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会社員には誰しも「定年」というゴールが待ち構えています。

役員という、限られたポストに登らない限り、基本的には60歳というゴールラインが用意されています。

 


近年は働き方改革に関連して定年の概念も流動化してきてはいますが、まだ暫くは60歳定年が一般的だと思います。50代の半ばで「役職定年」というものを経験する人もまだ多いでしょう。

定年を迎えると、管理職だった人は昨日まで使っていた「役職」という肩書きを強制的に削除されます。本人の気持ちには関係無く、強制的に昨日までの自分を捨てざるを得なくなります。

本人からすると段階的に周りが変わっていくだろうと思っていますがそうではありません。周りの対応は一気に変わるのです。

それは手のひらを返すとか冷淡だとかという情緒的なものではなく、組織としての当たり前の対応です。いちいち定年者の気持ちをおもんばかるなどという配慮や時間は皆無です。

役職を降りてほっとしたなどと言う人もいるでしょうが、それはほんの一瞬の強がりに近いもの。役職だった人の殆は、すんなりと定年の現実を受け止めきれないことの方が多いものです。

再雇用という選択をして会社に残っても、それはそれで大変です。同じオフィスに見えるが、昨日までとは全く違う環境の中で新しい自分をフィットさせるべく、自問自答の毎日が始まるのです。

人間は自己の存在証明、自分は何者かという自己定義、社会の中でこうやって生きているという実感、存在意義を絶えず探索する欲求があるため、心地よかった過去にすがろうともしがちです。

ところが現実は残酷なものなのです。

過去にすがっても、悲しいかな、他人は常に自分を映し出す鏡。そこで写るものは、もう何者でもなくなった自分の姿に気付き気がめいる。無性に寂しくなり、先行きのない不安に襲われるのです。



ただの人となった自分に我慢が出来ず、ついついでしゃばった物言いをしたり、誰も聞きたくは無い昔話や自慢話を延々としてしまう。

「昔の肩書きにしがみつく元上司」、「会社にしがみついているのに文句ばかりの元エリート」、「元部下に指示をして煙たがられている定年社員」などを見て、ああなると俺もおしまいだと自戒していた。

ところが気がつけば自分が・・・、自分が肩書きに惑わされている。過去の人間関係に自分の居場所を求めようとした自分が、滑稽で堪らない気持ちになってしまう。

このような状態の人のことを「塩が抜けない」と表現されたりします。永い間「役職」という塩に漬けにられていたためか、いきなり真水に晒されても、塩が抜け切らず、後悔する言動が多くなるのです。

心当たりのある人は、特に周囲のスタッフや各取引先との関係性、コミュニケーションのスタイルに細心の注意を払うことが必用です。

肩書きには、私たちが想像する以上に人の心に強い影響を及ぼすパワーを秘めているからです。

人は、権力や権威のある人の声の調子や話し方に近づけてしまうという傾向があるそうです。これは自己愛からくるもので、権力者に安心を得れば、自分が得をするという心理が働くのだそうです。

「権威とか権力には屈しないぞ!」と息巻いている人でも、権力者を前にすると態度が豹変してしまうことなどよくあることです。

ですので、明らかに権力のある立場から降りた人が過去に囚われたまま権威を示そうとしても、相手からは何の得もない人と認識されているので、哀れな人だと烙印を押されるのがオチです。



会社の人事ほど妥当性が無く、不思議と思えるものが多いのは確かです。現役時代の出世と肩書きはたまたまのくじのようなものだと笑い飛ばせても、いざ戦力外(定年後)となると肩書きは切実です。

肩書きの「余熱」が冷めてしまう瞬間は確かにしんどいかもしれません。ですが、一度立ち止まって肩書きと決別する生き方と他人とのコミュニケーションを考えて行動すれば、その呪縛から逃れられるのです。

「会社での立場」は諦めても、「働くこと」を諦めなければ良いのです。もはや組織の中で勝ち負けにこだわるのは無意味です。働くことで生き延びていくことに焦点を置くと案外次に動きだしやすくなるものです。

定年後の存在のレーンチェンジが上手く行けば、おのずと周囲や関係者とのコミュニケーションの方法や言動のトーンが変わっていくものです。周囲からも、権力者や権威とは別次元の人として認識されるでしょう。

定年はルーティンの喪失であり、戦うエネルギーを奪われるものでもあります。しかし、新しい自分ならではのルーティンとコミュニケーション作りに励めば、厳しい時代に耐える土台ができるのです。

私も当に昨年定年退職し、新たな自分の立ち位置作りに励んでいる最中の一人です。周囲と壁を作るのではなく、謙虚に新たなルーティンの構築を進めています。

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