーはそう前置きすると黄色い紙を手に取り、「象徴天皇・戦争放棄・封建制度廃止という3つの原則に則ったものとなるように特に留意してもらいたい」と言葉を続けた

マッカーサー三原則のことですねニコちゃん



▷民政局の中から極秘のうちに25名が選ばれ、会議室に呼び集められた。彼らを前にしてホイットニー局長は「これからの1週間、民政局は憲法制定会議の役割を果たすことになる」と、高らかに宣言した


この極秘プロジェクトの名前は〝真珠の首飾り〟というのだそうだ


日本人に首輪をかけるといいう意味なのでしょうか、それとも明治憲法を根底から否定する彼からみたら日本人に〝豚に真珠〟の真珠のような憲法を授けてあげるという意味合いなのでしょうかえ゛!

※もっとも、〝豚に真珠〟ということわざがアメリカ人に通用するのかどうかはわかりませんが・・・



この時の印象をメンバーが言葉に残しています

▷「私は、このようなことはとても不幸なことだと思いました。なぜなら、外国人によって起草された憲法は正当性をもたないと思ったからです。私は、民主主義を理解している日本人を何人か知っており、彼らに自国の憲法を作らせるべきだと思いました。そのことを上司に述べたのですが採用されませんでした」



特におどろく感想が以下です泣

▷「興奮しましたが、私には憲法を作る能力も知識もなかったので不安でした

そうなんです、日本国憲法の草案をつくったアメリカ人たちは法律の〝素人〟なんです



▷〝素人〟集団に憲法を作られてしまった国民を代表して、次郎は次のように語っている
▷「大体GHQにやってきた大部分の人々は、自分の国で行政の行位やった経験のある人はいたかも知れぬが会ったことはなかった。無経験で若気の至りとでも言う様な、幼稚で理想論を丸呑みにして実行に移していった。憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能なようなものをどしどし成立させ益々得意を増していった




同じ時、日本側は明治憲法を軸とした憲法改正案を作っていました

一週間後、GHQは日本側にGHQ草案をぶつけてきます

そして、ホイットニーがダメ押しをするように言います


▷「マッカーサー最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国からの圧力から天皇をお護りしようという固い決意を持っておられる。しかし最高司令官といえども万能ではない。最高司令官はこの憲法草案が受け入れられるならば、事実上、天皇は安泰になると考えておられる」

天皇を持ちだしてマッカーサー草案を受け入れろというのである。脅迫以外の何のものでもない




ここから次郎たちの奮闘が始まりますかお

ここには詳細は書けませんが、興味があれば本書を手にしてみてください
上下巻読まなくても、上巻だけでも十分ですにこ



当時の次郎達の使命感はこうですかお
↓↓↓
▷「自分は必要以上にやっているんだ、占領軍の言いなりになったのではない、ということを国民に見せるために、あえて極端に行動しているんだ。為政者があれだけ抵抗したということが残らないと、あとで国民から疑問が出て、必ず批判を受けることになる」




さて、話はアメリカに飛びます

ちょうどこの時、アメリカ本国ワシントンで極東委員会が立ち上がりました

極東委員会とは、太平洋戦争に敗北した日本を管理する為の政策機関として連合国が設けたもので、1945年(昭和20年)9月に設置され、イギリス・アメリカ・ソ連・中国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フランス・フィリピン・インドの11カ国代表で構成されました


このことはGHQに焦りを生みます

早くしないと極東委員会から待ったをかけられるかもしれない、そうなったら水の泡となる・・・




GHQが益々強硬になり、いよいよGHQ草案を受け入れざるを得なくなった時に吉田茂は思います

▷〝抵抗したんだ〟という事実は残った、今回の憲法は独立を回復した後にわれわれの手で改正すればいい



▷閣議を通過した「憲法改正草案要領」は、昭和21年(1946年)3月6日、「日本政府による憲法改正案」として世間に公表された。間髪をいれずにマッカーサーは同案への支持を表明。完全な出来レースである

▷この事態に怒ったのが極東委員会である。前文を見ただけで彼らは「憲法改正草案要領」が日本人の書いたものでないことを見ぬいた。当然だろう。同委員会は憲法案を審査する機会を与えるよう主張したが、マッカーサーはこれを拒否。結局、強引に押し通した




■ドイツの場合は?


さて、今日の記事の最後に同じ敗戦国であるドイツはどうだったのか

▷ドイツが改正憲法を施行したのは日本の2年遅れの昭和24年5月24日のこと。当時ドイツは米英仏ソに分割占領されていたことも改正が遅れた要因であろう。その内容は日本国憲法のそれと大きく違っていた。まず、第146条で、「ドイツ国民が自由な決断で議決した憲法が施行される日に、この効力を失う」と、あくまで改正憲法は暫定的なものだということをはっきりとうたってある。憲法という言葉を使わず〝ボン基本法〟としたのも同様の趣旨であった





次郎は言います

の憲法は占領軍によって強制されたものであると明示するべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時が来れば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える



国際法上、同じように考えれば、今の日本国憲法はサンフランシスコ講和条約発効以後、いつでも日本人の手で改正が出来、それによって効力を失うものだったはずなのですかお



憲法改正の機会は過去に何度かあったのだそうですね

でも、実行できずに今に至りますガーン


▷吉田は憲法改正論者だったが、軍備増強よりも経済復興を優先するべきだとし、米国側の軍備増強圧力に抵抗するため憲法改正を見送った。それはあくまで一時の方便であり、彼もこれほど長いあいだ憲法がそのままにされるとは思ってなかったに違いない。元GHQの人々でさえ、憲法が改正可能な時期が到来しても改正されなかったことは奇妙な感じがしたと述べている






■では、今日のちょいよし





戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない







☆今日もいいことが学べてラッキー、着実に進歩しました
☆今日も最後までお読みくださり、みなさまに感謝



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