ロシアの漢字略称でよく目にするのは「露」ですが、かつて「魯」と表記していた時代がありました。
江戸時代から明治時代にかけて、ロシアの漢字表記で多く使われていたのが「魯西亜」でした。
1855年に日本とロシアの間で結ばれたのが「日本国魯西亜国通好条約」で、当時は日魯和親条約や日魯通好条約とも表記されていました。
ところが現在の歴史教科書では、日露和親条約や日露通好条約となっています。
「魯」に代わって「露」が使用されるきっかけは、1875年の樺太千島交換条約の条文からで、以後「露」表記が主流になったそうです。
この表記変更の理由は、「魯」の字は「おろかもの」の意味であるので、「露」の字に変えろとロシア側から強い抗議があったからだそうです。
漢和辞典や日本漢字能力検定協会漢字ペディアなどで「魯」を調べると
①おろか。 にぶい。 「魯鈍」
②中国春秋時代の国名。 孔子の生まれた国。
とあります。
孔子といえば、高校の古典(漢文)で、「子曰く・・・」で始まる論語を思い出します。
「露」ですが、「つゆ」「水滴」の意味なら、きれいなイメージがありますが、「つゆのようにはかない」の意味なら、国の運命が危うくなりそうで縁起が悪そうです。案の定ロシア(ロマノフ朝)は滅んでいます。
現在のロシア(連邦)では、ロシアの略称はカタカナの「ロ」で表すのが一般的のようですが、ウクライナに対しての「あらわ」(露わ)な愚行(侵攻)を見ていると、先祖返りして「魯」な国になったようです。
ウクライナで蛮行を続けていると、ロマノフ朝の二の舞になりそうです。
以上、あくまでも個人の感想であり、さらに本日は「四月馬鹿」(古い言い方)でしたので、その筋の方は本気にしないでくださいね。ムキになられて毒でも盛られたら大変です!