絵本作家と軍事アナリスト | cynthia-dr-murazumiのブログ

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唐突感がありますが、20年前に出版された絵本を紹介します。

ポプラ社から出版された「小泉るみ子四季のえほん」(全4巻)です。3歳から5歳のお子さん向けです。

ポプラ社のサイトから引用してみます。

 

 

著者のふるさとである北海道美唄(びばい)を舞台に、四季おりおりの自然と家族のすがたをえがく絵本シリーズとなっています。夏の納屋、冬の吹雪、秋の炭鉱、春の生命を各巻テーマにつづられています。

 

今日から、なつ休み。わたしは、畑の中の道をいちもくさんに走る。そして、かくれ家の納屋へ。

 

朝、おきたら、今日も雪。「父さんは?」ときいたら、「アオバと道をつけにいったよ」。北海道の冬を舞台に、少女一家の生活を描く。

 

大地は実りであふれている。父の使いで炭鉱の町まで、野菜を届けることになった少女の秋物語。

 

北海道の春。雪はまだたっぷりあるけど、風でわかる。雪のにおいでわかる。春をまちわびる少女の生活を描く絵本。


著者の小泉るみ子さんは1950年生まれで、北海道美唄市の農家で育ちました。早稲田大学文学部を卒業後、絵描きを志し本格的に絵を学ばれたそうです。絵本、雑誌、教科書、挿絵の分野で活躍され、代表作が子どものころの暮らしと美唄の四季を描いた「小泉るみ子四季のえはん」シリーズなのです。

 

小泉さんとは面識がありませんが、美唄は私にとっても縁が深い土地であり、そこを舞台にした絵本ということが紹介したひとつの理由になっています。

平成5年(1993年)から平成15年(2003年)までの10年間、美唄労災病院形成外科に勤務し、ここで子どもも授かったからです。

そしてとても昔のことですが、昭和5年(1930年)から15年(1940年)の10年間、私の父の実の家族が住んでいたところでもあったのです。父は実母の実家(小樽の小間物問屋)を継いだ彼女の弟夫婦に子がいなかったため、跡取りとして養子に出されていました。中学生になるまでそのことを知らされてなかったそうですが、夏休みや冬休みになると実の両親家族(兄や姉もいた)と過ごすために小樽から美唄へ行っていました。当時、私からみて実の祖父は三菱美唄炭鉱に事務方のひとりとして勤務していました。美唄には三井美唄炭鉱や中小の炭鉱も存在していました。

絵本の秋編では炭鉱の町が登場しますが、舞台となった1950年代はまだ炭鉱があったからです。

冬は豪雪地帯でもあります。猛吹雪の中での車の運転は決死の覚悟がいるくらいで、ホワイトアウトを経験できました。

 

そして紹介した理由のふたつめが、小泉るみ子さんがロシアによるウクライナ侵攻以降、マスコミに登場されて活躍している軍事アナリスト・軍事評論家の小泉悠さんのお母さんだからです。

小泉悠さんは千葉県松戸市の出身で、子どものころ、集団生活が苦手で教師嫌いだったそうで、居場所が近所の図書館とプラモデル屋だったことは知られています。

図書館ではあらゆる本を読まれたそうですが、なかでも軍事本や戦記に夢中になっていたそうです。プラモデル屋では近くの自衛隊基地の隊員さんとも仲良くされていたそうです。

一方、ご両親(お父さんは中学校の社会科教師)は反核・反戦運動に熱心だったそうで、彼とは合わなかったそうです。

お母さんのるみ子さんは子どものころ、陸自の美唄駐屯地の歯科診療所で治療を受けた際、唇を傷つけられたことがあり、そのことも影響しているようだと、悠さんがWEB対談で語っていました。